第38話『タピオカドリンク』

 4月12日、金曜日。

 今日は授業初週の最後の日。

 朝礼が終わった後、霧嶋先生からジャージの件についてお礼を言われた。昨日、文芸部の活動後に職員室に戻ったとき、教務主任に俺のジャージを着ていることについて訊かれたそうだけど、事情を説明したので特に問題なかったという。

 霧嶋先生にお礼を言われたので、普段よりも気分のいい中で授業を受ける。ただ、昨晩のことがあって、何度も風花の方を見てしまう。

 翌日が休みだと思うと、時間が経つのが遅く感じることが多い。だけど、保健や選択芸術の音楽という初回の科目があったおかげで、意外と早く時間が過ぎていった。


「やっと1週間が終わったよ! 凄く清々しい気分!」

「お疲れ様、風花」

「由弦もお疲れ様! こんな感じなら、高校の授業もついていけそうだよ。いざというときは由弦もいるし」

「そう言ってくれると、クラスメイトとしても隣人としても嬉しいよ」


 こうして風花と話していると、昨晩の宿題を助けた後のことを思い出してしまう。あのときの風花はとても可愛かった。そう思ったら、胸の鼓動が速くなって、体がちょっと熱くなった。


「ふふっ、頼りにしてるよ。あたしはこれから部活。今日もたくさん泳ぐぞー!」

「今日も無理しない程度に頑張ってね」

「うん! じゃあ、部活に行ってくるね!」


 風花は俺に小さく手を振り、とても元気そうな様子で教室を後にした。今日もあの温水プールで綺麗な泳ぎをするんだろうな。


「姫宮は本当に水泳が好きなんだな」

「楽しそうな感じで教室を出ていったもんね。まあ、好きなのは水泳だけじゃないかもしれないけど」

「……どうだろうな」


 加藤と橋本さんは互いの顔を見ながら笑い合っている。

 風花が好きなのは水泳だけじゃないかもしれない……か。もし、そうだとしたら、俺……なのだろうか。昨日の夜の風花は普段とは違って、素直でしおらしい感じがした。少なくとも、出会ったときよりも風花との距離が縮まっているのは確かだろう。


「じゃあ、奏と俺も部活に行ってくるよ」

「ああ、2人とも頑張ってね」

「また来週ね、桐生君」


 加藤と橋本さんは恋人繋ぎをして教室を後にした。

 3人のことを教室から送り出して、美優先輩や花柳先輩のことを待つのが恒例になってきた。さてと、今日の放課後はどうしようかな。昨日までとは違って、次の日が休みだけど。


「由弦君。一緒に帰ろっか」

「はい。……あれ? 今日は美優先輩1人ですか?」


 月曜日からずっと、放課後になると美優先輩は花柳先輩と一緒にいたのに。何かあったんじゃないかと心配になってしまう。


「瑠衣ちゃんは家の方で用事があるみたいで、終礼が終わったらすぐに帰っちゃった。だから、今日は由弦君と2人きりになるね」

「そうですね」

「ところで、今日はこの後どうしようか? どこか気になる場所や部活ってある?」

「特にはないですね。なので、今日の放課後は真っ直ぐ家に帰るか、駅の方に行ってみようかなと思っていました」

「そうなんだ。じゃあ……私と一緒に駅の方に行ってみる?」

「いいですね。行きましょうか」


 俺は美優先輩と一緒に学校を後にして、伯分寺駅の方へと歩き始める。

 放課後になってからまだそこまで時間が経っていないからか、陽出学院の制服を着た人がちらほらと見える。その中にはこちらを見てくる人もいて。きっと、学校で人気の美優先輩が隣にいるからだろう。


