第55話『下り坂』

 今日の風花はいつもより元気がなさそうだった。なので、夜になって風花に「体調は大丈夫か」とメッセージを送った。すると、


『部活で疲れているけど、大丈夫だよ。ただ、体育もあったから、いつもより疲れが酷い感じもする。だから、今日は早めに寝るね。心配してくれてありがと』


 という返信が風花から届いた。そうか、今日は体育もあったから、いつもより疲れが溜まっているように感じるのか。


『今日はゆっくりと休んでね。何かあったら遠慮なく連絡してきて。早いけど、おやすみ』


 という返信を風花に送った。今日はたくさん寝て、また元気になってほしい。

 すぐに『既読』マークが付いて、風花から『おやすみ』というメッセージ付きの眠る猫のスタンプが送られてくるのであった。




 4月19日、金曜日。

 天気予報によると、今日はどんよりと雲が広がり、肌寒い日になるとのこと。暑かった昨日じゃなくて、今日に体育があれば良かったのにと思う。

 昨晩、風花に「何かあったら連絡していい」とメッセージを送ったけど、それ以降、風花から連絡が来ることはなかった。何事もなく、早く眠ったからだと信じたい。

 ――ピンポーン。

 インターホンが鳴ったので、美優先輩と一緒にモニターを確認してみると、そこには花柳先輩とマスクをしている風花がいた。これには美優先輩も心配そうな様子に。


「はい」

『おはよう、美優。迎えに来たよ』

「うん。すぐに由弦君と一緒に行くね」


 玄関を出たすぐ先に風花がいるのは分かっているけど、俺達はバッグを持って急いで玄関に向かった。

 玄関を開けると、そこにはさっきと同じように花柳先輩とマスクを付けた風花の姿が。美優先輩と俺が実際に目の前に現れたからか、風花は苦笑いをしているように見えた。


「……おはようございます。由弦、美優先輩」

「おはよう、風花ちゃん」

「おはよう、風花。マスクを付けているけど、具合が悪いのか?」

「昨日は由弦とメッセージをやり取りしてからすぐに寝たんだけどね。昨日よりもだいぶ寒くなったからか、喉の調子があまり良くなくて。だから、念のためにマスクを付けているの」

「そうだったんだ」

「健康診断から帰ってきた由弦君ほどじゃないけど、いつもよりも顔色が良くないから無理しないでね」

「あのときは酷かったよね、桐生君」

「いつもの由弦とは違いましたよね。……気を付けます」


 口元は見えないけど、風花の目を見ていると確かに笑っているのが分かる。美優先輩の言う通り、今の風花は普段よりも顔色が良くないように見えるな。あと、健康診断から帰ってきたときの俺って、今の風花よりも具合が悪そうだったのか。


「風花ちゃん、熱を測りたいから額を当てさせてもらうね」


 美優先輩は風花と額を合わせる。こういう光景はとても微笑ましい。


「ちょっと熱っぽい感じがするね。今日って2人のクラスでは体育はあるの?」

「いえ、金曜日に体育はないですね」

「そっか。なら良かった。あと、今日の部活も無理はしないようにね。水泳って結構体力を使うイメージがあるし。あと、水の中に入って体を冷やしちゃうだろうし」

「美優の言う通りね。今日みたいなときは練習するんじゃなくて、休むのもいいと思うよ」

「……分かりました」


 はあっ、と風花はため息をついた。普段よりも体調が良くないだけでなく、そのことで水泳も満足にできないと分かっているからだろう。


「由弦」

「うん?」

「……昨日の夜はメッセージありがとね。嬉しかった。あのときはお風呂に入って、宿題を何とか終わらせて、凄く疲れていたから」

「そうだったんだ。きっと、そのときの疲れが取れなくて急に寒くなったから、喉がおかしかったり、体が熱っぽくなったりしたのかも。無理はしないでね」

「……うん。さあ、みんなで学校に行きましょう」


 風花のそんな一言で、俺達は学校へと向かい始める。ただ、今日は風花に合わせていつもよりもゆっくりと歩いていった。



 学校に着いてすぐに、風花の体調があまり良くないことを加藤や橋本さんに伝え、特に風花の前の席である橋本さんには彼女のことを気にかけてもらうようにした。

 また、霧嶋先生も風花の様子に気付いて、彼女に話しかけていた。先生から、たまにでもいいから風花のことを気にかけてあげてというメッセージをもらった。

 今日はずっと風花のことが気になって、授業にはあまり集中できなかった。ただ、先生からメッセージをもらっていなくても、風花のことをずっと気にしていただろう。


 

 放課後。

 昨日と同じように、終礼が終わってすぐに俺は風花の席へと向かう。


「風花。放課後になったけれど、体の具合はどう? お昼も普段と比べたらあまり食べていなかったし」

「普段ほどの調子じゃないけど、お昼ご飯を食べたおかげで朝よりは元気になった気がするよ」

「私から見ても、午後になったらちょっとだけ良くなった気がする。午前中はため息が多かったけれど、それも少なくなっていたし」

「……そっか」


 橋本さんがそう言ってくれると、少し安心するな。本人も少しは体調が良くなったと言っているし、とりあえず部活するのは大丈夫そうかな。


「風花、水泳部の活動に行っていいけれど、体調には気を付けるんだよ。長い休憩を取るようにするとか、辛くなったら早退するとか」

「うん、分かってる。朝の時点で、今日の部活はそうしようは思ってた」

「それがいいと思う。……あっ、今日まで部活の見学期間だし、水泳部の様子も見学できるか。今日は用事もないし、宿題は週末にやればいいから、俺が観客席でずっと見ていようか?」


