第20話『お野菜今昔物語』

 アルバムとホームビデオを見る苦行を何とか乗り越えた頃には、外もだいぶ暗くなっていた。壁に掛かっている時計を見ると、もう午後6時過ぎか。

 今日の夕食は予定通り焼肉。

 午前中にたくさん食材を買ったので、風花と花柳先輩はもちろんのこと、霧嶋先生も一緒に食べることになった。ただ、家にある椅子は6人分しかないため、さっきと同じように3人はソファーに座って食べる形に。適宜、食卓に食べ物を取りに来ることにした。

 ちなみに、美優先輩とは隣同士の席に座っている。


「全員に飲み物が行き渡りましたね。お姉様と心愛ちゃんは静岡から、朱莉と葵は茨城からよく来てくれました。元号が令和に変わる5月1日まで楽しんでくれると嬉しいです。風花ちゃんも、瑠衣ちゃんも、一佳先生もどんどん遊びに来てくださいね。それでは、みんなで焼肉を食べましょう! 乾杯!」

『かんぱーい!』


 こうして、4人が来てから初めての食事が始まった。

 この賑わい……まるで、正月やお盆に親戚が集まっているかのようだ。ただ、そういったときとは違って、今回は大人は霧嶋先生しかいないけど。


「あっ、そうだ。雫姉さんに心愛。今日は俺だけじゃなくて、美優先輩達もいるんだから他の人達の分も考えてお肉を食べるようにしてくれよ」

「分かってるって。ゆーくん」

「そこはちゃんと気を付けるよ」


 2人は笑顔でそう言うけど、何だか不安だなぁ。


「ふふっ。そういえば、由弦君と風花ちゃんが引っ越して来た日はすき焼きだったんですけど、そのときに由弦君はお肉を食べることができるかどうか心配してましたね。もしかして、あのときにそう言ったのはお姉様や心愛ちゃんが理由?」

「ええ、そうですよ」

「お姉ちゃんもあたしもお肉が大好きですからね!」

「今日は近所のスーパーがセールでたくさんお肉を買ってきたから、たくさん食べてね、心愛ちゃん。お姉様や朱莉や葵はもちろんみんなもね」

『はーい!』

「いいお返事ですね。さあ、お肉やお野菜が焼けたから、どんどん食べてね」


 風花、花柳先輩、雫姉さん、心愛、葵ちゃん中心にホットプレートの上にある肉や野菜を食べていく。


「う~ん、お肉美味しいっ!」

「美味しいね、風花ちゃん」


 そう言って、風花と花柳先輩は次々と肉に箸を伸ばす。ここにも2人、肉をたくさん食べる人がいたか。お腹を壊さないことを願う。


「朱莉お姉ちゃん。ピーマンまで取っちゃった。あげる」

「もう、葵ったら。しょうがないですね。タレをつけて食べればピーマンも美味しいんですよ? お肉だけでなく、ピーマン以外のお野菜やきのこも食べましょうね」

「はーい。じゃあ、お姉ちゃん。ピーマン。あ~ん」

「はいはい、あ~ん」


 朱莉ちゃんは葵ちゃんからピーマンを食べさせてもらっている。今のやり取りを見ても、朱莉ちゃんは本当に大人っぽい。

 あと、葵ちゃんはピーマンが苦手なのか。そういえば、俺も心愛が小さい頃は嫌いな野菜をプレゼントだよって食べさせられたっけ。その中にはピーマンもあった。


「心愛。今はピーマンを食べられるようになったか?」

「チンジャオロースとかだったら、ちょっと食べられるかな。今回も焼肉のタレが美味しいから食べられる……かも……」


 そう言うと、心愛はホットプレートからピーマンを一つ取り、焼肉のタレを付けて食べる。


「……うん。何とか食べられた」

「ちゃんと食べられて偉いぞ、心愛」

「偉いね、ここちゃん」


 雫姉さんは優しい笑みを浮かべながら、心愛の頭を撫でている。そのことに心愛はとても嬉しそうだった。


「何だか懐かしい光景ね」


 気付けば、俺の横にお箸とタレの入ったお皿を持つ霧嶋先生が立っていた。先生は焼けた鶏肉を箸で掴み、タレを付けて食べている。家の中だから、立ちながら食べるのはあまりお行儀が良くないけど、今日くらいはいいか。


「私の妹も、小さい頃はピーマンや玉ねぎとか苦手な野菜が多くて。そんな妹に野菜を食べさせられたことはたくさんあったわ。もちろん、妹が勇気を出して嫌いな野菜を食べたときはたくさん褒めたわ」

「妹のいる人の多くが通る道かもしれませんね」

「それは言えてるかも。実は、小さい頃はトマトが嫌いで。大げさだけれど、当時は嫌いなものを食べるのは人生をかけた大一番って感じがしたの。それが今となっては微笑ましく思える。トマトも好きな野菜になったし。これが大人になるってことなのかって思うわ」


