第52話『ホットケーキ-後編-』

「……お店で出てくるようなホットケーキとは明らかに違うものだわ」


 複雑な表情を浮かべる霧嶋先生。そんな先生の前に置かれているお皿には……黒い何かが乗っている。途中から焦げた匂いがしたけど、あれは焦がしてしまったホットケーキか。


「……霧嶋先生。一応訊きますけど、そのお皿に乗ったものは?」

「……ホ、ホットケーキのはずなのだけれど。黒くなってしまうなんて。おかしいわね。気付かない間にココアの粉をたっぷりと入れてしまったのかしら」

「私が時々見ていましたけど、ココアの粉は入れていなかったですよ」


 そう言う美優先輩の作ったホットケーキはとても綺麗にできている。ふんわりとしていて、焼き目もあって美味しそうだ。さすがは美優先輩。


「やっぱり、ココアの粉は入っていないのね。……ということは失敗ね。実はホットケーキを作ったのは、小さい頃に母や妹と一緒に作ったとき以来で。ごめんなさい、花柳さん。あなたの言葉にカチンときて、ムキになってしまったわ」

「いえいえ、あたしこそごめんなさい。言い過ぎました」


 花柳先輩は申し訳なさそうにそう言った。そんな先輩はココアホットケーキを焼いているところだ。今のところは特に焦げた匂いもせず、ちゃんとできているみたい。


「僕はホットケーキ作りを頑張る一佳ちゃんが可愛いって思ったよ。ただ、さっきは言い過ぎたね、瑠衣ちゃん」


 そう言いながら、汐見部長はプレーンのホットケーキに切ったフルーツを乗せ、俺の作ったホイップクリームをかけている。お店に出してもいいくらいに見た目が良く、美味しそうだ。スマホで写真を撮っている生徒もいる。


「一佳ちゃん。今回は失敗しちゃったけど、また作ってみる?」

「……いいえ、もう作りません。材料をムダにしてしまうだけでしょうから。あと、料理は休日に家でしようと思います。これまで通り、料理部では生徒達が作ったものを食べることにしましょう。ただ、簡単なことなら手伝おうかなと」

「ふふっ、そっか。料理を教えてほしいときはいつでもあたしに言ってきてね」

「ありがとうございます、成実さん」


 霧嶋先生の判断は堅実かな。ただ、いつかは先生の作った料理やスイーツを食べてみたいとも思う。

 あと、この焦げたホットケーキ、そのまま捨てるのはもったいないな。焦げているのは表面だけで、実は中身は食えたりして。ホイップクリーム作りで少し疲れているから、ちょっと食べたい気分になっている。


「霧嶋先生、そのホットケーキ、一口食べてみてもいいですか? ホイップクリームを作ったときにたくさんかき回したからか、お腹が空いちゃって」

「空腹で何か食べたい気持ちは分かるけれど、そういうときこそ白鳥さんや汐見さんが作ったようなホットケーキを食べた方がいいんじゃない?」

「それもそうですけど。ただ、せっかく作ったのに捨てるのはもったいないじゃないですか。それに、表面は焦げていますけど、中身は美味しいかもしれません。ホットケーキミックスがベースですし」

「……まあ、その可能性はゼロじゃないわね。では、試しに一口……どうぞ」

「はい。いただきます」


 フォークを取ってきて、俺は霧嶋先生の作ったホットケーキを一口サイズに切り分ける。中身はふんわりとしていないけれど、ホットケーキの色になっている。


「ほら、表面は焦げてますけど、中は食べられそうですよ」

「本当ね」


 表面の焦げた部分をフォークで取り除き、口の中に入れる。


「……うん。味は甘いホットケーキですね。ふんわり感はないですけど、普通に食べることができますよ。表面の焦げた部分を取り除けばいけるかと」

「どれどれ。……うん、食べられるわ!」


 自分で作ったものが食べられることが分かってか、霧嶋先生はとても嬉しそうだ。

 その後、美優先輩や大宮先生、ココアホットケーキを作り終えた花柳先輩も霧嶋先生のホットケーキを食べる。さっきまでは食べられないと思っていたからなのか、みんないい反応をしていた。


