第59話『あけぼの』

 4月20日、土曜日。

 目を覚ますと、薄暗い中、あまり見慣れていない天井が見える。……そうだ、普段と違ってリビングで寝ることにしたんだっけ。


「おはよう、由弦君」

「……美優、先輩……」


 気付けば、すぐ側で美優先輩が優しい笑顔で俺を見ていた。そんな先輩を見て緊張するけど、幸せな気持ちが勝る。この人のことが本当に好きなのだと改めて思う。

 壁に掛かっている時計を見たら、今は午前8時過ぎか。いつ眠りに落ちたのか分からないけど、結構寝た感じがする。


「おはようございます」

「おはよう。昨日よりは顔の赤みも減った気がするけど、体の調子はどうかな?」

「……昨日の夜よりは良くなっている気がします」

「それなら良かった。15分くらい前に起きて、由弦君の様子を見に来たんだ。ぐっすり寝てる由弦君の寝顔、結構可愛かったよ。だから、ずっと見てた」

「そ、そうですか」


 そんなことを言われたら、嬉しいと同時に恥ずかしくもなるじゃないか。体がまた熱くなってきた。


「由弦君、また顔が赤くなってるよ。本当に風邪がうつっちゃったのかな?」

「大丈夫ですよ! ほら!」


 俺はすっと立ち上がって、元気であることを示すために腕や脚を適当に大きく動かす。体の熱さと鼓動の激しさを除けば普段と変わりないな、うん。


「そこまでキビキビ動けるなら、とりあえずは大丈夫そうだね。ただ、調子が悪くなったらすぐに私に言うこと。風花ちゃんみたいに倒れちゃうのは嫌だから」

「分かりました」


 このままだと、美優先輩のことを考えすぎて、熱で倒れてしまうかもしれないけど。


「風花ちゃんの様子を見に行きたいな。もう8時を過ぎているし、行ってみても大丈夫かな」

「起きている可能性はあると思います。とりあえず、俺から一言メッセージを入れてみましょうか? それで起こしちゃうかもしれませんけど、確認する方がいいかなと」

「そうだね。じゃあ、確認してくれるかな?」

「はい」


 俺は食卓に置いてあるスマホを手に取る。

 スマホには霧嶋先生や花柳先輩、加藤、橋本さんから風花の容体について訊くメッセージが届いていた。彼らに昨日の夜の時点でそれなりに良くなったと返信してから、風花に対してお見舞いに行っていいかと確認のメッセージを送った。


「風花に確認のメッセージを送りました。あと、花柳先輩達から風花の体調を心配するメッセージが来ていたので、それなりに良くなっているって返信しました」

「そっか、ありがとう。私にも昨日、由弦君が寝た後に、瑠衣ちゃんや一佳先生から風花ちゃんの体調を訊くメッセージは届いたよ。だから、だいぶ良くなったそうだって返信しておいた」

「そうでしたか。余計なことをしちゃいましたかね」

「私だけよりも、由弦君からも同じような返事が届いた方がより安心していいんじゃないかな」

「……そうだといいです」


 ただ、風花のことを心配する人がこんなにもいるんだってことが分かった。きっと、風花のスマホには水泳部の人からもメッセージが届いていることだろう。

 ――プルルッ。

 スマートフォンが鳴ったので確認すると、風花から1件のメッセージが届く。


『来ていいよ。由弦が帰る前よりも体調が良くなったし』


 あのときよりも体調が良くなったんだ。良かった。


「美優先輩、来ていいですって。昨日の夜よりも体調が良くなったそうです」

「そっか、良かった……」


 美優先輩はほっと胸を撫で下ろしている。木曜日からの風花の異変を知っていたし、昨日は倒れた風花のことを学校まで迎えに行ったからな。

 ――プルルッ。

 うん? また風花からメッセージが届いたぞ。


『ところで、由弦は美優先輩に告白できたの?』


「はっ?」

「うん? どうしたの? またスマホが鳴ったけど」

「こ、広告メールが来ただけですよ」


 まったく、風花は。美優先輩にスマホの画面を見られなかったから良かったけど。昨日の夜に美優先輩が好きだと言って家に帰ったから、告白したかどうか気になっていたんだろうな。


「じゃあ、風花ちゃんの様子を見に行こうか」

「そうですね」


 寝間着のままではいけないと思い、部屋着へと着替える。その間に、美優先輩に気付かれないよう気を付けながら、


『今から行く。告白はしてない。』


 という返信を風花に送った。

 外に出ると、空は雲一つない青空が広がっており、風がとても気持ちがいい。深呼吸をするとドキドキや緊張が和らいでいく。

 美優先輩が102号室のインターホンを押すと、すぐに鍵の開く音がして、ゆっくりと玄関が開いた。

 中からは昨日と同じ水色の寝間着を着た風花の姿が。昨日までに比べれば顔色も大分良くなっていた。ただし、そんな彼女の目元がほんのりと赤い。


「おはよう、風花ちゃん」

「おはよう、風花」

「おはようございます、美優先輩、由弦。昨日は本当にありがとうございました。体調も大分良くなりました。さあ、中に入ってください」

「うん、お邪魔します」

「お邪魔します」


 俺は美優先輩と一緒に風花の家に上がる。

 風花は笑顔だし、美優先輩も一緒だけれど……昨日、風花にここで告白されて振ったことを思い出すと、何だか居づらいな。

 風花がベッドに腰を下ろすと、美優先輩はすぐに彼女と額を合わせる。昨日はああやって熱を測ろうとしたらキスされて、その告白されたんだよな。思い出したらまたドキドキしてきた。


