第51話『ホットケーキ-前編-』

 4月17日、水曜日。

 昨日の採血のことがあってか、教室に行くと男子中心にクラスメイトから体調は大丈夫なのかと気遣われた。みんなが心配してくれるのは有り難いし、嬉しい気持ちもある。ただ、それと同時に、昨日はそんなにも酷かったのかと切ない気持ちにもなった。

 昨日、家庭訪問をしたときに大丈夫だと言ったのに、霧嶋先生は朝礼の間に何度も俺のことを見てきた。

 ここまでみんなに心配されると、本当に具合が悪くなりそうだったけど、特に授業中に体調を崩してしまうことはなかった。



 放課後。

 今日は水曜日なので、これから料理部の活動がある。美優先輩と花柳先輩が迎えに来てくれることになっているので、それまでは自分の席でゆっくりしていよう。


「今日は由弦も部活があるんだよね」

「そうだよ。今日はホットケーキを作るんだ。フルーツもそうだし、ココアや抹茶の粉も買ったから色々なものを作る予定だよ」

「ホットケーキか。久しぶりに奏の作ったホットケーキを食べたくなった」

「じゃあ、今度のゴールデンウィークにでも作ってあげるよ」

「ありがとう。楽しみが一つ増えた」


 相変わらず、加藤と橋本さんは仲がいいな。彼らがイチャイチャしているのをすぐ近くで見ても、不思議と鬱陶しさは全く感じられない。


「そっかぁ。いいなぁ」


 はあっ、と風花は元気のない笑みを浮かべながらため息をつく。これから水泳部の活動があるとはいえ、スイーツを食べられないのは嫌なのかな。


「この前みたいに、料理部で作ったものを風花にも作るからさ」

「……うん」


 風花の頭を優しく撫でると、さっきよりは元気のある笑顔になった気がした。もしかしたら、風花は料理やスイーツを食べるだけじゃなくて、俺や美優先輩が作っているところにいたいのかもしれない。


「休憩中にでも気が向いたら来てくれ……って言いたいけれど、水着姿じゃダメか」

「さすがにダメだろ、桐生」

「ダメね、桐生君。ただ、風花が特に気にしなかったり、むしろ興奮したりする性格だったら別だけど」

「そんなことないよ、奏! まったく、由弦は相変わらず変態だね」


 もう! と風花は俺の背中を思いっきり叩く。俺、水着姿じゃダメだと言ったのに。それに、叩くなら俺じゃなくて橋本さんのような。


「そろそろ、あたしはプールに行くわ。由弦も頑張りなさいね」

「ああ。風花も頑張って」

「俺達もグラウンドに行くか」

「そうね。じゃあ、桐生君、また明日ね」

「うん。みんな頑張ってね。また明日」


 風花、加藤、橋本さんは教室を後にした。今日は俺も部活を頑張らないとな。


「由弦君、お待たせ」

「一緒に家庭科室に行きましょう、桐生君」

「はい」


 美優先輩と花柳先輩が教室まで迎えに来てくれた。あの告白以降、花柳先輩が俺に向ける表情も柔らかくなったような気がする。

 俺は美優先輩や花柳先輩と一緒に、料理部の活動場所である家庭科室へと向かう。


「今日はホットケーキだね、由弦君」

「ですね。色々なホットケーキを作りたいです」

「買い出しのとき、桐生君と一緒に抹茶やココアや生クリームを選んだもんね。美優の作ったホットケーキを中心にたくさん食べたいな。そのために、お昼ご飯は少なめにしておいたの」

「そ、そうなんですね。お腹を壊さない程度に食べてくださいね」


 俺も一口でいいから、美優先輩の作ったホットケーキを食べたいな。

 そういえば、今日はまだ部活の見学期間か。できれば、男子生徒が1人でも入部してくれるといいなと思っている。部活に入っていなかったり、文化系部活や同好会に入ったりしている男子を誘ったけれど断られてしまった。美優先輩効果を期待したい。

