第40話『追跡』
4月13日、土曜日。
この1週間、授業や部活見学の日々を過ごしたから、休日を迎えられたことをとても嬉しく思う。ゆっくりと休めればいいな。
「ようやく土曜日だぁ」
「嬉しそうだね、風花ちゃん。はい、緑茶だよ」
「ありがとうございます」
今日は朝から風花は家に来ており、今は食卓の席で美優先輩の淹れた日本茶をすすっている。
「美味しいですっ」
「ありがとう」
「……あのさ、風花。水泳部って休日に活動はあるのか?」
「ううん、ないよ。ただ、大会が近くなると土日も活動するよ」
「そうなんだ。休日に休めるのはいいね。てっきり、女子テニス部みたいに休日もたくさん活動するのかと」
「部活によって方針が違うからね。それに、水泳は体力の消耗が激しいし、休息をしっかりと取らないといけないから」
「なるほどな」
それで、水泳部は平日にしっかりと練習して、休日はお休みするのか。定期的に休息の日を設けているのはいいと思う。
「ねえ、由弦君、風花ちゃん。これから一緒に買い物に付き合ってくれるかな? ここから歩いて15分くらいのところにあるスーパーなんだけどセールをやっていて。そこで食材とかを買いたいと思っているの」
「そうなんですか。もちろんいいですよ」
「お供します!」
「2人ともありがとう! お礼に風花ちゃんの分のお昼ご飯も作るからね」
「ありがとうございます!」
今週も美優先輩と風花と3人一緒にお買い物か。ただ、先週とは違って、今週はスーパーで食料品を買うのが目的だけど。
さっそく、休日セールをやっているスーパーに向けて出発する。
4月の半ばということもあって、陽差しも温かく、穏やかに吹く風が涼しい。まさにお出かけ日和と言えるだろう。15分ほどかかるそうだけど、爽やかな気候なので、むしろそのくらい歩いた方がいいと思えるくらいだ。
「これから行くスーパーは、たまにしかないけどセールをやるときがあって、お花見の前日に行ったスーパーよりも安くなる食料品があるの。瑠衣ちゃんに教えてもらったんだ」
「そうなんですか。引っ越した先で、ずっと住んでいる友達がいると心強いですよね。もちろん、あけぼの荘には先輩方がたくさん住んでいることも」
「ふふっ、そうだね、風花ちゃん。私も伯父夫婦が近所に住んでいるけど、1年前にあけぼの荘に住んで管理人を始めたときは、小梅先輩がいたことが大きかったな。もちろん、同じタイミングで入居した莉帆ちゃんや杏ちゃん、白金君もね」
「同学年の生徒があけぼの荘にいるっていいですよね。あたしも由弦がいて心強いと思っていますし。宿題とかクモ退治っていう意味で」
「……お役に立つことができて何よりだよ」
このまま役立つジャンルが広がっていって、使い勝手のいい風花の便利屋になってしまわないかどうかが心配だ。
ただ、引っ越した先に学校の先輩がいたり、同じタイミングで引っ越してきた同級生がいたりするのは心強い。もし、美優先輩や風花達が近くにいなかったら、伯分寺市での生活がこんなにも早く慣れることはなかっただろう。
美優先輩や風花と話したことと、気持ちのいい気候もあって、あっという間にスーパーに到着した。
「土曜日でセールということもあってか、人もそれなりにいるね」
「そうですね。3人一緒というのも効率が悪そうですし、買いたい飲み物や調味料とかがあれば、あたしが持ってきましょうか?」
「お願いしようかな。じゃあ……」
美優先輩はチェックしたチラシを風花に見せている。風花はそれをスマホで撮っていた。
「では、飲み物売り場に行ってきますね!」
「うん、お願いね」
風花は張り切った様子で飲み物売り場の方へ向かっていった。
「ここは野菜売り場ですから、魚や肉売り場で買う予定のものがあれば持ってきますよ」
「そうだね。じゃあ、由弦君には……」
「由弦! 美優先輩!」
すると、風花は何も持たずに俺達のところに戻ってきた。驚いた様子だけれど、いったいどうしたんだろう?
