第10話『昼下がりの女教師』

 美優先輩の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ゆっくりとした時間を過ごす。

 芽衣ちゃんの面倒を見ているのもあり、小さい頃にどんな遊びをしたのか。どんなアニメを観ていたのか。みんな、おままごとの経験があるので、どんな役をやったかなどの話題で盛り上がる。

 ただ、それでも芽衣ちゃんと風花がいないと静かに感じた。午前中は2人とおままごとをして遊んだし、2人が快活な性格だからだろうか。


 ――ピンポーン。

「私が出るよ」


 インターホンが鳴り、美優先輩がモニターで来客を確認する。誰だろう? 今はまだ午後2時過ぎだから、理恵さんの可能性は低そうだけど。


「はい。……あっ、一佳先生。こんにちは」

『こんにちは。その……今日は仕事があって。その帰りなの。サブロウに会えるかもしれないと思って寄ってみたわ』

「そうでしたか。今日はまだサブロウは来ていませんが、どうぞ上がってください。そちらに行きますね」


 美優先輩はリビングを出て行く。

 仕事帰りでも、理恵さんじゃなくて霧嶋先生だったか。土曜日まで仕事があるなんて。

 ちなみに、霧嶋先生が言ったサブロウというのは、このあけぼの荘に来るオスのノラ猫だ。みんなに可愛がられていて、あけぼの荘のアイドルでもある。先生は出会ってすぐに大好きになり、サブロウ目当てで定期的に来ている。

 それから程なくして、「お邪魔します」という霧嶋先生の声が聞こえ、美優先輩と一緒に先生がリビングに入ってきた。ロングスカートに七分袖のブラウス姿というカジュアルさも感じられる服装だ。


「桐生君、花柳さん、こんにちは」

「こんにちは、一佳先生」

「霧嶋先生、こんにちは。お仕事お疲れ様です。今日は学校でお仕事があったのに、普段とは違う服装をしているんですね。以前、スーツを着ると教師のスイッチが入ると言っていましたけど」

「た、確かに、前にそんなことを言ったわね」

「あと、卒業するまでには一度、ラフな格好で来るとも言っていましたね。もちろん、よく似合っていて素敵ですけど」


 俺がそう言うと、霧嶋先生は頬をほんのりと赤くして俺をチラチラと見てくる。


「よ、よく覚えていたわね。まあ、今日は土曜日で授業もないから、試しにこういったカジュアルな格好をしてみたの。そうしたら、何人かの先生から『今日は普段と違う雰囲気ですね』って言われたわ。女性の教諭からは『可愛い』とも。成実さん以外に言われると照れてしまうわ」


 普段とは違う格好をしたときにコメントされると照れてしまうよな。ましてや、職場で同僚や上司から言われると。あと、成実さんというのは、大宮成実おおみやなるみ先生のことで、美優先輩と花柳先輩の担任教師であり、俺達が入部している料理部の顧問である。とても穏やかで優しい先生だ。


「ふふっ、そうでしたか。今日の服はとても可愛いので、平日の学校でもカジュアルな一佳先生を見られると嬉しいです」

「きっと、生徒から人気が出ると思いますよ。桐生君もそう思うわよね?」

「そうですね」

「……まあ、6月から生徒の制服も夏服になるし、私も何度かは普段と違う服装で仕事に臨むのもいいかもしれないわね」


 照れくさそうな様子でそう言う霧嶋先生。夏の学校生活の楽しみが1つ増えたな。

 霧嶋先生は花柳先輩の隣の席に座り、美優先輩の作ったアイスコーヒーをいただくことに。


「……美味しいわ。今日も晴れているし、学校からここに来るだけでも暑かったから。冷たいものがいいと思えるようになってきたわね」

「良かったです」

「平日ほどではないけど、仕事をしてきたから身に沁みるわ。ちなみに、現代文と古典の中間試験、桐生君、姫宮さん、加藤君、橋本さんもいい点数だった。担任教師として喜ばしいことね。この2教科については、この調子で勉強していくように」