 特別棟3階にある家庭科室に到着すると、そこには……先週いた部員の他にも新しい生徒が何人かいるな。新しい生徒達中心にこちらを見て興奮したり、黄色い声を挙げたりしている。先週いない生徒は全て女子で、男子は一人もいない。


「おっ、美優ちゃんに瑠衣ちゃんに由弦君、来たね。……今日も由弦君が来てくれて僕はとても嬉しいよ」


 汐見部長はそう言うと、俺の手をギュッと掴んでくる。言葉通りの嬉しそうな表情を浮かべて俺のことを見つめてくる。


「先週の部活が終わってすぐに入部届を出しましたし、月曜日の買い出しにもついていったじゃないですか。それなのに来ないわけがないですって」

「それでも、気に入っている子が来てくれると嬉しくなって、こうして手を握りたくなるんだよ」

「……そうですか」


 気に入ってくれているからか、汐見部長は本当に距離が近い人だと思う。今のところ、彼女と会った日は必ず一度はこうして手を握られているし。


「ちなみに、先週いなかった生徒さんが何人かいますけど、男子生徒はいるのでしょうか?」

「とりあえずはあっちにいる女の子達だけだね。入りたがっている男の子がいるって話も聞いていないし。由弦君は女の子だけじゃ不満かな?」

「いえ。ただ、男子がもう1人いればもっと楽しいかなと思っただけです。何人かクラスメイトを誘ったんですけど、断られてしまって」

「なるほどね。ただ、うちはいつでも部員を募集しているし、男子が入部する確率はゼロじゃないよ」

「由弦君の気持ちも分かるけれど、私や瑠衣ちゃん、汐見部長もいるから。一緒に楽しもうよ、由弦君」

「……そうですね」


 知っている人が1人もいないというわけではないのだ。花柳先輩、汐見部長、大宮先生。何よりも一緒に住んでいる美優先輩が一緒なんだから、十分に楽しめるだろう。


「みんな、授業お疲れ様。おっ、今日も新しい子が来ているね。嬉しいなぁ」


 大宮先生と霧嶋先生が家庭科室の中に入ってくる。


「成実ちゃん、こんにちは。おっ、一佳ちゃんも来たんですか」

「名前呼びは止めなさい……と言ったところで、汐見さんはもう直らないでしょう。新年度ですし、元号もまもなく令和ですから諦めるいい機会です」


 はあっ、と霧嶋先生はため息をついている。2年間も名前呼びを止めろと言い続けた先生は凄いと思う。


「今日片付けなければならない業務はもう終わったし、成実さんの誘いもあったので、今日は最初から料理部の活動を見守ることにしたの。それに、うちのクラスの桐生君も入部したから、彼がホットケーキ作りをしている様子を担任として見てみたいし」


 霧嶋先生は穏やかな笑みを浮かべながら俺のことを見てくる。今言ったことも本当だろうけど、一番は料理部で作ったホットケーキを食べたいからじゃないか?

 大宮先生が集合をかけ、家庭科室にいる全員が大宮先生の周りに集まる。


「これから、今週の料理部の活動を始めます。既に授業であたしのことを知っていると思いますが、改めて自己紹介を。料理部顧問の大宮成実といいます。部長さんと副部長さんも自己紹介しようか」

「部長である3年の汐見美鈴です。料理部は毎週水曜日に料理やスイーツを作っています。今日初めて来た子は、料理部がどんな感じなのかを知ってもらえれば何よりです」

「副部長の2年の白鳥美優です。今日の活動を見て、面白そうだなと思ったら是非、入部してみてくださいね」

「いい自己紹介ね。ありがとう。せっかくだから、一佳ちゃんも自己紹介しようか」

「えっ? 私は料理部とは関係ありませんが……いいでしょう。教師ですから。霧嶋一佳といいます。成実さんとは親しくしているので、たまに料理部には顔を出しています。私は文芸部の顧問をしているので、興味があったら月曜日と木曜日に部室棟に来てみてください。文芸部は1年中、新しい部員を募集していますので」


