第54話『共同作業』

 終礼が終わってすぐに、俺は風花の席へ向かう。昨日のことを気にしてなのか、今日は普段よりも元気がなさそうで、俺と話すことが少なかったから。


「風花」

「……うん? どうかした? 由弦があたしのところに来るなんて珍しいじゃない。もしかして、水泳部に興味ある? まさか、あたしが泳ぐ姿をまた見たいの?」


 風花はニヤニヤしながら俺にそう言ってくる。普段とは逆だし、部活前だから風花がそう訊いてくるのも分かるけど。


「まあ……違うと言ったら嘘になるかな。ただ、いつもより元気がなさそうに見えたからさ。部活中は体調に気を付けてって言いたくて。体育のときも普段とは違って見えたし。無理しないでほしいんだ」


 風花の性格からして、体調が多少悪くても好きな水泳を頑張ってしまいそうだから。いつも言っているけど、今日は特に無理せずに練習に参加してほしいのだ。

 風花は落ち着いた笑みを浮かべて、


「ありがとう。確かに、普段よりはちょっと調子悪いかなぁ……って感じだから、今日は気を付けるね。それにしても、体育のときにあたしの方を見ていたんだ。男女別なのに。普段通りじゃないって言っていたってことは、見ていたのは今日だけじゃないんだね」

「男女で分かれていても、場所は同じ校庭だからな。風花は隣人で他のクラスメイトよりも関わりが深いし、つい見ちゃうことはあるよ。風花の髪は金色だから、遠くても結構目立つし。風花は運動神経がいいから、見ていて気持ちいいというか」

「……そっか。褒めてくれてありがとう。あたしも体育のときに由弦を見ることもあるよ。由弦は隣人だし、背が高いから目立つし。運動神経も……悪くないし」


 風花は頬をほんのりと赤らめ、俺をチラチラ見てくる。

 今まで、体育のときに風花と目が合ったような気がしたことは何度かあったけど、それは気のせいじゃなかったのかも。


「じゃあ、そろそろ部活の方に行くわ」

「うん、いってらっしゃい。無理せずに頑張ってね」

「分かってるって。じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日」


 風花は俺に手を振って、教室を後にしようとする。しかし、そのときに美優先輩や花柳先輩と鉢合わせになったため、2人にお辞儀をしてから姿を消していった。

 俺はバッグを取りに自分の机へと戻る。


「由弦君。いつもと違って風花ちゃんの席にいたようだけど、何かあったの?」

「今日は普段よりも元気がなさそうだったので、部活中は気を付けてって言いに行っていたんです」

「そうだったんだ。昼休みのときも普段の明るさがあまりなかったもんね」

「……そうね。謝ってからも少しの間は気にしちゃうこともあるし、とりあえずは見守ることにしようよ。時間が経つにつれて、少しずつ元気になるだろうし」


 花柳先輩は可愛い笑顔でそう言う。実体験があるからこそ言えるだろうし、風花のことを近くで見てきたから説得力があると思える。


「……瑠衣ちゃんの言う通りかもね。じゃあ、帰ろうか」

「そうですね」

「あと、由弦君。帰ったら一つ手伝ってほしいことがあるんだけど」

「どんなことですか?」

「アパート2階の小梅先輩の玄関前の電気が切れたから交換したくて。午後になってから、小梅先輩から電気が切れたってメッセージが来て。脚立を使えば私でもできなくはないんだけど、背の高い由弦君がしてくれると助かるなぁって」

「もちろんいいですよ。高いところの掃除とか、電球や電灯の取り替えは実家でもよくやっていたので」

「ありがとう、由弦君! 助かるよ」


 美優先輩はほっとした笑みを浮かべている。

 背が伸び始めた小学校高学年くらいの頃から、電球や電灯の取り替えをやるようになった。それに、美優先輩の家に住まわせてもらっているし、管理人としての仕事も手伝いたいと思っていた。

