第39話『膝枕』

 タピオカドリンクを飲んだ後は、再び手を繋いで駅の周りを歩いた。

 途中立ち寄ったゲームセンターに、寝そべっている猫のぬいぐるみのクレーンゲームがあった。柄がサブロウに似ており、美優先輩が欲しがっていた。なので、俺が取ってあげた。クレーンゲームは久しぶりだったけど、3プレイ目でゲットできて良かったと同時に安心もして。

 ゲットした猫のぬいぐるみを美優先輩が嬉しそうに抱きしめている姿はとても可愛かったな。



 午後5時過ぎ。

 俺は美優先輩と一緒にあけぼの荘に帰ってきた。まだ部活が終わるには早い時間だからか、帰ってくるまでに風花はもちろん、加藤や橋本さん、松本先輩と出会うことはなかった。

 101号室のポストを確認し、俺達は家の中に入る。


「ただいま~」

「ただいま」

「ふふっ、今さらかもしれないけど、一緒に帰ってきて、一緒にただいまって言うのって何だか変な感じがするね」

「新年度になってから1週間くらいで、まだ慣れていませんからね」


 ただ、それもすぐに慣れるんじゃないだろうか。

 俺は美優先輩と一緒に、寝室で制服から普段着に着替える。月曜日に恋人のフリをするかどうかを話してから、制服に着替えるときや、家に帰ってきて普段着に着替えるときは一緒にすることが多くなった。

 ただ、布の擦れる音や、たまに漏れる美優先輩の声が背後から聞こえるとドキドキする。これについては、慣れるまでに時間がかかりそうな気がする。


「由弦君、着替え終わった?」

「はい。着替え終わりました」 


 振り返ると、そこには茶色のロングスカートにベージュの縦セーターという服装の美優先輩がいた。先輩は俺の顔を見てニッコリと笑っている。


「その服、可愛いですね。似合っていると思います」

「ありがとう。由弦君のワイシャツ姿もよく似合ってる」

「ありがとうございます」


 美優先輩の私服姿を見ると、今度は休日に2人きりで出かけてみたいという気持ちを抱く。


「由弦君。授業が始まってからの1週間お疲れ様。管理人として、一緒に住む学校の先輩として由弦君に何かご褒美をあげたいな。クレーンゲームで猫のぬいぐるみを取ってくれたし。私にできることなら何でもいいよ!」


 美優先輩は優しい笑みを浮かべながら、両手を大きく広げてくる。この状況は花柳先輩や敗者の集いはもちろんのこと、多くの生徒が羨ましがることだろう。

 1週間頑張ったご褒美か。それは2人きりで駅前を一緒に歩いたことで十分なんだけどな。でも、先輩のご厚意を受け取りたい気持ちもある。


「どうしたの、由弦君。私に甘えていいんだよ?」

「そのお気持ちは嬉しいですけど、急に甘えていいと言われるとなかなか思いつかないですね。それに、今週、授業や部活を頑張ったのは美優先輩も同じなんですから、俺からも先輩にご褒美をあげたい気分です。もちろん、甘えてくれてかまいませんよ」

「ふふっ、逆に言われちゃったね。そうだね……私は由弦君にご褒美をあげたいな。それが私の甘えだよ」

「お花見でチョコレートを食べて酔ったときと同じようなことを言ってますね」


 一緒に住み始めたときに比べれば、美優先輩に甘えたりすることが多くなった気がするんだけどな。それでも、遠慮しているとか、甘えが足りないとか思っているのかな。


「ご褒美や甘えるといっても、美優先輩が嫌だと思うようなことではダメです。ちなみに、どんなことなら大丈夫ですか?」

「そうだね……例えば、み、水着を着ない状態で、い、一緒にお風呂に入る……とか? この前は髪だけだったけれど、今度は……か、体まで洗うよ?」


 どうして、たまに言葉が詰まったり、顔を真っ赤にしたりしないと言えないようなことを大丈夫だと思うのか。


「それは……俺がダメですね。ドキドキしすぎてどうにかなっちゃいそうなので。言わせておきながらごめんなさい。他に何かありませんか?」

「そ、そうだね……サブちゃんみたいに色々なところを撫でられたり、胸の中に顔を埋めたりして1週間の疲れを取るとか?」


 さっきと同じように顔を赤くして、視線をちらつかせている。

 サブロウが胸の中に顔を埋めるなら微笑ましい光景だけど、俺が顔を埋めてしまったらそれは厭らしい光景だろう。疲れは取れそうな気がするけども。


「サブロウと俺は同じ雄ですけど、向こうは猫ですからね。色々なところを撫でられるのはまだしも、先輩の胸に顔を埋めるのはまずいのでは。ごめんなさい、重ね重ねダメだと言ってしまって」

