第57話『君のとなり』
あけぼの荘に戻ってきた俺達は、風花の家である102号室へ。保健室で美優先輩が拝借した鍵を使って、102号室の中に入る。
「風花、家に着いたよ」
「……うん」
その声ははっきりとしたものではなかった。だから、俺への返事なのか、単なる寝言なのかは分からなくて。
勉強机やローテーブルには物が散乱しているけど、床の上には物やゴミが一切落ちていない。霧嶋先生の部屋を知っているから、ここはとてもまともに見える。
ベッドの上に風花を仰向けの形で寝かせる。10分ほどしかおんぶしていなかったけど、結構な開放感があるな。
「自分のベッドで横になったからか、保健室にいたときよりもちょっと楽そうだね」
「そうですね。安心感もあるでしょうし」
「自分のベッドっていいもんね。ちょっと汗を掻いているみたいだから、寝間着に着替えるついでに汗を拭かないと。寝間着はベッドの端にあるものでいいか。風花ちゃん、タオルはどこにあるかな?」
「……洗面所にあります」
「分かった」
美優先輩は洗面所へ向かう。
「由弦……」
風花は俺の方に視線を動かして、
「……お家まで連れてきてくれてありがとね」
「いえいえ。今日はゆっくりと休もう」
「……うん」
風花は柔らかい笑みを浮かべる。そんな風花のことを可愛いと思ってしまう。
美優先輩がバスタオルを持って部屋に戻ってきた。
「さあ、風花ちゃん。寝間着にお着替えしましょうね。汗も拭くからね。だから、由弦君は一旦、部屋から出てくれるかな」
「分かりました」
美優先輩の言う通り、一旦、部屋から出て風花の着替えを待つことに。
この間に掃除とかできればいいなとも思うけど、女性の家だから勝手に何かするのも気が引ける。今はただ待っていよう。
「風花ちゃん、拭くよ」
「……あっ、気持ちいい……」
「タオルがふわふわだもんね。それにしても、風花ちゃんの肌って綺麗だね。白くて、スベスベしていて。体のラインもいいし、これも部活でたくさん泳いでいるからかな」
「……先輩でも、そんなこと言われたら恥ずかしいです。下がる熱もずっと下がらないままですよ……もう。それに、体では先輩に勝てないですって。……胸とか」
「ふふっ。風花ちゃんは可愛いな」
まったく、扉の向こうに俺がいるというのに。俺の姿が見えずに、女の子しかいない空間だと、自然とそういう話をしてしまうのかな。途中で耳を塞ごうと思ったけど、結局できなかったことに罪悪感が。
「由弦君、お着替え終わったよ。入ってきていいよ」
「はい」
部屋の中に入ると、ベッドには水色の寝間着姿の風花が横になっていた。美優先輩に汗を拭いてもらったからか、さっきよりも少しスッキリしているように見える。
「風花、少しは楽になったかな」
「うん。……美優先輩、ありがとうございます」
「いえいえ。風花ちゃん、お腹は空いてる? 寝る前に消化のいいものを少し食べて、風邪薬を飲んだ方がいいと思っているんだけど」
「……ちょっとなら食べられる、かな。お昼ご飯もそんなに食べなかったですし、部活で何度か泳いだので」
「分かった。お粥がいいかな」
「……はい。台所にレンジで温めるだけいいお粥があるので、それがいいです。玉子粥が……いいかな」
「うん、分かった」
「俺が探しますよ」
お着替えは美優先輩が手伝ったのだから、今度は俺が動かないと。
台所の棚を探していくと、風花の言っていたお粥があった。普通のお粥と玉子粥があるけれど、風花のご希望である玉子粥を手に取る。かつお風味なのか。
「ありました」
「良かった。もしなかったら、家にあるお粥を持ってこようと思ってた。自分で作るのが辛いこともあるからね」
「ですね。俺も中学のときに風邪を引いたことがあるんですけど、そのときは両親は仕事、姉と妹は学校だったので自分で温めて食べました」
「そうなんだ。どこの家にもあるのかな?」
「どうでしょうねぇ。ただ、楽にできるのはいいですよね」
きっと、風花も今日のような日のために事前に買っておいたのだろう。
お茶碗に出して、レンジで3分。かつお風味が香る温かい玉子粥が完成した。
「風花、玉子粥持ってきたよ」