 俺達は3人であけぼの荘に帰る。

 電球を取り替えるのに3人は必要ないという判断と、課題をやるということで花柳先輩は101号室に残り、俺は美優先輩と2人ですることに。


「深山先輩の言う通り、彼女の家の玄関近くの電気だけ切れていますね」

「そうだね。他の電気は……全部点いているね。じゃあ、電球を一つ交換しよっか。電気を消してくるね。アパートの廊下のスイッチは管理人室でもある101号室にあるから」

「分かりました」


 美優先輩は101号室に戻る。

 そういえば、玄関近くにある俺が普段触らないスイッチを、美優先輩が朝や夕方に触ることがあるけれど、あれってアパートの廊下のスイッチだったんだ。

 それからすぐに全ての電灯が消え、美優先輩が101号室から出てきた。


「じゃあ、さっそく始めようか」

「はい」


 俺達は2階に上がり、201号室の横にある押し入れの中に入る。結構広いな。

 美優先輩曰く、ここには替えの電球などアパートの備品や工具などがあるという。


「ええと、まずは脚立だね。はい」

「受け取りました」

「ありがとう。あとは電球だね。ええと……あった。じゃあ、電気が切れているところに行こうか」

「はい」


 俺は美優先輩と一緒に、電気の切れている202号室の前に行く。

 背伸びをして、手を伸ばせばカバーには手が届くけれど、これだとキツいからやっぱり脚立があった方がいいな。

 組み立てた脚立に乗って、俺は電灯のカバーを取り始める。その際、反対側から美優先輩に脚立を支えてもらうことに。


「さすがは背が高いだけあって余裕そうだね」

「ありがとうございます。確かに、この脚立の大きさと天井の高さでは、美優先輩にはキツいかもしれませんね。ちなみに、今まではどうしていたんですか?」

「一番上に乗って、体を瑠衣ちゃんやあけぼの荘の女の子達に支えてもらってた。それで大丈夫だったよ」

「……それって危険なやり方なので止めた方がいいですね」


 よく今までケガをしなかったと思う。

 カバーと切れた電球を外すことができたので、それらを美優先輩に渡す。そのときの美優先輩は嬉しそうだった。


「こういうことをしていると、由弦君と一緒にこのアパートを管理にしているんだなって思うよ」

「ははっ、そうですか。101号室に美優先輩と一緒に住んでいますし、アパートに関するお仕事を手伝うことができて嬉しいですよ」

「ふふっ」

「あらあら、仲良く共同作業をしているのね」


 深山先輩の声が聞こえたのでゆっくりと振り返ってみると、そこには学校から帰ってきた彼女の姿が。微笑みながらこちらを見ている。


「頼んだ身なのに、帰ってくるのが遅くなってごめんなさい。図書室に行って本を借りてきていたの」

「いえいえ、気にしないでください。電球が切れているのを教えていただきありがとうございます。ちなみに、切れたのはいつだったんですか?」

「昨日の夜よ。コンビニに行こうとしたら切れているのに気付いて。ただ、夜やるのは危ないだろうから、すぐには伝えなかったの。でも、一晩経ったら忘れちゃって、午後の授業を受けているときにふと思い出したの」

「なるほどです」


 一晩経ったら忘れちゃうことはあるか。


「前に美優ちゃんと一緒に電球を取り替えたことはあるけれど、そのときに比べて桐生君は楽そうにしているわね。脚立も一番上に乗っていないし」

「美優先輩や深山先輩よりも背が高いですからね。あと、今後のためを考えて、この脚立よりも大きいものを1つ買った方がいいと思います。一番上に乗るのは危険なので」

「分かった、由弦君」

「前やったときは、私が美優ちゃんの体を抱きしめて支えていたのに。美優ちゃんは由弦君の体を抱きしめて支えないの?」

「それも……悪くないかもしれませんけど、由弦君に脚立を支えてほしいと言われましたので」

「こういうことは安全第一ですから」


 それに、美優先輩に体を抱きしめられたら、心地いいとは思うけれど、ドキドキしてしまって脚立から落ちてしまうかもしれない。そのことで美優先輩にケガをさせてしまうことが一番嫌なのだ。


「安全に越したことはないわね。頼んだ立場もあるし、電球の取り替えが終わるまでここで見守っているわ」


 そう言うと、深山先輩は腕を組んで仁王立ち。現場監督みたいだ。

 前からは美優先輩、後ろからは深山先輩に見られていると何だか緊張してくるな。手元が狂って電球を落としてしまったり、足を踏み外して脚立から落ちたりしないように気を付けないと。


「由弦君、新しい電球だよ」

「はい。……よし、これで取り付けることはできました。電気が点くかどうか試してみましょう」

「分かった。行ってくるね」


 美優先輩が101号室に戻るので、俺は一旦、脚立から降りる。


「桐生君ほどに背の高い人があけぼの荘に1人いると助かるわね。いつか、私の部屋の中の高い場所を掃除するときに手伝ってもらおうかしら」

「いつでも声をかけてくださいね」

「ありがとう。……あら、ちゃんと電気が点いた。電球は新品だし、カバーを嵌めてないからか、とても明るく感じるわね」

「ですね」


 ちゃんと取り付けることができて一安心だ。

 そういえば、実家で電球を取り替えたとき、スイッチをONにしたまま取り替えたことがあったな。そのときは、いきなり灯りが点いたから驚いて脚立から落ちたっけ。


「由弦くーん! 小梅せんぱーい! 電気点きましたかー?」

「点きましたよ!」

「私も確認したわ!」

「分かりました! ありがとうございまーす!」


 美優先輩がそう言うと、電気がすぐに消える。あとはカバーを取り付けて終わりか。


「電気点いて良かったよ、由弦君」

「ええ。あとはカバーを付けるだけなので、さっさとやっちゃいましょうか。美優先輩、また脚立の支えをお願いします」

「うん」


 俺は再び脚立に乗って、脚立を支える美優先輩から電灯のカバーを受け取る。このカバーは取り付けしやすいけど、背の低い人がやろうとするとキツいかもしれないな。


「はい、これで終わりです」

「ありがとう、由弦君」

「お疲れ様、桐生君」


 電球を取り替えただけなのに、美優先輩と深山先輩から拍手を贈られる。こんなことは今までなかったので嬉しい気持ちになるな。


「いえいえ。せっかく外に出ていますし、他に何かやることがあればやっちゃいましょうか? 例えば、草むしりとか」

「う~ん、お花見の前にやってから時間も経っているし伸び始めているけど、やるなら明日か週末でいいかな。それに、今は瑠衣ちゃんが家で課題をやっているから」

「分かりました。俺も明日までの課題が出ましたし、課題をやりましょうかね」

「うんっ! 一緒にやろうね」

「ふふっ、仲がいいこと。じゃあ、私はこれで」

「はい。受験勉強頑張ってくださいね」

「頑張ってください」


 俺達は脚立を片付けて、101号室に戻る。課題を放棄したのか、花柳先輩がプリントの上に突っ伏していた。

 花柳先輩を助けている美優先輩の横で、俺は自分の課題に取り組むのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る