 しっかりと文芸部の宣伝をするあたり、さすがは霧嶋先生だな。そんな先生の自己紹介に、何人かの生徒がクスクスと笑っているけれど。


「一佳ちゃんもいい自己紹介だったね。さて、今日も活動を始めましょうか。今日作るのはホットケーキです。何人かの部員が月曜日に買い出しをして、いい材料や調味料を買うことができました。なので、今日は普通のホットケーキだけでなく、フルーツホットケーキ、抹茶ホットケーキ、ココアホットケーキも作りたいと思います。各自、好きなものを作ってください。今日、初めて来た子はとりあえず見学ね。作りたいなと思ったら、私や汐見さん、白鳥さんの誰かに言ってくださいね」

『はーい』


 先週のオムライスに比べたら、ホットケーキは作りやすいからな。先週は俺以外に見学した1年生は作らなかったけれど、今週は一緒に作る生徒も多いんじゃないかと思う。

 こうして、今週の料理部の活動が始まった。

 俺はホットケーキを焼くのではなく、まずはホイップクリーム作りをすることに。買い出しのときにホイップクリームの話をしたのは俺だし、フルーツ添えでも、抹茶でも、ココアでもホイップクリームがあると美味しいからな。

 美優先輩もいるテーブルで、俺はホイップクリーム作りを始める。


「あら、桐生君はホットケーキを作らないの?」

「まずはホイップクリームを作ろうと思いまして。きっと、みなさんが作るホットケーキにも合うと思いますし。それに、買い出しのとき、ホイップクリームを提案して生クリームを手に取ったのは俺なので」

「なるほどね。桐生君らしいと思うわ。ただ、ホイップクリームがあるといいわよね。私も好きよ」

「そうですか」


 それなら、より美味しいホイップクリームを作らないと。


「ところで、一佳先生はホットケーキを作らないんですか?」

「……わ、私は時間があるのでここに来た身だから。それに、部活は生徒が主役だから、私は作らないと決めているのよ、花柳さん」

「そう言ってますけど、本当はホットケーキを作ることができないだけじゃないんですか? そういえば、去年からここに来ている一佳先生を見てますけど、作ったところは一度も見たことないですよ。ね? 美優」

「う、うん。見たことないね……」


 美優先輩は苦笑いをしながらそう答える。

 というか、花柳先輩は霧嶋先生に言ってはいけないことを言ってしまった気がするぞ。俺も先生が料理が得意ではないことを知っているので、ホットケーキを作らないでいいように思える理由を言っているんだなとは思ったけど。


「やれやれ、瑠衣ちゃんは。言葉には気を付けた方がいいよ」


 隣のテーブルでホットケーキを作っている汐見部長が、静かな笑みを浮かべながら注意する。

 当の本人である霧嶋先生は……ああ、やっぱり。今の花柳先輩の言葉に不機嫌そうな様子を浮かべている。


「わ、私だって教師であり、大人なのよ。料理はそこまで得意じゃないけれど、全くできないというわけでもないの。いいわ、今日は時間があるし私も作る。成実さん、エプロンってありますか?」

「うん、あるよ」

「ありがとうございます」

「……一佳先生、無理はしないでくださいね。ホットケーキミックスの袋に書いてあるレシピ通りに作るといいと思います。あと、できないと思ったらすぐに止めてください。材料は多めに買いましたけど、限りはありますから」

「分かっているわ、白鳥さん」


 まさか、霧嶋先生も調理に参加するとは。美優先輩の提案で、先生には俺達のいるテーブルで調理させることに。


「さあ、ホットケーキ作りを始めるわ」


 霧嶋先生はスーツのジャケットを脱ぎ、大宮先生から受け取った赤いエプロンを身につける。土曜日に家に行ったときにもエプロン姿を見たけど、ワイシャツの上に着ているから今回も可愛らしい。

 正直なところ不安しかないけど、何かあったら、そもそものきっかけである花柳先輩に責任を取らせればいいか。


「きゃっ! こ、粉が……クシュン!」


「あっ! 危うくボールをひっくり返すところだったわ……」


 たまに、不安が膨らんでしまう霧嶋先生の言葉が聞こえてくるけど、俺は生クリーム作りをしていくのであった。

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