第28話『るいるい』
「いい水着を買えて良かったです!」
練習用の水着を買えたからか、売り場を後にしてから風花はずっと上機嫌だ。
「良かったね、風花ちゃん」
「はいっ! 美優先輩と……ゆ、由弦のおかげだよ。ありがとう」
「いえいえ」
風花が気に入った水着を買えて良かったよ。途中、変態呼ばわりされたけど。
「風花は明日の放課後から、さっそく水泳部に行くのか?」
「もちろん! 今日買った水着を着て、高校のプールで早く泳ぎたいよ」
「ふふっ、気合い入ってるね。部活頑張ってね。応援してるよ」
「俺も応援してる。クラスメイトや隣人として、何か協力できることがあるかもしれないからいつでも言って」
「2人にはもう、大きなことで協力してもらってますけどね。ありがとう」
風花は嬉しそうな笑みを浮かべる。
大きなことでもう協力してもらっている……か。今日買った水着を着て、水泳部の活動を楽しめるといいなと思う。
「もうお昼前か。せっかくショッピングセンター来たし、何か食べてから帰る?」
「いいですね! ただ、水着を買ってお金もあまりないので、お安く食べることのできるお店だと嬉しいです。さらにわがままを言えば量をたくさん」
「ふふっ、安くてたくさん食べることができると一番いいよね。駅の近くにはチェーン店も多いからそこら辺に行ってみようか。由弦君もそれでいい?」
「はい」
駅の周りにどんなお店があるのかを知るいい機会だ。お昼ご飯の話題になったからか、急にお腹が急に空いてきた。
駅の近くにあるお店で食べることに決めたので、俺達は伯分寺駅方面の出口に向かって歩き始める。
日曜日のお昼前もあって、結構な数の人がいるな。
「あら、美優じゃない! 風花ちゃんや桐生君も」
「あっ、瑠衣ちゃん!」
前方から白いワンピース姿の花柳先輩が、嬉しそうな様子でこちらに駆け寄ってくる。
「まさか、こんなにも人がいるショッピングセンターの中で美優と会えるなんて。これって運命なのかな。凄く嬉しいよ」
「ふふっ、大げさだね。それに、会おうと思えば連絡すればいつでも会えるじゃない」
「そうだけど、連絡とかを特にしなくても会えたっていうのが嬉しいのっ」
花柳先輩は不機嫌そうな表情をして頬を膨らませている。大好きな美優先輩に向けてそんな表情をするなんて意外だ。
あと、花柳先輩のことだから、ここで会えたのは偶然なんていうのは嘘で、実はこっそりと後を付けていたんじゃないかと思ってしまう。
「ごめんごめん。瑠衣ちゃんに会えて嬉しいよ。瑠衣ちゃんはどうしてここに?」
「好きな漫画の最新巻が出たから買いに来たの。限定版を買えて良かった。家に帰ったらさっそく読むつもり。美優の方はどうしたの? 風花ちゃんや桐生君と一緒だけど」
「風花ちゃんの水着を買いに来たの。彼女、さっそく明日から水泳部の活動に参加する予定だから」
「そうなんだ。……そういえば、お花見のときに水泳部に入るつもりだって言っていたね。女の子の美優が一緒なのは分かるけど、男の子の桐生君も一緒なんだ」
「水泳部は男子もいますし。せっかくですから、男女問わず可愛く見られる水着がいいかなと思って」
「……ふうん。そうなんだ」
今の風花の話を聞いて何を思ったのか、花柳先輩は風花に対して不敵な笑みを見せる。そんな花柳先輩の笑顔を見た風花は、頬をほんのりと赤くして花柳先輩から視線を逸らしている。
「美優は水着買わなかったの?」
「買わなかったよ」
「そっかぁ。でも、去年の夏よりも胸が大きくなってるように見えるから、今年も水泳の授業が近くなったら買った方がいいよ」
「もう、瑠衣ちゃんったら。由弦君がいる前で胸の話をしないでよ。それに、ここにはたくさん人がいるんだし。でも、金曜日に久しぶりに着たときは胸がキツくなってたよ……」
「……えっ?」
「……あっ」
美優先輩は頬を赤くしてはにかみ、俺のことをチラッと見る。
そんな美優先輩の様子を見て、花柳先輩は何か感付いたようでニッコリと笑いながら俺の方に視線を固定してくる。
「ねえねえ、桐生君。金曜日に何かあったのかお姉さんに教えてくれないかなぁ? これは……先輩からの命令だよ?」
いつもよりも可愛らしい声で言ってくるところがとても恐い。
ここで嘘を付いたら後が恐いし、正直に話そう。一応、相手は美優先輩の親友なのだから。俺に何かしても、美優先輩が嫌がることはしないだろうと信じて。
「……入学祝いと、あの日の告白を助けてくれたお礼ということで、美優先輩に髪を洗ってもらったんです。あと、その後に一緒に湯船にも浸かって。その際はお互い、スクール水着を着ました」
花柳先輩や美優先輩、風花にしか聞こえないくらいの声でそう言った。あと、このことを美優先輩は花柳先輩に話していなかったんだな。
花柳先輩はニッコリとした表情のまま、美優先輩の方を見て、
「へえ、そんなことがあったんだぁ。美優、そのときには嫌なことはされなかった?」
「もちろんされなかったよ。あと、髪を洗いたいとか、温水浴したいって言ったのは私だから」