「桐生君。その……食べられるって言ってくれてありがとう」

「いえいえ。お腹が減っていた故の直感でしたし」

「それでも、とても嬉しかったわ」


 そう言って笑顔を見せる霧嶋先生はとても可愛い。

 コンロが空いたので、俺は抹茶のホットケーキを作る。こうしていると、実家で雫姉さんや心愛にホットケーキを作ったことを思い出すな。そのときは今のように抹茶味も作っていたっけ。


「手つきがいいわね、桐生君。落ち着いてもいるし」

「ありがとうございます」

「家で料理を作るときも今みたいに落ち着いていますね。彼の腕が分かっているので、台所に立っている姿を見ると安心できるんです」

「ふふっ、同居しているからこそ言える言葉だね、美優ちゃん」

「……ですね」


 ふふっ、と美優先輩は照れくさそうに笑った。

 実家でホットケーキを作っているときも、今みたいに俺の隣に立って話しかけていたな。特に心愛の方は。

 その後、抹茶のホットケーキを何枚か焼き、ホイップクリームを乗せたり、バターとはちみつをかけたりした。うん、なかなか美味しそうにできたな。


「抹茶のホットケーキ完成です」

「おっ、美味しそうにできたね、由弦君。記録用に写真を撮っておこう」


 汐見部長はデジカメで俺や美優先輩、花柳先輩の作ったホットケーキを撮っている。

 周りのテーブルを見てみると、俺が作ったホイップクリームをかけてくれている子が結構いて嬉しい。何人かからはお礼を言われた。

 記録用の写真を撮った後は、全員でホットケーキを食べることに。

 ただ、霧嶋先生はケーキ作りに失敗してしまい、さっき全員で食べてしまったので、俺が作ったバターとはちみつがかかった抹茶のホットケーキを渡した。


「うん、美味しくできてる。抹茶のホットケーキも美味しいでしょう、先生」

「そうね。甘くもあり、抹茶の苦味がほんのりと感じられていいわね。あと、このふんわり感はお店で出されたものみたいだわ」

「由弦君の作ったホットケーキも美味しそうだね。2人が食べているところを見ると私も食べたくなっちゃうな」

「では、一口ずつ交換しましょうか。俺も美優先輩の作ったホットケーキが美味しそうだなと思っていたので」

「もちろんいいよ! 瑠衣ちゃんも一口交換する?」

「うん! みんなで交換し合おうよ!」


 同じテーブルで食べている美優先輩、花柳先輩、霧嶋先生とホットケーキを一口ずつ交換していく。美優先輩の作ったプレーンのホットケーキも、花柳先輩のココアのホットケーキも美味しいな。3人もお互いのホットケーキを食べて満足そうだ。

 また、そんな俺達を見てか、汐見部長がフルーツホットケーキを持って乱入し、俺達に一口ずつ食べさせてきた。俺はいちご乗せの部分を食べさせられたけれど、いちごの酸味とホットケーキやホイップクリームの甘味がよく合っている。凄く美味しい。そのお礼に俺のホットケーキを一口食べさせた。

 顧問として他のテーブルを回っていた大宮先生もやってきて、霧嶋先生の前で大きく口を開けた。そんな大宮先生に霧嶋先生はクスッと笑い、抹茶のケーキを一口食べさせる。大宮先生も美味しいと言ってくれたので、作った人間として嬉しくほっとした。