「どうしたの、風花ちゃん」
「せ、先生がいたんです! 赤いジャージ姿の一佳先生がお酒コーナーに」
「えっ!」
俺と美優先輩は風花について行く形で、霧嶋先生がいたというお酒コーナーの近くまで行くことに。
すると、そこには風花の言う通り、赤いジャージを着た霧嶋先生が缶のお酒を見ていた。パッケージからしてカクテルやサワーだろうか。
あと、休日ということもあってなのか、髪型が普段のポニーテールではなくストレートヘアになっていた。髪の長さは美優先輩よりも少し長いくらいだろうか。今の髪型も似合っているな。眠気があるのかあくびをしている。
「ほんとだ、ジャージ姿の一佳先生がいる。いつもと髪型が違うけれど。さすがに今日は由弦君のジャージを着ていなかったね」
「俺のはブカブカですからね。あと、今日も着ていたら色々な意味で問題だと思います」
「えっ? どういうこと? 由弦のジャージ?」
「風花には話してなかったか。木曜日に文芸部の見学をしたとき、部長さんが俺達に出そうとしたお茶をこぼして先生のスーツにかかっちゃったんだ。それで、俺のジャージを貸したんだよ」
「なるほどね。……ところで、ジャージ姿でお酒を選んでいるということは、きっと一佳先生の家ってここの近くなんでしょうね」
「風花ちゃんもそう思った? だったら、やることは決まってるね」
「そうですね」
美優先輩は風花と頷き合うと、カゴを乗せたカートを押して俺達の元から離れた。そして、すぐに手ぶらの状態になって戻ってきた。まさかとは思うけど、
「霧嶋先生の家までついていく気ですか?」
「大正解だよ、由弦君」
「そんなことをしたらダメですって。この前言っていたじゃないですか。先生も人間ですから、プライベートなことはあって、その空間に呼ぶことはできないと」
「呼ぶことができないなら、あたし達が自主的に行くまでのことだよ。そうすれば、きっと一佳先生も家に招き入れてくれるって!」
そう言って風花はウインクする。そんな彼女はとても可愛いけれど、彼女が口にした考えは暴論だぞ。
「由弦は担任の先生の家がどんな感じか気にならないの? あたしは凄く気になる」
「気にならないと言ったら嘘になるけど。それよりも、女性である2人はともかく男の俺が行ったら問題なんじゃ?」
「由弦君が一佳先生にジャージを貸したことは、文芸部の生徒や先生方を中心に知られていることなんだし、先生のお家に行っても大丈夫だって」
美優先輩が言ったことは……ちょっと何言ってるか分からない。
ただし、確実なことは美優先輩と風花がセールの買い物を止めてしまうほどに、霧嶋先生の家に行きたがっているということだ。
「あの、買い物はどうするんですか。今日はセールをやっているから、ここに来たんですよね」
「そうだよ。ただ、セールは今日はずっとやっているけれど、追跡は今しかできないよ」
「さすがは美優先輩! いいことを言いますね!」
いいことなんて言ってない。
美優先輩と風花、しっかりと握手を交わしちゃって。風花はともかく美優先輩はこういうことをする人じゃないと思っていたのに。
「あっ、一佳先生がレジの方に行きましたよ」
「そうだね。後を追おう」
右手を美優先輩、左手を風花にぎゅっと掴まれて両腕を強く引かれる。こうなったら、先生の後をついていくしかないか。先生に見つかったら、そのときは謝ろう。
先生はレジに向かい、会計をするのか。カゴには缶のお酒が入っているように見える。あとはスナック菓子とか、おつまみとか。休日はお酒を呑んでゆっくり過ごすのが習慣なのかな。
「一佳先生にああいう一面があるなんて。去年1年間、現代文を教えてもらったり、料理部に遊びに来ていたりしたけど気付かなかったな」
「意外ですよね。てっきり、一佳先生って休日は紅茶やコーヒーを飲みながら、家で映画のBlu-rayを観ているのかと」
「分かる! そのときはケーキやクッキーを食べながら」
「ですよね! それで見終わった後は『名作だったわ』って一言感想を言うのかなって」
美優先輩も風花も色々と想像しちゃって。2人の言うことも分かるけれど。誰かと遊ぶよりは1人で家でゆっくりしているイメージが強い。お出かけするとしても、仲が良さそうな大宮先生と2人きりとか。
2人がそんな話をしている間に、霧嶋先生は会計を済ませて、買ったものをレジ袋に詰めている。そうしている姿も普段からは想像できないな。
「……あっ、先生がスーパーから出ますね」
「ここからが本番だよ。見つからないように気を付けないといけないね、風花ちゃん、由弦君」
「そうですね」
まさか、こんなことで2人が意気投合するとは。
俺達はスーパーから出て行く霧嶋先生の後を追う。ジャージ姿で右手にスーパーの袋を提げているので、向かうところは自宅でほぼ間違いないだろう。
スーパーの中では気付かなかったけど、今の霧嶋先生の姿って結構目立つ。彼女とすれ違う人がたまに彼女のことを見ている。
「あそこにとても大きなマンションがあるね」
「ですね。確か、2人の家に家庭訪問をしたときに、一佳先生はマンションで住んでいると言っていました。ですから、住まいはあそこかもしれませんね」
風花の言う通り、霧嶋先生の住むところは正面にある大きなマンションの可能性が高そうだ。
「今更ですけど、こうしていると刑事さんや探偵さんって感じがしますね」
「ふふっ、そうだね」
2人が警察官や探偵なら、俺は協力させられている一般人だな。警察官でも探偵でも、個人的な興味で追跡するのはまずいだろう。俺が言える立場ではないけど。
予想通り、霧嶋先生は大きなマンションのエントランスに入る。マンションの名前は『メゾン・ド・伯分寺』っていうのか。立派なマンションだし、家賃もなかなか高そうだ。
「よし、行くよ! 風花ちゃん、由弦君!」
「分かりました。待ってください! 一佳せんせー!」
「ひゃあっ!」
俺達に気付いた霧嶋先生は甲高い声を上げて、驚いた様子でこちらを見るのであった。
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