「良かったです。みんなには後で伝えておきます」


 現代文も古典も苦手ではないけど、いい点数だったと分かってほっとしている。この2教科を教えているのが霧嶋先生というのもあるけど。


「そういえば、さっき玄関を見たらたくさん靴があったわ。あなた達3人だけのものにしては多い気がするのだけれど。あと、とても小さい靴が一足あったかしら」

「朝から5歳の従妹を預かっているんです。私の叔母が、伯分寺にある会社に用事があって。風花ちゃんも遊びに来ていて、今は寝室で一緒にお昼寝しているんです」

「そういうことだったのね。ちなみに、その子がどんな雰囲気なのか気になるわ。白鳥さんの従妹だから、きっと可愛らしいでしょうけど」

「可愛いですよ! さすがは美優の従妹って感じで。芽衣ちゃんって言うんですけど」


 そう言って、花柳先輩は自分のスマホを霧嶋先生に渡す。芽衣ちゃんの写真を見せるのかな。先輩もスマホでたくさん写真を撮っていたから。


「あら、可愛い子ね!」


 普段よりも高い声で言う霧嶋先生。酔っ払ったときやゴキブリを見つけたとき以外に、こんな高い声を出したところは見たことないな。それだけ可愛かったのだろう。


「でしょう? さすがは美優の従妹ですよね」


 どうして花柳先輩が自慢げに言うんだか。


「花柳さんの言う通りね。朱莉さんや葵さんにも似ているわ。とても可愛い」

「お盆やお正月に親戚が集まったとき、芽衣ちゃんを含めて四姉妹だって言われたこともありました」

「分かる気がするわ。そんな芽衣ちゃんと姫宮さんが一緒にお昼寝するなんて。とても仲良くなったのね。彼女は明るくて気さくな性格だから納得できるけど」

「風花ちゃんには中2の妹さんがいますからね。今日もおままごとやトランプで遊んだり、魔法少女アニメを観たりしていましたから。あと、風花ちゃんは芽衣ちゃんにメロメロしていたよね」

「そうね。お昼ご飯のオムライスも、何度か食べさせ合っていたし」


 それは俺達もやったけど、一番回数が多かったのは隣に座っていた風花だった。さすがは中2の妹さんのいるお姉さんだなと思ったほどだ。


「小さい子の面倒か。6歳年下の妹がいるから、私が中学生くらいまでは妹や妹の友達の面倒を見ていたわ。うちは両親が教師だから」

「そうなんですか。一佳先生の妹がどんな雰囲気の方なのか、あたし気になります!」

「ちょっと待ってて。スマホに写真があるから」


 そう言って、霧嶋先生は花柳先輩にスマホを返し、バッグから自分のスマホを取り出す。

 霧嶋先生に妹さんがいるとは聞いていたけど、どんな方なのかはあまり知らないな。確か、法曹界を目指す大学生だっけ。あと、先生のご自宅に来たとき、もう少し家事ができるようになれと注意したって前に先生が話していたな。だから、先生に似て凛として、キリッとしているイメージがあるな。


「あったわ。前に私の家に来たときの写真だけど」


 霧嶋先生はそう言うとスマホを食卓に置く。

 スマホの画面には霧嶋先生と一緒に、可愛らしい笑みを浮かべる女性が映っていた。柔らかくてほんわかとした雰囲気だ。先生とは違って、おさげの髪型をしているからかな。


「かなり可愛いじゃないですか!」

「そうだね、瑠衣ちゃん。あと、以前に聞いた話もあって、妹さんは一佳先生に似ているのかなって思っていましたけど、結構柔らかな雰囲気ですね」

「俺も同感です。ちなみに、妹さんのお名前は何ですか?」

二葉ふたばっていうの。今年20歳になるとっても可愛い自慢の妹よ」


 そう言うだけあって、霧嶋先生はいつになく誇らしげな様子。妹の二葉さんを相当好きなのだと伺える。俺にも心愛っていう可愛い妹がいるので、自慢の妹だと言いたくなる気持ちも分かる。