 部活動が終わり、俺は美優先輩や花柳先輩、汐見部長と一緒に第1教室棟の昇降口へと向かう。先週とは違って、そこに風花の姿はない。


「今日のホットケーキ、とても美味しかったなぁ。由弦君の作ったホイップクリームもなかなか良かったし」

「ありがとうございます、汐見部長」

「今日見学に来た子も一緒にホットケーキを作って、何人かは入部すると決めてくれましたから大成功ですね」

「1年生が入ってくれるのは嬉しいけど、男の子は桐生君だけだね」

「ですね。3月に卒業した学年には男子生徒もいたそうですし、今年は女子が圧倒的に多かったということで。先輩方いますし、これからも部活を楽しめそうな気がします」


 顧問の大宮先生は優しいし、霧嶋先生も……料理やスイーツ作りでは不安要素がいっぱいだけれど、一緒にいると何かと楽しいから。今のままでも十分に部活を楽しむことができそうだ。


「あっ、由弦達だ」


 風花は何人かの女子生徒達と一緒に昇降口にやってきた。女子水泳部の人なのかな。


「風花も部活帰りかな」

「うん。今日もたくさん泳いだよ。それにしても、ホットケーキを作ったって分かっているからか、由弦達から甘い匂いが結構してくるよ」

「ホットケーキをたくさん作ったからかな。あと、仕事が早く片付いたからか、今日は最初から霧嶋先生もいて。先生も作ったんだけど、久しぶりだったみたいで焦がしてた」

「……先生も作ったっていう言葉を聞いた時点で、焦がしたってすぐに予想できたよ」

「ははっ、そっか。でも、表面が焦げているだけで、中身は食えたよ」

「そうだったんだ。今日も楽しく活動できたみたいで良かったね」


 そう言うと、風花は自分の下駄箱まで行き、上履きからローファーに履き替える。俺もそんな彼女について行き、ローファーに履き替えた。


「ねえねえ、風花ちゃん。本当のところ、こちらの彼とはどういう関係なの? 住んでいるアパートのお隣さんだって言っていたし、この前は部活の様子を見に来てくれていたじゃない」


 水泳部の人なのか、茶髪の女子生徒が後ろから風花を抱きしめながらそんなことを言ってくる。そんな彼女はニヤニヤしている。

 すると、風花は一気に頬を赤くして、


「ゆ、由弦はただのクラスメイトで、アパートの隣人ってだけですよ! それに、由弦は美優先輩っていう女性と一緒に住んでいるんですし。隣人なので入学前から付き合いがあるってだけで。あと、由弦は頭がいいので、たまに宿題を教えてもらっているというか。先輩が考えているような変な関係じゃないんですからね! 由弦もそこは覚えておいてよねっ!」


 とても不機嫌そうな様子で、俺や茶髪の女子生徒にそう言い放った。


「ふふっ、風花ちゃんったら可愛い」


 風花の頭を、茶髪の女子生徒が微笑みながら撫でている。

 先週、水泳部の様子を見に行ったし、その際には風花とも話したから、俺のことが部員の間で話題になることがあるのかも。


「あたし、先に帰るから! 先輩、行きましょう!」


 風花は不機嫌なまま水泳部の先輩の手を引っ張って、昇降口を後にしてしまった。一緒に帰ろうと思ったのにな。ただ、あの様子だと風花を追いかけない方がいいか。


「風花ちゃん……怒った感じで出て行っちゃったけど。大きな声で由弦君のことを言っていたし」

「水泳部の先輩に、俺との関係を訊かれて。その訊き方が変な感じだったからなのか、それとも俺がいる前だったからなのか……風花は怒った雰囲気で答えていたんです」

「なるほどね。由弦君や瑠衣ちゃんと一緒に水泳部の様子を見に行ったから、それで由弦君との関係を訊かれたのかも」

「美優の言う通りね」

「へえ、あの金髪の子は風花ちゃんっていうんだ。とても可愛い子だね。不機嫌そうに立ち去っていく様子を見て甘酸っぱく感じたよ。青春の1ページを見た感じだ」


 うんうん、と汐見部長は満足げな様子で頷いている。風花が可愛いことには同意するけど、あの一幕のどこに青春を感じたのか。俺にはよく分からない。

 さっき、風花は怒った表情を見せていたけど、一晩経てば大丈夫かな。今日のうちはそっとしておいた方が良さそうだ。

 料理部の先輩方3人と一緒に、学校を後にするのであった。

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