「……ありがとう、由弦、美優先輩」
「自分で食べられる? それとも、俺や美優先輩が食べさせようか?」
「……せっかくだから食べさせてもらおうかな」
「じゃあ、食べやすいように体を起こそうか」
美優先輩は風花の体を起こし、ベッドボードにより掛からせる形で座らせる。その際に風花が楽にしやすいようにするためか、風花の背中とベッドボードにクッションを挟ませた。
「これで大丈夫だね。私が汗を拭いたり、着替えさせたりしたから、今度は由弦君が風花ちゃんにお粥を食べさせる?」
「いいですよ。風花はそれでいいかな?」
「……いいよ。由弦が食べさせて」
「分かった」
スプーンで玉子粥を一口分すくい、ふーっ、と息をかけて冷ます。
「はい、風花。あ~ん」
「……あ~ん。……うん、美味しい」
風花は微笑みながらそう言う。
「そっか。お粥の熱さはこのくらいで大丈夫?」
「うん。ちょうどいい」
「分かった」
その後も、熱さに気を付けながら風花に玉子粥を食べさせていく。
こうしていると、雫姉さんや心愛の看病をしたことを思い出す。2人も俺がお粥を食べさせると、今の風花のように笑顔を見せて、たまに美味しいって言ってくれたな。
さっき、本人は少しだけなら食べられると言っていたけれど、お昼ご飯をあまり食べなかったり、水泳部で何度か泳いだりしたからか玉子粥を完食した。
玉子粥を食べ終わった後は、美優先輩が自宅から持ってきた風邪によく効くという薬を風花に飲ませた。
「お粥を食べて、薬を飲んだからこれでひとまず安心だね」
「ありがとうございます、美優先輩、由弦」
「今日はぐっすりと眠ろうね、風花ちゃん。玉子粥も完食したし、眠ればきっと元気になっていくよ。私達は家に帰るから、何かあったらいつでも――」
「待って。その……寂しいからここにいてほしいっていいますか。特に……由弦。実家なら自分の部屋に1人でいても家族が家の中にいるから大丈夫だけど、今は1人暮らしだからか1人きりだと不安で」
恥ずかしいのか、風花は頬を赤くしてふとんを被ってしまう。
美優先輩や俺が隣の家に住んでいるとはいえ、風花はここで1人暮らしている。そのことが寂しい気持ちを抱かせてしまうのだろう。
「分かった。しばらくの間は俺がここにいるよ。なので、美優先輩だけで家に戻ってください。何かあったら連絡しますから」
「うん、分かった。たまに様子を見に来るからね」
「はい」
「……由弦、ありがとう」
風花が眠ったことを確認して、美優先輩だけが101号室に戻り、俺はここで風花の看病をすることになった。
霧嶋先生に、無事に家に帰ったこと、お粥を食べて薬を飲んで眠ったこと、俺が看病をすることになったことをメッセージで送った。すると、程なくして先生から分かったという返信が届いた。
風花が眠っている間、何かしようと考え、101号室から今出ている宿題と読みかけの本を持ってきた。
風花が眠る側で、宿題を片付けていく。もちろん、定期的に彼女の様子を確認したり、額に乗せているタオルを替えたりながら。
美優先輩もたまに様子を見に来た。消化のいいおかずやお菓子を持ってくることも。
玉子粥を食べたり、美優先輩の持ってきた薬を飲んだりしたからか、風花はぐっすりと眠っていた。それもあってか、ここに持ってきた宿題は全て終わった。その頃には空が大分暗くなっていた。
「由弦、美優先輩……」
風花が起きたのかと思って彼女の方を見てみると、彼女はぐっすりと眠っている。家に帰ってきたときよりも安らかな表情になったので安心だ。
「……今はゆっくりして」
風花が起きてしまわないように、タオルを替えて、彼女の頭を優しく撫でた。
その後も本を読みながら、たまに風花の様子を確認していく。
こうしていると、普段とは違う時間を過ごしているなと思う。102号室で眠っている風花の隣で、1人の時間を過ごしている。ただ、元々はこの部屋に住む予定だったので、そういう意味では不思議な感じがする。
「……由弦」
「うん?」
気付けば、目を覚ました風花が俺のことを見ていた。
「おっ、風花。今は……午後9時半過ぎか。お粥を食べて、薬を飲んだからかぐっすりと眠ったね」
