第46話『週明けの彼女は。』

 4月15日、月曜日。

 1週間の始まりの日は気が重くなることが多い。今日も目を覚ましたときはそうだった。けれど、美優先輩の姿を見て、目が合った瞬間に彼女が笑顔になると気持ちが軽くなっていく。

 昨日、偶然ではあったけど、花柳先輩は美優先輩に好意を伝え、フラれてしまった。なので、これまで通りに家に迎えに来るかどうかが分からなかった。そのことについては美優先輩も心配していた。しかし、


「美優、桐生君、おはよう。迎えに来たわよ」


 いつもと同じくらいの時刻に花柳先輩が迎えに来てくれた。ただ、昨日のことがあったからか、今までとは違って穏やかな雰囲気になっていた。

 今日も美優先輩、風花、花柳先輩と4人で学校へ向かう。徒歩数分で陽出学院高校に到着するので、いつもはあっという間だけど、今日はとても長く感じた。普段と違って、交わす言葉が少なかったからだろうか。


「さすがに元気なかったね、瑠衣先輩」


 4階で先輩方と別れてすぐに、風花がそんなことを口にした。いつも一緒に学校に行っているし、昨日の告白の場にもいたから気にしていたのか。


「そうだね。昨日、告白があってフラれたばかりだから仕方ないよ。ただ、こうして一緒に学校に行くことはできたし、少しずつでも元気になっていくんじゃないかな」

「そうなると信じたいね。それにしても、昨日、瑠衣先輩が由弦にぶつけた言葉を聞いたときはドキドキしたな。由弦はどう思った?」

「……別の意味でドキドキしていたよ」


 あそこまで怒りを剥き出しにされて、迫力のある声で想いをぶつけられてしまったら、恐いという意味でドキドキせざるを得ないだろう。それに、偶然とはいえ、好きだという想いが美優先輩に届いたことが分かった瞬間、心をキュッと掴まれた感じがした。


「そっか。……どんな形であれ、好きな人に好きだっていう想いが伝わるのって、とても大きなことだって思うよ」

「……そうだね」


 好きだと告白するということは、これまでの関係を変えたいということだから。成功すれば恋人という関係になれるからいいけど、失敗すればこれまで築いてきた関係が崩れる可能性は十分にあるのだ。

 昨日の花柳先輩の告白は失敗してしまったけれど、美優先輩からこれまで通り親友でいようと言った。それを花柳先輩は受け入れた。だから、2人ならこれからもずっと親友としての関係を続けることができるだろう。


「ちなみに、由弦って誰かに好きだって告白したり、されたりしたことはあるの?」

「告白したことはないけど、されたことは何度かあるよ。ただ、恋人として付き合いたいほど魅力的な人はいなかったら全て振ったよ。もちろん、今までに恋人として付き合ったことのある人はいない」

「そうなんだ。あたしも告白したことはないな。告白されたことは1度だけあるけど、恋人になるなんて考えられなかったら振ったの。そっか、由弦と同じか……」


 ふふっ、と風花は嬉しそうに笑った。

 1年3組の教室に入って、加藤や橋本さんが俺達に話しかけてくると、今週も学校生活が始まるんだなと実感する。今週は平和な1週間であってほしいものだ。明日、健康診断の採血というとても不安なイベントが待ち受けているけれど。


「ほら、朝礼を始めるので、早く自分の席に着きなさい」


 土曜日のことがあったので、霧嶋先生の様子が心配だったけれど、これまでと特に変わっていなくて安心した。

 しかし、俺と目が合った瞬間、霧嶋先生の頬がほんのりと赤くなった。土曜日に酔っ払ったときのことを思い出しているのだろうか。それから、朝礼が終わって先生が教室を後にするまで、彼女と目が合うことはなかった。

 ただ、今日の現代文の授業になると、霧嶋先生と目が合うことはあって。そういったとき、彼女は露骨に頬が赤くなって、はっきりと視線を逸らした。そんな彼女が何だか可愛らしく思えるのであった。



 放課後。

 今日も終礼が終わるとすぐに、加藤と橋本さんのことをサッカー部へと送り出した。今朝、橋本さんは週明けだからと気怠そうにしていたのに、放課後になった瞬間に元気になったな。