「そういえば、由弦君が入学してから、こうして2人きりで歩くのって初めてだよね」

「そうですね。入学前で2人きりで出かけたのって、ショッピングセンターに勉強机を買いに行ったときくらいですか」

「そうだね。それ以外はいつも風花ちゃんや瑠衣ちゃんがいたもんね。だから、こうして由弦君と2人きりで歩いていると、放課後デートをしているみたいだよ」


 そう言って、ほんのりと顔を赤らめながらも笑顔を見せてくれる美優先輩はとても可愛らしい。

 敗者の集いのメンバーも学校外での付きまといはしないと言っていたし、月曜日の件で美優先輩から俺達に何もしないと約束させたから大丈夫だろう。

 花柳先輩には……このことが知られたらどうしようとか考えないことにしよう。美優先輩が嫌がったり、厭らしいことをしたりしているわけじゃないんだし。


「確かにそんな感じがしますね。一緒に住み始めてから半月くらいになりますけど、何だかドキドキしてきます」

「意外だな。……私もドキドキしているけど。も、もし良かったら……手を繋いでみる? そうしたら、よりデートっぽくなるけど」

「……繋いでみましょうか」


 俺は美優先輩の左手をそっと掴む。

 すると、美優先輩は「きゃっ」と声を挙げて、手がビクついた。それと同時に強い温もりが伝わってきて。そんな彼女の顔はさっきよりも赤みが増している。


「一気にデートって感じがしてきた。凄く照れちゃう。でも、悪くないかな」

「そう言ってくれて良かったです。俺もドキドキしますけど、悪くはないです」

「ふふっ、そっか。ドキドキしてくれるなんて、ちょっと嬉しいかも」


 そのドキドキは美優先輩に対してだけじゃなくて、周りからの視線を集めているからというのもあるけど。

 伯分寺駅の近くに行くと、金曜日の夕方ということもあってか、俺達のように制服を着た人達も多いな。


「先輩。あそこのお店、学生さん中心に列ができていますけど、何のお店か分かりますか?」

「ああ、タピオカドリンクのお店だよ。何度か瑠衣ちゃんや莉帆ちゃん達と一緒に行ったことがあるよ」

「そうなんですか。タピオカって名前は聞いたことありますけど、一度も食べたり、ドリンクで飲んだりしたことないですね。どんなのか興味があります」

「じゃあ、一度体験してみようか!」

「そうですね」


 美優先輩と俺は行列の最後尾に並ぶ。制服を着た女性が多いな。前にネットのニュース記事でそんな記事を読んだことがあるけど、それは本当だったみたい。あと、俺達のように制服姿の男女で並んでいる人も。


「あの人達、カップルなのかな?」

「かもしれませんね」

「……私達もカップルに見えたりするのかな」

「……かもしれませんね」


 美優先輩が思ったように、俺達の姿を見てカップルなのかと考える人はいそうだ。手を繋いでいるし。

 そんな話をしていたら、あっという間に俺達の番になった。ミルクティーの他にもミルクコーヒー、抹茶ラテ、いちごミルク、ブルーベリーヨーグルトなどドリンクの種類が豊富だ。タピオカに合うからなのか、どのドリンクも甘めなものばかりだ。