「……ふうん、そうなんだ。いいなぁ、美優にそんなことを言われて。桐生君に嫉妬しちゃうなぁ」
そう言うと、花柳先輩は俺の着るジャケットの袖をギュッと掴む。その瞬間、全身に悪寒が走った。
「ちょっと桐生君のことを借りるね。学校の先輩として、美優の親友として2人きりで話したいことがあるから」
「うん、分かったよ。風花ちゃんとそこのベンチに座って待ってるから」
「ありがとう。じゃあ、桐生君。ちょっとついてきて」
見た目から想像ができないほどの強い力で袖を引っ張られ、俺は花柳先輩の後をついて行く。俺、生きて2人のところに帰ってこれるのかな。あと、花柳先輩に何をされるのかが恐くて、胃がキリキリし食欲がなくなってきた。
まるで、2人きりで話せる場所を知っているかのように、花柳先輩の足取りには迷いがなかった。それだけにより恐い。
段々と人も少なくなってきて、辿り着いた先はショッピングセンターの端にある非常口の前だった。
歩みが止まると、俺は壁に背中を叩きつけられ、花柳先輩にYシャツの胸の辺りを右手で掴まれる。そんな彼女の目つきはとても鋭く、冷たい。
何だか、とても息苦しくなってきたぞ。
「美優からの誘いとはいえ、水着姿の美優と一緒にお風呂に入るなんて。髪を洗ってもらって。本当に羨ましい。……何で断らなかったの?」
「裸ではなく水着を着るということでしたし、何よりも美優先輩のしたいことを実現させたいと思って。あと、美優先輩に髪を洗ってもらったら気持ち良さそうですし。美優先輩の水着姿にも興味がないと言ったら……嘘になります」
後半部分、俺は何を言っているんだろう。もう生きては帰れないと本能で悟っているのだろうか。
「美優のことが大好きでたまらないあたしに、彼女への欲を正直に話すなんて。その肝の据わり具合は評価するわ」
「隠すよりも正直に話した方がマシだと思っただけですよ」
「何だ、ただのヘタレか。じゃあ、その流れで正直に答えなさい。浴室の中で水着姿の美優に嫌がることはしなかった?」
「……しませんでした。俺も美優先輩の髪を洗って、その後に一緒に湯船に浸かりました。それだけです。お風呂から出た後は何とも言えない空気にはなりましたけど、土曜日になったら普段通りになりました」
「……なるほど。もし、お風呂の中で嫌なことをされていたら、桐生君も一緒にこのショッピングセンターに来ることもないし、さっきのように楽しそうな雰囲気は出さないか……」
「お、俺の言うことを信じてくれるんですか?」
「……あ、あたしは美優のことを信じるだけよ。ただ、桐生君の言うことも本当なんでしょうね」
花柳先輩が右手を離したことで、ようやく多少は呼吸をするのが楽になってきた。彼女の残り香が意外と良かったりする。
「変に疑って悪かったわね」
「いえいえ。ただ、花柳先輩が分かってくれて嬉しかったです」
俺の言葉なんて単に聞くだけで、分かってくれるなんて全然思っていなかったから。嬉しいというよりも、感激しているという方が正しいかも。
すると、花柳先輩は顔をかなり赤くして、
「こ、今後も美優が嫌がることはしないように! 出会ったときに忠告したことは覚えているでしょうね?」
「ええ、もちろんですよ」
「……そう。ところで、そのときの美優の水着姿の写真とかって持ってる? あるなら、あたしのスマホに送ってほしいんだけど」
「水着姿の写真をスマホで撮ろうなんて考えませんよ! 花柳先輩は女の子なんですから、夏になったら自分で頼んで取ればいいじゃないですか!」
「それはそうだけど、胸がキツい美優の水着姿はレアだから見てみたかったの。まったく、使えない後輩ね!」
そう言うと、花柳先輩は俺の右手の甲を思いっきりつねった。
「痛っ! これ、つねられたときはかなり痛いですし、つねられた後も少しの間痛みが残るんですよ! 止めてください!」
「ふふっ。じゃあ、別のお仕置き方法を考えておくよ」
「お仕置き自体考えなくていいですから」
「じゃあ、あたしにお仕置きされないように気を付けなさい。そうすれば、考えなくなるかもしれないから」
まったく、楽しそうに言いやがって。お仕置きされる身になってほしいよ。ただ、美優先輩のことを考えて日々を過ごすようにすべきなのは確かだ。そうしていけば、花柳先輩がお仕置きのことを考えなくなっていくだろう。
「さあ、話も終わったから美優のところに戻りましょう」
「はい」
「ちなみに、この後は何か予定あるの?」
「駅近くにあるお店でお昼ご飯を食べるつもりです」
「そうなんだ。……あたしも一緒に行こうかな」
「……ご自由に」
右手をつねられたけど、美優先輩と風花のところに戻ることができて嬉しいし、ほっとする。
その後、花柳先輩も一緒に、俺達は駅近くのお蕎麦屋さんでお昼ご飯を食べた。ただ、花柳先輩のこともあって、並盛りのざるそばを食べるのもやっとなのであった。
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