 教師である御両親の影響もあるだろうだけど、可愛い妹さんや友人の面倒を見てきたから、自分も教師になったのかも。


「まさか、一佳先生にこんなに可愛い妹がいたなんて」

「……どういう意味かしら? 花柳さん」

「さっきの美優の言ったとおりですよ。二葉さんは先生に似ているのかなと」

「そういうことね。あなたのことだから、また馬鹿にしているのかと。二葉は都内にある大学の法学部に通う2年生なの。大学生になってから、たまに私の家に来ることがあるから、近いうちに二葉と会わせてあげるわ」

「楽しみです! 一佳先生の色々なエピソードを聞きたいな」

「楽しみだね、瑠衣ちゃん、由弦君」

「そうですね」


 今までの話からして、二葉さんはしっかりしているそうだし、写真で彼女の顔を見ると、何だか美優先輩に似ている。一度でいいから、会って話してみたいな。ただ、定期的に部屋を確認して、部屋の片付けをしていると伝えたら、二葉さん……先生を叱りそう。


「芽衣ちゃんとの写真をまた見させてくれる?」


 霧嶋先生がそうお願いしたため、花柳先輩は再びスマホを先生に渡す。

 霧嶋先生は花柳先輩のスマホに保存されている写真を再び見ていく。すると、


「ふふっ」


 先生は右手を口に当て、珍しく声に出して笑う。


「ど、どうして……花柳さんはおしゃぶりをしているのかしら? しかも、嬉しそうな表情しているし……ふふふっ」


 おしゃぶりをした花柳先輩の写真を見て笑ったのか。普通なら考えられない状況だし、恥ずかしがらずに笑顔でピースサインをしているのがツボにハマったのかも。


「おままごとで赤ちゃん役になりましたので」

「芽衣ちゃんのお願いで、お父さん役の由弦君と一緒に妹を作ることになりまして。それで、瑠衣ちゃんに妹役になってもらったんです。産まれたばかりなので、芽衣ちゃんの持ってきたおしゃぶりをしているんですよ」

「なるほどね。ただ、お父さん役の桐生君と妹を作った部分が気になるわ。ちゃんと、5歳の子に配慮したのかしら?」

「芽衣ちゃんによる指導があり、大好きと言い合って美優先輩とキスしました」

「初めて聞く子作り方法ね。ただ、それならよろしい」


 うんうん、と霧嶋先生は真面目な様子で頷いている。キスして子供ができる説は先生も初耳だったのか。


「赤ちゃん役だったので、美優にミルクを飲ませてもらいましたよ! 美味しかったですけど、吸って飲むのって結構疲れるんですね。赤ちゃんにとってはかなりの運動なんでしょうね」

「そうかもしれないわね……って、ちょっと待ちなさい!」


 すると、霧嶋先生は顔がみるみるうちに赤くなり、


「む、胸を吸わせたの? あと、ち……乳が出るのかしら白鳥さんはっ!」


 叫びとも言えるような大きな声で言った。母乳が出ると勘違いしているのか、先生は驚いた様子を見せている。だからか、美優先輩は霧嶋先生よりも顔を真っ赤にして、


「そんなわけないじゃないですか! 吸わせてませんし、そもそもお乳は出ません! 芽衣ちゃんの持ってきたほ乳瓶に牛乳を入れて、それを瑠衣ちゃんに飲ませたんですよ! 瑠衣ちゃんも誤解を招くような言い方しないで……」


 すぐさまに反論し、恥ずかしい気持ちになったのか両手で顔を隠した。そんな美優先輩の頭を俺は優しく撫でる。


「ごめんごめん、事実を言っただけなんだけどね。言葉を選ぶべきだったわ。反省してる」


 さすがの花柳先輩も苦笑い。美優先輩の胸を吸いたがっていたので、あんな言葉選びになってしまったのかも。


「わ、私も早とちりしてしまったわ。本当に申し訳ない……」


 そう言って、霧嶋先生はアイスコーヒーをゴクゴクと飲み、「はーっ」と長く息を吐いた。そのおかげか、さっきよりは落ち着いた様子に。


 ――ガチャッ。

「ふあああっ」

「うんっ……」


 扉の開く音が聞こえたのでそちらを向くと、あくびをする風花と、目を擦っている芽衣ちゃんがいたのであった。

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