「由弦君、決まった?」

「はい。ミルクコーヒーのレギュラーサイズにしようと思います」

「うん。分かった。すみません、ミルクティーのレギュラーサイズと、ミルクコーヒーのレギュラーサイズをお願いします」

「かしこまりました!」


 俺達はタピオカドリンクを購入し、お店の近くにあるベンチに座って飲むことに。この黒い粒々がタピオカか。これを飲むために、普通よりも太いストローが刺さっているのか。


「じゃあ、さっそくいただきます」

「私もいただきます」


 ちゅー、とタピオカミルクティーを飲む美優先輩の姿はとても可愛らしい。

 俺はタピオカ入りのミルクコーヒーを飲み始める。タピオカが口の中に入ってきたことにビックリして、思わず吹き出しそうに。


「ごほっ、ごほっ」

「あははっ! どうしたの、由弦君」

「タピオカが口の中に入ってきたことに驚いてしまって。タピオカってグミよりももっちりした感じですね。あと、タピオカ自体に味ってないんですね」

「そうだね。だから、色々な味のドリンクの中にいるのかも」

「ですね。こうして、多くの人や建物を見ながら初めてのものを飲むと、俺、上京してきたんだなって実感します。いい思い出の一つになりそうです」

「もう、大げさだね。でも、こうしている時間が思い出になってくれて嬉しいよ」


 美優先輩は楽しそうな様子でタピオカミルクティーを飲んでいる。こうしていたら、デートと言ってもいいんじゃないかと思う。


「あら、美優ちゃんに桐生君。2人で楽しそうにタピオカドリンクを飲んで」

「デート? いつの間に恋人として付き合うことになったの?」

「ごほっ、ごほっ!」


 深山先輩と佐竹先輩の言葉に何を思ったのか、美優先輩はむせってしまう。そんな彼女の背中をさする。

 深山先輩と佐竹先輩はこれにはさすがに申し訳なさそうにしている。


「大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ、由弦君。もう、付き合っているとか言わないでよ、莉帆ちゃん!」

「ごめんね、美優ちゃん。あたし、2人で楽しそうにしていたから間違っちゃったよ」

「私も勘違いしてしまったわ」

「確かにデートですけどね。今日は瑠衣ちゃんは用事があるので早々に帰ってしまって。せっかくだから、2人でこっちに来たんです」

「なるほどね。それでタピオカドリンクを飲んでいたと」


 ニヤニヤしている佐竹先輩。本当に分かっているのかな。そんな佐竹先輩のことを深山先輩が苦笑いをしながら見ている。


「俺、今まで飲んだことがなかったので。お二人も遊びに来たんですか?」

「私は受験向けの問題集を買いにショッピングセンターの本屋に行ってきたの。そこで莉帆ちゃんと会ってね」

「今日はシフトが入っていない日だからね。あと、あたしの好きな漫画の最新巻の発売日だから買いに行ったの。本屋で小梅先輩と会ったから、一緒にあけぼの荘に帰ることにしたの」

「そうだったんですか。深山先輩は受験勉強を頑張ってくださいね」

「頑張ってください。管理人としてできることがあれば、何でも言ってください。もちろん莉帆ちゃんもね」

「ありがとう、美優ちゃん!」

「ありがとう。じゃあ、さっそく管理人として、あなたのタピオカミルクティーを一口ほしいのだけれど」

「あたしも一口ほしい!」

「もちろんいいですよ」


 深山先輩と佐竹先輩は、美優先輩のタピオカミルクティーを一口飲む。

 佐竹先輩はもちろん高校生に見える。ただ、深山先輩は……制服のおかげで高校生だと分かるけど、私服だったら中学生にしか見えなかっただろう。


「美味しいわ、美優ちゃん。ありがとう。これで少しは受験勉強を頑張れそう」

「美味しいね! ありがとう。2人とも、制服デートを楽しんでね!」

「……もう」


 そんな言葉を呟いたけど、深山先輩と佐竹先輩に手を振る美優先輩は可愛らしい笑顔を浮かべていた。

 2人の姿が見えなくなってすぐ、美優先輩は俺のことをチラチラと見てくる。


「ゆ、由弦君も飲んでみる? タピオカミルクティー」

「ありがとうございます。じゃあ、俺のミルクコーヒーも飲んでみてください。ミルクや砂糖も入っているので先輩も飲むことができると思います」

「ありがとう。じゃあ……一口交換しよっか」


 俺は美優先輩のタピオカミルクティーを一口飲むことに。コーヒーよりも甘く感じるな。それは美優先輩や深山先輩、佐竹先輩が口を付けたからだろうか。

 チラッと隣を見てみると、美優先輩は顔を赤くしながら俺のタピオカミルクコーヒーをゴクゴク飲んでいた。


「ミルクティーも美味しいですね。コーヒーは美味しいですか?」

「う、うんっ! 甘くて美味しいよ。だからゴクゴク飲んじゃった。ごめんね」

「いえいえ、気にしないでください」


 その後、俺は美優先輩から返してもらったタピオカミルクコーヒーを飲む。先輩が口を付けた直後だからか、とても味わい深く感じるのであった。

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