「うん、熱は下がったね。顔色も普段とあまり変わりないくらいに戻ったし。一晩経って大分元気になって良かったよ」

「美優先輩の持ってきた薬のおかげですよ。あとはあたしが眠っている間、ずっと側にいてくれた由弦のおかげかな」

「……そう言ってくれて嬉しいよ」


 風花ったら、とても可愛らしい笑みを見せて。


「ところで、風花ちゃん。朝ご飯は食べた?」

「いいえ、まだ食べていません。実は昨日の玉子粥以降、まったく食べていなくて。30分くらい前に起きたんですけど、友達や水泳部の先輩方からメッセージが来ていたのでずっと返信していて。なので、お腹は結構空いています。もちろん、消化のいいおかずやお菓子を持ってきてもらったのは知っています。ありがとうございます」

「いえいえ。お腹が空いていて、体調も良くなってきているから、温かいうどんを作ろうかな。風花ちゃんは梅干しや大根は大丈夫?」

「はい、どちらも食べられます」

「分かった。じゃあ、梅おろしうどんを作るね。材料を取りに一旦家に戻るから。できあがるまで、由弦君は風花ちゃんのことを見ていてくれる?」

「分かりました」


 美優先輩は部屋から出て行った。そのことでこれまで以上に居づらい雰囲気に。

 風花と目が合うと、彼女は昨晩のことを思い出しているのか頬を赤くして露骨に視線を逸らした。ここは俺から何か話しかけるべきなのか。


「風花の体調が良くなってきて本当に良かったよ」

「……さっきも言ったとおり、2人のおかげだよ。まあ、心の方は一晩経ってようやく立ち直れそうな感じかな。由弦が帰ってすぐからずっと泣いて、その疲れでまたぐっすりと眠ったの」

「そうだったんだ。だから、目元が今もちょっと赤いんだね」

「……たくさん泣いたからね。実はさっき目を覚ましたときも、由弦がいないことが寂しくて泣いた。あぁ、こんな顔を由弦に見られて恥ずかしいな」


 そう言って、風花は笑う。ただ、恥ずかしいと言っている割には顔がそんなに赤くなっていない。


「それにしても、美優先輩にまだ告白できていないなんてね」

「風花に告白されたことで、美優先輩に好意を抱いているって自覚できたからさ。家に帰って美優先輩の姿を見たら、もうドキドキしちゃって。昨日は俺、リビングに1人で寝たよ」

「そうなんだ。……なかなか重症だね」

「芸能人以外に恋をするのは初めてなんだ。それもあって、好きだって告白した風花は凄いし、尊敬しているよ」

「そう言ってくれると何だか照れちゃうな」


 えへへっ、と風花は言葉通りの照れ笑い。そんな彼女を見ると、体調がだいぶ良くなったんだと実感する。


「ねえ、由弦。美優先輩に告白するのに協力しよっか?」

「……その気持ちは嬉しいけれど、自分の力で頑張って告白してみるよ。成功するかどうかともかく告白しようって昨日のうちに決断したし。あとは、告白する勇気だな」

「そっか。でも、由弦ならできるよ。それに、相手は由弦と一緒に住んでいる美優先輩なんだよ? きっと、成功するって。頑張れ、応援してるから」


 風花は右手を拳にして、俺の胸の部分にそっと当ててきた。そんな彼女はとても爽やかで可愛らしい笑顔を浮かべていた。

 その後、風花は美優先輩の作った梅下ろしうどんを食べる。本当にお腹が空いていたのか、いつも以上にガツガツと食べていて。そんな様子や、美味しいと笑顔で言ったことにとても安心した。

 また、美優先輩は風花のことを側でずっと優しく見ていた。そんな先輩を見てやっぱり彼女のことが好きだなと思う。

 俺が後片付けをして、美優先輩と一緒に102号室を後にする。その際、風花からウインクされた。頑張れってことかな。

 101号室に戻り、俺はリビングに敷いていたふとんを寝室に戻す。


「由弦君のふとんが寝室にあるといいね。昨日の夜は1人だったから寂しかったな。3週間前までは、それが普通だったのにね。たまに様子を見に行ったけど、昨日、由弦君が風花ちゃんの家で看病しているときも寂しかった。それだけ、由弦君との生活がいいんだなって思うよ」


 美優先輩は安堵の笑みを浮かべながらそう言った。

 俺がいなくて寂しいと先輩が言ってくれたんだ。その返事としても、俺も美優先輩への想いをしっかり伝えないと。そう思い、強く握った右手で自分の胸を軽く叩いた。


「美優先輩。俺も先輩との生活がいいなって思います。できれば、ずっと先輩と一緒に暮らしていきたいと思っていて。高校を卒業したら、住む場所は変わってしまうかもしれませんが」

「それって……」


 俺は美優先輩の両肩をしっかりと掴んで、顔を赤くしている先輩のことをじっと見つめる。


「俺は美優先輩のことが好きです。俺と恋人として付き合ってくれませんか」

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