第45話『温かい涙』

 気付けば、部屋の扉が開いており、そこには美優先輩がいた。そんな彼女の後ろには風花や松本先輩の姿も。


「美優、どうして……」

「寝室から大きな音が聞こえたから、3人で様子を見に来たの。そうしたら……」


 自分に対する花柳先輩の気持ちを聞いたのか。

 きっと、2度目に胸元を掴まれ、俺が壁に背中をぶつけてしまったときの音が美優先輩達に聞こえたのだろう。それで、ここまで駆けつけたと。


「えっと、その、これは……」


 さっきまでの怒りの表情はなくなり、花柳先輩は顔を真っ赤にして、視線をちらつかせている。きっと、自分の想いを美優先輩に聞かれてしまったショックで動揺しているのだろう。花柳先輩の反応もあり、俺や美優先輩はもちろんのこと、風花や松本先輩も何か言葉を出すことはしない。


「……どういう流れで、私のことが好きな気持ちや、由弦君がここにいてほしくないって言ったのかは分からない。ただ、瑠衣ちゃんの気持ちはちゃんと受け取ったよ」


 美優先輩は先輩らしい優しい笑みを浮かべながらそう言った。

 そんな美優先輩の言葉に勇気をもらったのか、花柳先輩は美優先輩の方をじっと見つめる。


「……美優のことが好きだから、一緒に住んでいる桐生君のことが羨ましくて、悔しくて。溜まったストレスを彼にぶつけてた。それは今日だけじゃない。お仕置きをしたこともあった。でも、もう我慢できなくなって、美優への想いを彼に伝えたの」

「……そういうことだったんだね」

「まあ、本当にお仕置きされて仕方ないことも多少はありましたけど」


 ゴキブリを退治した際、全裸の美優先輩にずっと抱きしめられたことについてとか。あれについては風花にもお腹を殴られたしなぁ。

 美優先輩は今の花柳先輩の話を聞いて、怒った様子を見せることなく再び真剣な表情になって、花柳先輩のことを見つめる。


「そのことはちゃんと由弦君に謝ろうね。ただ、その前に……瑠衣ちゃんの気持ちに返事をしないといけないね」


 美優先輩は花柳先輩の手をぎゅっと握る。そのことで、花柳先輩の顔がさっき以上に赤くなって。緊張した様子が伺える。

 少しの間、無言になり、外の雨音だけが聞こえる時間が流れる。そのことで2人の緊張感に自分も包み込まれている気がする。


「……私のことを女の子として好きなのを知ったときは驚いたけれど、とても嬉しいよ。思い返してみれば、瑠衣ちゃんは可愛い笑顔をたくさん見せてくれたね。教室や家庭科室やお互いのお家とかで、2人でたくさん楽しい時間を過ごしたね」

「……うん」


 すると、美優先輩は花柳先輩の手を離して深く頭を下げる。


「でも、ごめんなさい。瑠衣ちゃんと恋人として付き合えません。あと、これは私のわがままになっちゃうけれど、これからも親友でいてくれますか?」

「……もちろんだよ!」


 花柳先輩は美優先輩のことを抱きしめて、彼女の胸の中で声を挙げて泣いた。きっと、恋人として付き合えないことの悔しさと、これからも親友としていられる嬉しさが交じっているのだろう。そんな花柳先輩の頭を美優先輩が撫でる。

 2人の様子を見て、風花も松本先輩もほっと胸を撫で下ろしている。

 美優先輩と花柳先輩はこれまで通りの関係でいることに、やけにほっとしてしまう自分がいた。抱きしめ合っている2人を見て、ようやく気持ちが落ち着く。


「さあ、風花ちゃん。私達はリビングに戻って勉強を再開しようか。私でも教えられることがあるかもしれないし」

「ありがとうございます!」

「……自信はないけどね」


 あははっ、と快活に笑いながら松本先輩はリビングへと戻っていった。風花も俺と目が合うと笑顔になって一度だけ頷き、リビングに戻った。

 涙のピークは過ぎたのか、花柳先輩の泣き声が少しずつ収まってきている。


「思い返してみれば、瑠衣ちゃんは私にスキンシップすることも結構あって。特に2人きりのときは。それも私のことが恋愛という意味で好きだったからなんだね」

「……でしょうね」


 美優先輩と寄り添い合って幸せそうにしている花柳先輩の姿……目に浮かぶな。

 花柳先輩はいつまでもそういったことのできる関係になりたかった。そんな中で俺が現れて、美優先輩と一緒に過ごし始めたら……邪魔だと感じたり、羨ましく思ったりするのは当然か。