「……うん。もしかして、由弦はずっとここにいてくれたの?」
「ああ。宿題とこの本を取りに戻ったとき以外は、ずっとここにいたよ。たまに美優先輩も様子を見に来てくれて」
「そうだったんだ。……ちょっとお手洗いに行ってくる」
「うん。お手洗いまで1人で行けそうか?」
「……どうだろう。熱は下がっている感じがするから、だるさもなくなっているんじゃないかと思うんだけど……」
そう言って、風花はゆっくりと体を起こす。
「……体も重くないし、だるさも感じない。これなら大丈夫そう」
「それなら良かったよ。いってらっしゃい」
風花はベッドから降りて、部屋を出ていった。玉子粥を食べて、薬を飲んで、数時間ほど寝たからか随分と体調が良くなったようだ。
2、3分ほどして風花が部屋に戻ってきて、再びベッドに横になった。
「由弦、ずっと看病してくれてありがとう」
「お礼を言われるほどじゃないよ。風花がぐっすりと眠っているから、俺は今出ている宿題を全部片付けて、引っ越してきてからあまり読んでいなかった本をそれなりに読むことができたから。変かもしれないけど、俺がお礼を言いたい気分だよ。ありがとう」
「……それこそ、お礼を言われるほどじゃないって」
ふふっ、と風花は声に出して笑った。
しかし、そんな風花の笑みはすぐになくなり、しんみりとした表情に。
「……水曜日はごめんね。水泳部の先輩に由弦のことを訊かれたときに、とてもひどい態度を取っちゃって。そこからずっと由弦達に心配かけて。今日の放課後も、由弦にプールまで来なくていいって断ってさ。あたし……ダメダメだね」
風花の両眼には涙が浮かぶ。
「そんなことないよ」
「……優しいね、由弦は。ただ、今回体調を崩したのはそんなあたしへの罰なのかなって思ってる。実は昨日、今日といつもよりも眠れてなかったの。ひどいことを言っちゃったとか、心配かけちゃったなって考えちゃって」
思い返せば、風花の様子がおかしくなったのは、今週の水曜日に下校したときからだった。俺に不機嫌な態度を取ったり、美優先輩達にも心配をかけてしまったり。そのことで悩んでしまい、部活中に倒れるくらいまで悪くなってしまったんだ。
「……そうだったんだね。ただ、美優先輩も言っていたように、俺達は学校での繋がりだけじゃなくて、あけぼの荘で隣同士の部屋に住んでいるんだ。近くにいれば互いに迷惑をかけてしまうこともあるよ。心配をかけてしまうこともあると思う。それは覚えておいてくれるかな」
「……うん」
風花はゆっくりと頷くと、涙を流しながらも微笑んだ。その笑顔は彼女らしくとても可愛らしいものだった。
気も強い部分を見せることも多いけど、根はとても優しい。それ故に、今回のような事態に陥ってしまったのかもしれない。
「ねえ、由弦。お願いがあるんだけど」
「どんなことだ?」
「……今朝の美優先輩みたいに、あたしの熱を測ってほしいの」
「美優先輩みたいに? まあ、今は2人きりだしいいよ」
額を当てて熱を測るなんてこと、家族以外にやったことないから緊張するな。
俺はベッドに近づいて、ゆっくりと風花に額を合わせようとする。
段々と匂いも分かってきて、彼女の吐息が感じてきたときだった。風花の方から顔を近づけ、
――ちゅっ。
唇に温かくて柔らかいものが当たるのが分かった。まさか……これって。
唇に当たっているものが何か分かった瞬間に、風花との顔の距離が遠くなっていく。そのことで、風花がとても可愛らしい笑顔で、俺のことを見つめてきているのが分かった。そんな風花の唇はほんのりと湿っていて。
「……そもそもの理由はこれなんだよ、由弦」
「風花……」
「……初めてのキスを由弦にあげることができて本当に嬉しい。そう思うほどに、由弦のことが好きなんだよ。恋人として一緒にいたい。この102号室に由弦と住みたい。ずっと側にいたい。由弦のことが……大好きです」
風花は俺のことをぎゅっと抱きしめて、再び唇を重ねてくるのであった。
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