「ううん、気にしないで。私も……かなり大胆なことを言っちゃったと思ってるし」


 あうっ、と美優先輩は赤くなった頬に両手を当てている。

 個人的な感覚として、美優先輩が今言ったことは、彼女と恋人として付き合う関係になったらすることじゃないかと思う。


「じゃあ、膝枕をして頭を撫でるのはどうかな? それでも少しは疲れが取れそうな気がするから」

「……それならいいと思います。2人きりですし」


 玄関の鍵はさっき閉めたから、誰かが突然入ってくることもない。ここのカーテンも閉めているから、外から見られてしまう心配もないか。

 ようやく俺がいいと言ったからか、美優先輩はとても嬉しそうな表情を見せる。


「じゃあ、さっそくしようか。さあ、こっちにおいで」


 美優先輩はベッドの端に腰を下ろして、太もものあたりをポンポンと叩く。今の姿を見ていると、敗者の集いのメンバーが女神だと言ったのも分かる気がする。


「では、失礼します」


 ベッドの上で仰向けになって、頭を美優先輩の太ももの上に乗せる。その際に柔らかいものに当たった気がするけれど、気にしないでおこう。気にしたらまずい気がするから。

 見上げると、すぐに目の前に美優先輩の大きな胸があって。その先に彼女の優しい笑顔があった。


「由弦君、どうかな?」

「凄く気持ちがいいです。普通の枕よりも柔らかくて、温かいですから。それに、いい匂いもしますし」

「いい匂いがするなんて言われるとドキドキしちゃうな。でも、とても嬉しいな。あと、この枕は私のナデナデつきだよ」


 美優先輩は俺の頭を優しく撫でてくれる。彼女の言ったとおり、これなら1週間の疲れが取れそうな気がしてきた。

 気持ちいいからか。段々と眠くなってくるな。美優先輩の胸が大きいからか、左目の方は陰になっているし。目を瞑ればこのまま熟睡できてしまいそう。


「ふふっ、柔らかい表情になってる。可愛いな。先に目を覚ましたときに見る由弦君の寝顔も可愛いけど」

「そうですか。何だか、可愛いって言われると照れますね。ところで、美優先輩は俺の頭を乗せられて重くないですか? 脚が痛くなったりとか」

「大丈夫だよ、ありがとう。それに、私の方も由弦君の温もりを感じて、いい匂いを感じられて。ちょっと疲れが取れたような気がするの」

「それなら良かったです」


 あと少しはこのままでいようかな。

 それにしても、膝枕なんて久しぶりだな。記憶にあるのは幼稚園の頃に母親に耳掃除をしてもらったことと、小学生くらいの頃に雫姉さんから強制的に膝枕させられたことくらいだ。

 逆に膝枕をしたのは……雫姉さんと心愛くらいか。


「どうしたの、由弦君。何か考えているみたいだけど」

「膝枕をしたり、されたりしたことを思い返していました。母や姉妹との思い出しかないですけど」

「ふふっ、そうなんだ。私もお母さんに膝枕をされて、膝枕をしたのは朱莉や葵くらいかな。あと、瑠衣ちゃんとは膝枕をし合ったな」

「やっぱり、花柳先輩の名前が出てくるんですね」

「高校で出会った子の中では一番の付き合いだからね。瑠衣ちゃんも今の由弦君みたいに、私の膝の上で気持ち良さそうにしてくれていたな」


 実体験していると、とても納得できる。あと、美優先輩の膝の上で幸せそうにしている花柳先輩の姿が目に浮かぶ。


「でも、膝枕をした男の子は由弦君が初めてだよ。サブちゃんも膝枕したことがあるけど、彼はノーカウントでいいよね」

「さすがに猫はカウントしなくていいと思います」


 サブロウを膝の上に乗せている美優先輩か。凄く絵になりそうな光景だ。


「でも、初めての男の子が由弦君で良かったって思うよ」

「……そうですか。そう言われるとより心地良く感じられますね。本当にありがとうございます」

「……うん。私も心地いいよ」


 美優先輩はとても優しい笑顔を俺に向けた。膝枕をしてもらっていることもあって、幸せな気持ちが生まれていく。

 もう少しだけでいいからこのままでいたい。俺の胸元に触れている先輩の左手に、そっと手を重ねたのであった。

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