第50話『寒冷幻想空間』

 午前11時40分。

 いちご狩りでいちごを堪能したので、もう一つくらい観光地に行ってからお昼ご飯を食べようということになった。

 すると、霧嶋先生から鍾乳洞はどうかという提案に。事前に調べて、観光する候補の1つとして考えていたらしい。今ぐらいの時期から温かくなるので、涼しい観光スポットもいいんじゃないかと思ったそうだ。

 霧嶋先生の提案に、美優先輩や花柳先輩を中心に賛成意見が出た。よって、鍾乳洞へ行くことに決定した。そのことに霧嶋先生は喜んでいた。

 霧嶋先生の運転で、いちご農園から鍾乳洞へ向かう。カーナビによると、ここから25分くらいで行けるらしい。先生から鍾乳洞の名前を教えてもらい、『御立氷穴』をスマホで調べることに。


「氷穴ってことは結構寒そうですよね。美優先輩はこの氷穴に行ったことはありますか?」

「行ったことないな。ただ、他の地域にある氷穴には行ったことがあるよ。そこはかなり寒かったな。行ったのは夏休みだったから涼しくていいなって思えたけど。……あっ、温度が書いてあった。氷穴の中は平均3℃だって」

「3℃ですか。結構低いですね。地元だと冬の最低気温がそのくらいですね」


 ただ、最近は昼間中心に暖かいと思える日が多くなってきたし、極寒の空気を体験するのも良さそうだ。


「洞窟ってワクワクしますよね、瑠衣先輩」

「そうね。一佳先生もそんな気持ちから提案してくれたんですか?」

「まあ、こういうときじゃないと行く機会はないだろうし、暖かくなってきたから涼しい観光スポットもいいかなと」


 3℃だと、涼しいと言うよりも寒いと言った方が正確だと思うけど。俺も風花の言うように、こういうところだとワクワクしてくる。


「由弦君は氷穴って行ったことはある?」

「初めてです。鍾乳洞は家族旅行で何度か行ったことがあるのですが。夏休みに行きましたから、結構涼しく思えましたね」

「そうなんだ。じゃあ、由弦君は氷穴初心者だから、経験のある私の側から離れないでね」

「分かりました」


 頼もしい人だな、美優先輩は。ただ、今のことを言われなくても先輩の側にいるつもりだったけど。とても寒そうだから。



 いちご農園を出発してからおよそ30分後、俺達の乗る車は御立氷穴に到着した。ここも人気があるスポットなのか、御立山のロープウェイ乗り場の駐車場並みに車が駐車している。