 教師である霧嶋先生がそう言うと、凄く重みを感じるな。


「なるほど。俺は特に嫌いな食べ物はないですけど、コーヒーで似たような経験はしてますね。小学生のとき、ブラックコーヒーは一口で苦すぎてギブアップしていたのに、今はその苦味が良くてブラックが一番好きになりました」

「分かるわ。私も今でこそブラックの苦味がいいと思えるけど、初めて飲んだときは気持ち悪くて。人間の飲むものとは思えなかったほどよ」

「俺も初めて飲んだときは気持ち悪くなりましたね」

「やっぱりそうなる? ……何だか懐かしい気持ちになった。旅行のお土産を渡すために、久しぶりに実家に帰ってみようと思うわ」


 妹さんのいる霧嶋先生にとって、姉妹に接する俺や美優先輩の様子が、自分と重なって見えたのかもしれない。

 霧嶋先生はお肉や野菜、キノコをバランス良く取って、風花や花柳先輩のいるソファーに戻っていく。


「うわっ、肉にピーマンが張り付いてた。一佳先生、ピーマン食べてくれませんか?」

「……仕方ないわね」


 そういえば、風花もピーマンが苦手だったな。ピーマンを霧嶋先生に食べさせている。きっと、妹さんからも今のように嫌いな野菜を食べてあげていたのかなと思った。


「あれ? 由弦君、お野菜ばかり食べているけれど。体調が良くないのかな?」

「……あのアルバムやホームビデオを見たからか、胃の調子があまり良くなくて」


 夕食のお肉を俺にあまり食べさせないための、雫姉さんや心愛の作戦だったんじゃないかと思うほど。そんな2人はお肉中心にモリモリと食べている。


「由弦君、ずっと顔を赤くしていたもんね。恥ずかしいこともあるよね。私もうちのアルバムをみんなに見られたときは恥ずかしかったし。ただ、私はとてもいいと思ったよ! 女の子の服を着た由弦君もとても可愛かったし……」


 それを思い出しているのか、美優先輩はうっとりとした様子で俺のことを見てくる。まさか、俺に女装させようとか考えているんじゃないだろうな。もし、お願いされてもそれは断るようにしよう。


「美優ちゃんが喜んでくれて良かったよ。今日のためにアルバムやホームビデオを作ってきた甲斐があったよ」

「お姉ちゃん、張り切って写真を選んだり、ダビングしたりしていたもんね!」

「そうだったんだね。美優先輩達が喜んでくれたのはいいとして、ちょっとは当事者である俺への配慮をしてほしかったな」

「配慮してたよ? アルバムの最初の方とか普通の写真ばかりだったし。女の子の服を着た写真だって、数多にある中で指折りに可愛いものを選んだんだから!」

「確かに、女性の服を着た由弦さんはどれも可愛かったですもんね。とても良かったです」


 どうやら雫姉さんの配慮の方向性は、一般人とは少し違うようだ。あと、そんな姉さんの所行を褒めなくていいんだよ、朱莉ちゃん。


「にゃぉん」


 ベランダの方から猫の鳴き声が聞こえてきた。サブロウかな? 換気のために少し窓を開け、網戸の状態にしていたので匂いに誘われたのかも。

 美優先輩と一緒に確認しようとすると、既に霧嶋先生がサブロウの頭を撫でていた。


「サブロウ、あなたは可愛いわね」

「にゃー」

「ふふっ、サブちゃんきっかけで完全に猫にハマりましたね、一佳先生。サブちゃん、エサと水を用意するから待っててね」

「にゃ~」


 サブロウは返事をちゃんとするいい猫だな。


「へえ、東京にもノラ猫っているんだね、お兄ちゃん」

「もちろんいるさ。そういえば、あの黒いノラ猫は今でも来ているのか?」

「うん! お姉ちゃんと一緒に触ってあげたり、エサやお水をあげたりしているよ」

「そういえば、ゆーくんはあのクロちゃんに触ることができなかったわね」

「俺だけには触らせてくれなかったな。それに比べて、サブロウは初めて会ったときから触らせてくれて本当に可愛いよ」


 サブロウに初めて触れたときは感動したくらいだ。

 霧嶋先生から交代して、雫姉さんと心愛がサブロウを撫でる。2人同時に触られたら逃げちゃうかもしれないと思ったけど、サブロウはとても気持ち良さそうだ。


「姉さん。黒白のハチ割れ猫、今も来ているのですね」

「うん! たまに来てくれるよ。そのときにエサやお水をあげたり、撫でたりしているからかな。今でもあけぼの荘のアイドルだよ」

「ふふっ。でも、今の光景を見ていると、彼の人気はあけぼの荘に留まらないですね」

「とっても可愛くて、親しみやすいからね」


 適度に鳴くし、触らせてくれるのは大きいだろうな。俺もサブロウに触ることができて心を掴まれたし。

 美優先輩がエサや水をあげると、サブロウはしっかりと食べていく。その姿も何とも可愛らしい。霧嶋先生と雫姉さん、心愛はメロメロ。

 途中からあけぼの荘のアイドルが現れたのもあり、とても楽しい夕ご飯になったのであった。

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