第19話『メモリーズ』

 寝室を出たとき、扉の前には誰もいなかった。雫姉さんは耳元で囁いていたし、俺もできるだけ小さな声で話していたので、誰かが扉に耳を当てていたとしても、内容が知られていることはない……はず。

 リビングに戻ると、美優先輩達は白鳥家のアルバムを見ながら談笑していた。


「……あっ、由弦君とお姉様が戻ってきた」

「由弦。雫さんとどんな話をしていたの?」

「えっ? ええと……」

「ゆーくんは1個年上の女の子と付き合っているからね。姉だけど年上の女性として、美優ちゃんと仲良く付き合うアドバイスをしていたの」


 雫姉さんは落ち着いた様子でそう言う。まあ……嘘ではないかな。とんでもなく過激な内容だけど。

 雫姉さんが答えたからなのか、風花は「そうだったんですか」と言うだけで、それ以上訊いてくることはなかった。そのことに一安心。


「これは美優ちゃん達のアルバムかしら?」

「そうだよ、お姉ちゃん。朱莉ちゃんと葵ちゃんが持ってきたの。3人とも小さい頃から凄く可愛いの!」

「へえ、そうなの。どれどれ……」


 雫姉さんも白鳥家のアルバムを見る。写真が魅力的なのか、食い入るようにして見ている。


「本当ね! みんな、小さい頃から可愛い!」

「だよねー!」

「かわいいってたくさん言われると照れてしまいますね、葵」

「……うん」


 アルバムを通じて、美優先輩の妹さん達と俺の姉妹が仲良くなったようだ。先輩の恋人として喜ばしい。


「あぁ、可愛い写真をたくさん見られて幸せ。じゃあ、そのお礼も込めてこっちもアルバムを見せよっか」

「そうだね。お兄ちゃんから、美優さんがお兄ちゃんの小さい頃の写真を見たいとメッセージをもらったので、その写真を中心に持ってきました。主にお姉ちゃんが選びました。あと、ホームビデオをダビングしたDVDもあります」