 車から降りると陽差しが結構温かく感じられる。これなら、3℃の世界に足を運ぼうという人が多いのも頷ける。夏休みだともっと人が多くなるんだろうな。

 受付で入場チケットを買い、俺達はさっそく御立氷穴の中に入っていく。そのときはもちろん、美優先輩と手を繋いで。

 階段を下っていくと、あるところを境に、ここからが氷穴だと分かるくらいに一気に寒くなった。それまで捲っていたワイシャツの袖を元に戻した。


「これが氷穴の空気なんですね。凄く寒いです」

「3℃だからね。私と離れないようにしようね」

「そうですね」


 美優先輩の温もりがとても心地よく感じる。薄暗いこともあってか、真冬の夜にタイムスリップしてしまった感じだ。

 所々にライトが点灯されているけれど、先に何があるかは分からない。それがワクワク感を膨らませる。


「風花ちゃん、とっても寒いね」

「ええ。瑠衣先輩、なるべく離れないでくださいよ」

「もちろんだって!」

「みんな、薄着のままで着ちゃったもんね。一佳ちゃん、あたしから離れないでね」

「もちろんですよ」


 前方では風花と花柳先輩、霧嶋先生と大宮先生がそれぞれくっつきながら歩いていた。


「そうだ。みんな、足元を見れば分かると思うけど、濡れているから滑って転ばないように気を付け……きゃっ!」

「おっと、危なかったね、一佳ちゃん」


 転びそうになった霧嶋先生のことを、大宮先生が何とか支える。霧嶋先生が転ばずに済んで良かった


「ありがとうございます、成実さん。……こういうことになりかねないから気を付けて」

『はーい』


 俺達は返事をするけれど、風花と花柳先輩はクスクスと笑っていた。

 霧嶋先生の言うとおり、足元が濡れているな。今もたまにポタッと水が落ちる音が聞こえてくる。これも自然が織りなすことの一つなんだな。

 写真を撮るためなのか、それとも休憩のためなのか所々に通路が広くなっている箇所がある。今通ったところでは、家族連れが氷穴の中の写真を撮っていた。


「正面に何か光るものが見えてきましたよ」


 風花が正面の方を指さしているが、確かに彼女の言うように何かが光っている。歩いていくと、そこで立ち止まっている人達が見えてきた。氷穴内の見所なのだろうか。

 風花の言う光るものの目の前まで行くと、そこに待っていたのはライトアップされた多数の氷柱だった。


「綺麗……」


 美優先輩が氷柱を見ながらそう呟く。

 形もそうだし、氷穴内の気温からして、この氷柱は天然ものだろう。今もたまに氷柱を伝って水滴がポタポタと落ちている。もしかしたら、冬になるとこの水が凍って、氷柱が長くなるのかもしれない。

 自然の氷柱と、人間の技術によるライトアップに寄って作られた景色はとても幻想的。スマホやデジカメを使って撮影する。


「ひゃあっ!」


 そんな声を上げると、美優先輩は俺の腕にしがみついてきた。


「どうかした? 白鳥さん。とても大きな声が聞こえたけれど」

「暗いですし、もしかして由弦に変なことをされたんじゃ?」

「違いますよ。首の後ろ側に冷たいものが当たって。きっと、上から落ちてきた水滴だと思うんですけど。突然だったのでつい驚いちゃいました」


 美優先輩ははにかみながらそう言う。そんな先輩はとても可愛らしい。あと、こんなところで先輩に何かするほど、俺は変態な人間じゃないって。


「きゃっ。あたしの頭にも水滴が落ちてきたわ。美優のことがなかったら、きっとあたしが大きな声を上げていたと思う。結構冷たいね。頭でもこれだけ冷たいんだから、首筋に当たったら驚くわ」

「でしょう?」

「うわっ、俺の頬にも当たりましたね」


 ここは特に水滴の落ちやすいポイントなのだろうか。顔に一滴だけ当たっただけなのに、さっきよりもかなり寒気を感じる。


「あら、あたしの胸元にも水滴が。本当に冷たいわ」


 すると、大宮先生は霧嶋先生のことをぎゅっと抱きしめている。温かいからなのか、それとも霧嶋先生に頭を撫でられているからなのかとても嬉しそうだ。

 美優先輩はそんな担任教師の姿を見てか、俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。


「あぁ、由弦君あったかい」

「俺も温かいですよ」


 恋人の温もりをたっぷりと感じながら見る氷柱というのもなかなか乙なものである。さすがに、こういったことは今後の人生でもそうそうないことじゃないだろうか。


「由弦や美優先輩、先生方も抱きしめ合って温かいのは分かりますけど、そろそろ先に進みませんか? あたし、結構体が冷えてきました」

「風花ちゃんの意見に賛成」


 さすがに、平均3℃だからかなり寒いな。

 東京の冬はここまで寒いのかは分からないけど、氷穴にいることで冬を先行体験している気分になるな。ただ、寒いからこそ美優先輩の温もりが心地良く、恋しくなることも分かって。


「そうね。私も成実さんのおかげで前面は温かいけれど、背中の方は寒いわ。氷柱もたっぷりと見ましたし、先に進みましょうか」


 その後も、俺達は順路を歩いて行く。美優先輩と風花がたまに足を滑らせることはあったけど、転ぶことなく出口に辿り着いたのであった。

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