「2人とも元気に教室を出て行ったね」

「そうだね。風花も最後の授業が終わった瞬間に元気になったように見えたけど」

「だって、あと少しで泳げるからね。土日はしっかりと休んだから、今日はたくさん泳ぎたい気分だよ! あと、明日は健康診断で授業がないからね。実質休みだよ」

「確かに、翌日に授業がないと気楽でいいよね」


 健康診断には採血があるので、個人的には微妙な気分だけれど。針が刺さるので痛いのは覚悟している。気分が悪くならないことを祈ろう。


「今日も練習を頑張ってね」

「うん、ありがとう! たくさん泳ぐぞ」


 土日の活動がないと、心身共に休むことができて、平日の活動をしっかりと取り組むことができていいのかもしれない。


「桐生君。姫宮さん」


 霧嶋先生がいつものキリッとした様子で、俺達のところにやってくる。


「一佳先生、現代文のときに、あたしと目が合うと顔が赤くなってましたよね」

「風花も? 俺に対してもそうだったよ」

「……2人のことを見ると、土曜日のことを思い出してしまって。本当に色々な醜態を晒してしまったわ。恥ずかしい」


 はあっ、と霧嶋先生は小さくため息をつく。そんな彼女の頬はほんのりと赤くなっている。


「2人とも、土曜日のことは誰にも話していないわよね? 部屋のこともそうだし、酔っ払ったときの私のことも」

「もちろんですって! あたし、口は堅い方ですから」

「……そういえば、そう言っていたわね」

「俺も風花や美優先輩以外の誰かがいるときは話さないようにしています」

「そうなのね。2人ともありがとう。まあ、今日学校に来てから、誰かに家のことを訊かれたなんてことはなかったから、2人や白鳥さんが話していないとは思っていたけれど」


 そう言う霧嶋先生はほっと胸を撫で下ろしている。そのときに見せる彼女の表情は先週までと比べて柔らかい感じがした。


「一佳先生、あたし達を家に呼んだんですし、これからは徐々に解禁していくつもりなんですか?」

「……徐々にね。ただ、一昨日、3人に部屋を綺麗にしてもらったこともあって、昨日は成実さんを家に招待したわ。雨だったけれど、成実さんは嬉しそうな様子で家に来たわ。家にいるときは特に引かれてしまうようなこともなく。同僚の先生が遊びに来るのもなかなかいいものね。相手が成実さんだったからかもしれないけど」

「そうだったんですか。良かったですね、一佳先生」

「ええ。……改めて、一昨日はありがとう」


 昨日は大宮先生を家に呼んだんだ。学校や家庭訪問のときも仲が良さそうだったし、同僚の先生の中では一番呼びやすいのかな。

 一昨日、霧嶋先生の家を掃除したことで、部屋が綺麗になっただけでなく、先生の気持ちにもいい影響があったようで良かった。


「ただ、一昨日の夕方に電話したように、お酒で酔ったときの行動は本心じゃない部分もあるからね。もちろん、桐生君があけぼの荘から離れるよう学校から言われたときは、担任として何とかしたいとは思っているわ。あと、姫宮さんや白鳥さん、桐生君達が教え子になって幸せだなっていうのは本当だし……」


 霧嶋先生は顔を真っ赤にして、視線をちらつかせている。本当に生徒想いの可愛らしい先生なんだなと思う。


「幸せだと思ってくれる一佳先生が担任であたしは幸せですよ。由弦もそう思うよね?」

「幸せは大げさだけれど、いい先生が担任になったと思うよ」

「もう、由弦ったら照れ屋さんなんだから」


 俺は素直に言っただけなんだけどな。

 風花は嬉しそうな笑みを浮かべながら霧嶋先生の頭を撫でる。そのことに先生は更に顔を赤くするけれど、風花の手を振り払うようなことはしない。


「ふふっ、一佳先生は可愛いな」

「……が、学校では頭を撫でたり、可愛いと言ったりするのは止めなさい。恥ずかしいから。それに、姫宮さんは水泳部なんでしょう? 早く屋内プールに行きなさい」

「はーい。一佳先生も早く文芸部の方に行ってくださいね」

「そうね」

「じゃあ、さようなら。また明日です」


 風花が教室から出た瞬間、美優先輩や花柳先輩とバッタリと出くわした。風花は2人に軽く頭を下げ、手を振って教室を後にしていった。


「由弦君、今日もお疲れ様」

「お疲れ様です、美優先輩、花柳先輩」

「……白鳥さん」


 霧嶋先生は美優先輩を呼ぶと……何か耳打ちしているようだ。


「大丈夫ですよ。ただ、成実先生とはちょっとだけ話しました」

「それならよろしい。私は文芸部の活動があるからこれで失礼するわ。明日はうちのクラスも、2人のクラスも午前中に健康診断があるから、朝食を食べてしまわないよう気を付けるように。では、さようなら」


 霧嶋先生は足早に教室を後にした。今の2人のやり取りからして、土曜日のことを話していないかどうか確認していたんだな。

 あと、明日の午前中に健康診断があるから、今日の午後11時以降は何も食べてはいけないことになっている。飲んでいいのもお水か緑茶くらいだったかな。採血される上に空腹状態か。なかなか辛そうだ。


「由弦君、今日はどこか見に行きたい部活や同好会はあるかな? あとは行っておきたい建物とか」

「いえ、特にないです」

「じゃあ、今日は私達と一緒に料理部の買い出しに行ってみる? 今はまだ見学期間だし、1年生の子は買い出しには参加しないことになっているけど」

「料理部に入部しましたし、他に気になるところはありませんから一緒に行きますよ。買い出しの雰囲気も知っておきたいですし。それに、荷物持ちもできますので」

「分かった。じゃあ、一緒に買い出しに行こうか」

「……荷物持ち、期待しているからね」


 花柳先輩は優しい笑顔で俺にそう言ってきた。美優先輩が隣にいる状態でこういう表情を見せられるなら、とりあえずは大丈夫そうかな。

 俺達は家庭科室に行くために教室を後にするのであった。

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