 俺がそんな提案をすると、風花はそれまで俺に向けていた視線を逸らした。


「……別にいいよ。あたしがあたしのやりたいことに時間を使うように、由弦には由弦のやりたいことに時間を使ってほしいから」

「だけど……」

「あとは部活だけだし、周りに部員もたくさんいるから大丈夫よ。それに、由弦が近くにいると、この前みたいにからかわれそうで……嫌だから」


 鋭い目つきで俺のことを見つめながら、風花はそう言った。水曜日の帰りのような迫力のある大きな声じゃなかったけれど、精一杯に言っていることが分かるからこそ、彼女の言葉が胸に刺さって離れない。

 ただ、風花はすぐにはっとした表情になり、


「……ごめん、言い過ぎた。とにかく、自分のことは自分でできるから。もし、何かあったら水泳部の子や顧問に言うから。だから、由弦はあまり心配しなくて大丈夫だよ。でも、あたしのことを気にかけてくれてありがとう。じゃあね」


 俺から逃げるようにして教室を後にした。彼女の姿が見えなくなった瞬間、何か一言でも言えることがあったんじゃないかと後悔が生まれる。


「大丈夫か、姫宮は」

「……大丈夫だと思いたいな」

「部活中、桐生君が常に近くに居ると、周りからからかわれそうで嫌だって思う気持ちは分かる気がする。ただ、近くで見守っていたいっていう桐生君の気持ちは嬉しいと思っていると思うよ。私も休憩時間とかに、屋内プールを覗けそうだったら覗いてみるわ」

「ありがとう、橋本さん」

「じゃあ、また月曜日にね」

「またな」


 加藤と橋本さんは一緒に教室を出て行った。橋本さんが風花のことを気にかけてくれるのは本当に有り難い。

 2人が教室からいなくなってからすぐに、美優先輩と花柳先輩が教室にやってきた。

 先輩方も、今は見学期間なので水泳部の様子を見に行こうか話し合っていたそうだけど、さっきの風花とのことを話して、行かないことにした。

 月曜日に出す宿題はあまりないとのことで、花柳先輩とはあけぼの荘の前で別れた。


「ただいま」

「ただいま~。一緒にこう言うのも慣れてきたね」

「ええ。あの、着替えたら、庭の草むしりやろうかなと思っているんですけど。俺も月曜日に出す宿題はあまりないですし、明日と明後日はお休みですから」

「それがいいね。今日は陽差しがあまりないから、やるにも暑くないし」

「ですね」


 俺達は一旦、家に中に入って私服に着替える。美優先輩と同じ部屋で着替えることも少しずつ慣れてきたけれど、未だに結構ドキドキするな。

 私服に着替え終わった俺達は外に出て、庭の草むしりを始める。以前と同じようにサブロウが桜の木の下で眠っていた。


「前に草むしりをしてから半月ほど経ちましたけど結構伸びてますね」

「そうだね。雑草は伸びるのが早いからね。緑があるのはいいけれど、これからはもう少し頻度を上げて草むしりしないといけないかも」

「ですね」


 草むしりをすれば庭も綺麗になるし、少しは運動になるし一石二鳥じゃないだろうか。こういうところで出会う生き物は恐くないし。

 今日は肌寒いけれど、草むしりをしているうちに体がポカポカしてきた。


「にゃー」

「もう、サブちゃんったら。今は草むしり中なんだよ?」


 美優先輩はサブロウというアイドルに草むしりを邪魔されているようだ。軍手を嵌めたままサブロウの背中を撫でているけれど、サブロウはとても気持ち良さそう。

 ――プルルッ。

 ズボンのポケットに入れたスマートフォンが鳴っている。確認してみると、橋本さんから1件のメッセージが届いている。風花に何かあったのかな?


『風花の様子を見に屋内プールへ行こうとしたら、風花が水着姿の女子生徒におんぶされて、屋内プールから出てくるところを見た。これからまた練習があるから、それだけ伝えておくね』


 風花がおんぶにされているところを見たって? まさか、体調を崩したのか?

 橋本さんにお礼のメッセージを送り、風花のスマートフォンに何度も電話をかけたり、体調はどうなのかというメッセージを入れたりする。しかし、風花が電話に出たり、メッセージに『既読』がついたりすることはなかった。


「どうしたの、由弦君。さっきからずっとスマホを持っているけれど。表情も強張っているし」

「橋本さんから連絡があって。風花が水着を着た女子生徒におんぶされて、屋内プールの建物から出たところを見たそうなんです」

「えええっ!」

「風花のスマホに電話をかけたり、メッセージを送ったりしているんですが、全然反応がなくて」

「体調が悪くなったのかな。嫌な予感しかしないね。今すぐに学校に行こう!」


 そう言って、美優先輩が軍手を外したときだった。

 ――プルルッ。プルルッ。

 霧嶋先生から電話がかかってきたのだ。橋本さんからのさっきのメッセージもあったから、どんな用なのかは何となくの予想がついている。ただ、これまで、連絡はメッセージで済ませていたので、先生の名前を見た瞬間に胸がざわついた。


「はい、桐生ですが」

『桐生君、今、どこにいるかしら?』

「今は美優先輩と一緒にアパートの庭の草むしりをしているところです」

『それなら良かった。じゃあ、服装は私服でもかまわないから、今すぐに白鳥さんと一緒に学校に来てくれる?』

「……もしかして、風花に関わることですか? 実は10分ほど前に、橋本さんから女子生徒におんぶされている風花を見たとメッセージが来まして」


 信じたくはないけど、橋本さんのメッセージがあったのでそう訊かざるを得ない。

 あと、美優先輩にも関わることになので、先輩にも先生の声が聞こえるようにスピーカーホンにする。


『……そうだったのね。実は……姫宮さんが、水泳部の練習中に倒れたの』

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