「ありがとう! 動いている由弦君を見ることができるなんて夢みたい!」


 美優先輩、目を輝かせて興奮しているな。

 2人はアルバムだけじゃなくてホームビデオまで持ってきたのかよ。どんな内容なのか凄く不安になってきた。

 雫姉さんと心愛はアルバムやDVDを出すためにバッグを開けている。

 美優先輩達に見られるのは回避できない。夕食のときとかに笑われてもいいから、一緒に見ることだけは避けたい。よし……逃げるか。


「美優先輩。俺、夕食の焼肉の食料を買いに行きましょうか? こんなにもたくさん人がいるので、追加の材料が必要じゃないですか?」

「午前中の買い物でたくさん買ったから大丈夫だよ。特にお肉はね」

「……あっ、そういえば、由弦に美優ちゃん。2泊3日ここでお世話になるから、両親から食費を渡されていたんだった」

「私達の方も同じような理由で両親から渡されていましたね。忘れていました」

「2人ともありがとうございます」


 雫姉さんと朱莉ちゃんは、食費の入っていると思われる封筒を美優先輩に渡した。

 くそっ、夕食の材料を買うっていう手段はダメか。他に外出するいい口実はないものか。


「……そうだ。美優先輩。俺、これからショッピングセンターの方に行ってきます」

「えっ? 何か買いたいものがあるの?」

「今度、茨城の方へ旅行に行くので、そっちの観光ガイドの本を買おうかなと。俺、茨城の方に行くのは初めてなので……」

「観光スポットはスマホで調べれば大丈夫じゃない? あたしはそうするつもりだけど。それに、茨城県出身の美優先輩がいるんだから、先輩に訊けばいいんじゃない?」

「……そ、それもそうだなぁ」


 観光ガイドもいい口実だと思ったんだけどな。それに、家族旅行のとき、両親はガイドブックを買っていたけれど、俺はスマホで済ませることがほとんどだったな。


「……あぁ、なるほどね」


 風花はニヤリと不気味な笑みを浮かべる。そんな彼女を見て感付いたのか、花柳先輩に不気味な笑みが伝染する。

 そして、2人に手をぎゅっと握られる。


「由弦、アルバムやホームビデオを一緒に見るのが恥ずかしいんじゃない?」

「主役が一緒にいないとダメだよ。アルバムやホームビデオの解説が必要になる場面があると思うし」

「さすがは瑠衣先輩! いいこと言いますね!」


 くそっ、完全に俺の心が見抜かれてしまっている。それにしてもこの2人、意気投合させてはまずい組み合わせであることが分かったぞ。


「大丈夫よ、ゆーくん。ゆーくんが恥ずかしいと思う写真や動画は……多分ないから」

「その『多分』っていうのが不安なんだよ! 特に雫姉さんがレンズを向けたときの思い出にいいものがないんだ!」

「そう? 私はかわいいゆーくんの姿を写真や動画でたくさん収めただけだよ?」


 だから不安なんだよ、雫姉さん。


「美優はどう? 桐生君と一緒に見たいよね?」

「……思い出話もたくさん聞きたいから、できれば一緒に見てくれると嬉しいな」


 可愛らしい笑顔で美優先輩にそう言われてしまったら、ここから逃げてはいけない気持ちになってしまう。しょうがない、恋人からのお願いはちゃんと叶えよう。


「分かりました。一緒に見ますよ。ただ、バカにしたり、変に大笑いしたりとかしたら俺はすぐに寝室に行って、今日はずっとひきこもりますから」

「ありがとう、由弦君!」

「大丈夫だよ、由弦。バカになんてしないから」


 風花はそう言うけれど、正直、彼女と花柳先輩が最もバカにしてくる可能性が高いと思っている。逃げたいと思った俺のことを引き留めたし。

 まずはアルバムの方から見ることに。その際、美優先輩と隣り合って座る。

 姉さん曰く、俺中心の写真を時系列で貼ってあるとのこと。なので、最初のページには俺が赤ちゃんの頃の写真が貼られていた。


「うわあっ、由弦君かわいい……」

「体の大きな由弦も、さすがに赤ちゃんの頃は小さかったんだね」


 美優先輩や風花を中心に好評なようだ。

 ページをめくっていくにつれて、写真に写る俺も大きくなり、やがて妹の心愛が登場していく。小さい頃から写真を撮ることが多かったのか、それとも俺の写る写真をセレクトしたからなのか、雫姉さんはあまり登場していない。

 それにしても、意外とまともな写真ばかりで驚いたな。写真に写っている俺達のことを美優先輩は可愛いって言ってくれるし。

 実際は変な写真もたくさんあるんだろうけど、美優先輩達が見るからいい写真を姉さんが選んで、アルバムに纏めてくれたんだろうな。アルバムを見ることになったとき、不安に思い、逃げようと考えたことを申し訳なく思う。


「お姉様! この可愛い女の子は誰ですか?」

「私の服を着た由弦だよ」


 やっぱり、さっき風花と花柳先輩のことを振り払ってでも逃げるべきだったな。

 アルバムには、赤いワンピースを着せられ、白いカチューシャを頭に付けた俺が、はにかみながらピースサインをしている写真が貼られていた。


「とっても可愛いでしょ! まだまだこの頃は女の子みたいに可愛い顔立ちだったからね。私の友達が家に遊びに来たときは、洋服屋さんごっことかファッションショーということで由弦のことを着替えさせていたわ」

「そうだったんですか!」

「でも、この写真を見ると、雫さんが友達と一緒に由弦に可愛い服を着させたくなるのも分かる気がする……」


 分からなくていいよ、風花。あと、花柳先輩も朱莉ちゃんも葵ちゃんも、今の風花の言葉に深く頷かなくていいですよ。


「桐生君。とても可愛いと思うわ」

「霧嶋先生……」

「今も化粧したり、女性ものの服を着たりすれば、綺麗な女性になると思わせてくれるくらいに似合っているわ。そんな男の子は滅多にいないと思う」


 優しい笑みを浮かべながら霧嶋先生はそう言ってくれるけれど、胸に抱く想いは切ないものだった。

 幼き俺のワンピース姿について不評がなかったり、美優先輩が喜んでくれたりするのでよしとしておくか。そう考えるようにしないと、もう心が折れてしまう。

 その後もページをめくっていくと、俺にとっては恥ずかしい写真の割合が増えていった。こうして見てみると、俺って雫姉さんにいたずらされることが多かったと再認識する。段々と記憶も蘇っていって。忘れることって素晴らしいなと思う。

 恥ずかしいアルバムを見た後は、ホームビデオを観ることに。これについても、主に雫姉さんが、俺中心の映像を選んでDVDにダビングしたらしい。

 俺は美優先輩にしっかりと腕を抱かれ、ソファーに座って観ることになってしまった。

 アルバムと同じように、ホームビデオも俺の小さい頃から始まっている。こんなにたくさん撮ったと思う。あと、こちらにも女の子の服を着た俺が。


『ねえ、由弦。由弦にとって一番好きな人ってだあれ?』

『えっ? 雫お姉ちゃんと心愛だけど、1人だけは選べないよ……』

『心愛とお姉ちゃんだったら2人でいいんだよ。だから、泣かなくていいんだよ』

『……うん! お姉ちゃん大好き!』


「きゃあっ! 由弦君かわいいっ!」

「でしょう? こういう姿も見せてくれるから、ゆーくんのことが一番好きなんだ」

「あたしもお兄ちゃんのことが好きだよ」


 美優先輩と雫姉さん、心愛を中心に盛り上がっている。

 おい、幼き俺よ。笑顔で雫姉さんのことを大好きとか言っているけど、今の状況を知っても同じことが言えるか?


「ねえ、由弦。今の由弦にとって一番好きな人って誰かな?」

「……答える前に一つ問いたい。風花、どうして俺にスマホを向けているんだ?」

「今の由弦についても映像に残しておくべきかなって。大丈夫、ばらまかないから」

「……分かった。風花を信じるよ」


 俺は一度深呼吸をし、風花のスマートフォンに顔を向ける。


「俺が一番好きなのは美優先輩だよ」


 あと、今回のアルバムとホームビデオのことで雫姉さんのことがちょっと嫌いになった。

 美優先輩は顔を真っ赤にしながらもとても嬉しそうな笑みを浮かべて、


「私も由弦君が一番好きな人です」


 そう言って俺にキスしてきたのだ。彼女の唇はいつもよりも熱くなっていた。また、今の光景を見てか朱莉ちゃんや葵ちゃん、心愛が黄色い声をあげていた。

 今回のことを通じて、みんなで過去を振り返るととんでもなく恥ずかしい目に遭うこともあると学んだ。今後、アルバムやホームビデオを見るときは、なるべく美優先輩と2人きりのときにしようと心に決めるのであった。

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