 ようやく泣き止んだのか、花柳先輩は美優先輩の胸から顔を離す。たくさん泣いたこともあってか、彼女の目元が真っ赤だ。


「……ごめんね、美優。いっぱい泣いちゃって」

「ううん、気にしないで。それに、謝るべき相手はすぐ側にいるでしょう?」

「……うん」


 花柳先輩は俺の目の前に立ち、ゆっくりと俺のことを見てくる。ここまで汐らしい彼女を見るのは初めてだな。夢じゃないかと思えるほどだ。


「……今まで、色々と酷いことをしてしまってごめんなさい」


 そう言って、花柳先輩は俺に向かって深く頭を下げた。そんな彼女に美優先輩は優しい笑み浮かべて肩に手を添えた。


「俺の存在が気に入らないということは理解できます。だからといって、ストレスを解消するためにお仕置きをしないでくれると嬉しいです。ただ、さっきも言ったとおり、故意であるかどうかは関わらず、美優先輩を傷つけるようなことをしてしまったら、そのときは美優先輩の親友として俺にお仕置きをしてください。そのときはちゃんとお仕置きを受けて、反省して、直します」

「由弦君……」

「……花柳先輩のような人が近くにいてくれた方が、本当に楽しい生活を送ることができると思いますから」

「……そうだね」


 美優先輩は頬をほんのりと赤らめながらも可愛らしい笑みを浮かべる。

 何かあったときに、叱ってくれる人が近くにいた方がいい。それは花柳先輩だけじゃなくて、風花や霧嶋先生達にも当てはまるけれど。


「ありがとう、桐生君。これからはあなたに八つ当たりしないように……できるだけ気を付ける」

「よろしくお願いします」


 できるだけって言うところに若干の恐さがあるけれど。俺の方も気を付けるようにしよう。


「……ねえ、美優。もしよければ、あたしの告白を断った理由を教えてくれるかな。あたしとは恋人よりも親友の方がいいと思ったから?」


 花柳先輩がそう問いかけると、美優先輩は静かな笑みを浮かべる。


「瑠衣ちゃんは可愛い女の子だと思うよ。でも、恋愛感情とか恋人とかそういったことを全然考えたことがなくて。ただ、親友としてずっと繋がっていることのできる子だって出会った直後から思っているよ。告白されて嫌じゃなかったし、正直キュンともなった。でも、恋人になるのは瑠衣ちゃんじゃないって思ったの」

「……そうなんだ。理由が少し分かって、ちょっとスッキリしたかな。ただ、気持ちに区切りを付けるためにも頬にキスさせて」


 花柳先輩は美優先輩の頬にキスした。

 そのことに美優先輩は眼をまん丸くしていたけど、すぐに照れくささが交じった笑みを見せる。

 花柳先輩は再び両眼に涙を浮かべる。しかし、彼女自身が言っていたように、それまでと比べてスッキリとした雰囲気になっていた。


「美優の頬、何度も手で触れたことはあるけど、唇だとより柔らかく感じたよ」

「そ、そうかな?」

「……うん。だから忘れないようにする」


 花柳先輩の視線が美優先輩から俺に向けられる。


「桐生君。あたしの好きな美優と一緒に住んでいるんだから、美優のことをたくさん笑顔にしなさい。もちろん、嫌がることはしないようにね」

「分かりました」

「私も由弦君がここで気持ち良く生活できるために頑張るからね!」

「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう」


 俺は美優先輩の頭を優しく撫でる。すると、すぐに先輩は満面の笑みを浮かべて。本当にこの人は可愛らしくて、名前の通り美しくて優しい人だと思う。


「そろそろ、リビングに戻って勉強を再開しましょうか。風花ちゃんと杏ちゃんが困っているかもしれないし」

「そうだね」


 リビングに戻ると、美優先輩が言ったように、風花と松本先輩は宿題に苦戦していた。なので、風花には俺が、松本先輩には美優先輩と花柳先輩が助けることに。

 それからは花柳先輩の告白について誰にも話題に出すことはなく、穏やかに勉強会が進んでいったのであった。



 また、以前に風花と約束したのもあり、夜ご飯は風花の家で3人分のオムライスを作った。

 風花も美優先輩も、何度も美味しいと言ってくれて。そして完食してくれてとても嬉しかったのであった。

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