第26話『家庭訪問-後編-』

 霧嶋先生はさっき俺が出した麦茶を飲みながら、リビングの中を見渡している。


「あっ!」

「どうかしたの? 桐生君」

「……い、いえ。何でもありません」


 レースのカーテンしか閉まっていないじゃないか! ただ、今から閉めに行っても怪しまれそうな気がする。

 それに、じっと見なければ、美優先輩の下着や昨日のお風呂のときに着た水着が干されているとは分からない。先生方が気付かないのを祈るしかないか。幸いにも、2人は窓を背にしている。風花も先生達の方をずっと見ているから、下着や水着に気付く可能性は低いはず。


「どうかしましたか、一佳先生。リビングの中を見渡して」

「生徒の家に来るのは初めてだから、どんな雰囲気なのか気になってしまって。ごめんなさい。あなた達のプライベートな空間だし、色々と見てしまってはいけないわね」

「いえいえ。気にしないでください」


 今の言葉からして、陽出学院では家庭訪問はやらないのかな。中学までとは違って、生徒の住んでいる地域は広範囲に及ぶし面倒か。保護者と話すのは、懇談会や三者面談といった形で学校でもできるし。


「あたしは何度かここに来たことあるわ。去年の夏休みとかに。美優ちゃんは教え子だし、学校から近いからね」

「これからも遊びに来てくださいね、成実先生」

「ありがとう。でも、いいの? あたし、お邪魔にならない?」

「な、なりませんよ! 何を言っているんですか……」


 もう、と美優先輩は恥ずかしがっている様子。たまに俺のことを見てくる。

 大宮先生は何度もここに来たことがあるんだ。クラスの女子の家だし、学校から徒歩数分ってことを考えると足を運びたくなるのかも。


「あたしの部屋にも遊びに来てくださいね! 隣ですから」

「ふふっ、ありがとう。風花ちゃん」

「生徒のプライベートな空間ですよ、成実さん。でも、まあ、その……気持ちは受け取っておくわ。姫宮さん、ありがとう」


 お礼を言っているのに笑顔を見せないところが可愛らしい。同じようなことを考えているのか、風花はクスクスと笑っていた。


「桐生君と一緒に住み始めたけど、あまり雰囲気は変わっていないね」

「リビングは変わってませんね。ただ、寝室の方は由弦君が来てから2人の服を入れるタンスと彼の勉強机を置いたので、雰囲気が変わりました」

「やっぱり変わるところはあるんだね。そういえば、寝室って聞いて思ったんだけど、寝るときはどうしているのかな? もしかして、一緒に寝てたりしてる?」


 大宮先生はこれまでの中で最も興味津々な様子になっている。今は教師と言うよりは、知り合いの年上のお姉さんって感じだ。


「いえいえ! 普段は私がベッド、由弦君はベッドの隣に敷いたおふとんで寝てます! ただ、私が寝ぼけて由弦君のおふとんに入って、そのまま朝まで眠ったことはあります。あとは一度だけ、私から誘ってベッドで眠ったことも……」


 美優先輩は頬を真っ赤にする。

 最初こそは大きな声で言っていたけど、段々と声が小さくなって、一緒に眠ったことについては隣に座る俺もやっと聞き取れるほどだった。


「い、一緒に寝たことがあるんですか! 美優先輩!」

「うん。Gやクモ退治をしてくれたお礼に……」

「……あぁ、Gは大嫌いなんですもんね。クモも嫌いだと言っていましたね。それでもお礼として釣り合わない気がしますけど、理解はしました」


 風花にお腹をまた殴られたり、頬を叩かれたりするのかと思ったので、そうならなくて良かった。ほっと胸を撫で下ろす。


「あらぁ。美優ちゃんが男の子と一緒に寝るなんて。1年生の頃の美優ちゃんを知っているからか、ちょっと信じられないかな」

「こ、高校生の男女が一緒に寝るなんて! 桐生君、そのときは白鳥さんに何もしなかったでしょうね?」

「緊張しましたし、ドキドキもしましたけど、何もしませんでしたよ」

「由弦君は何もしてません! むしろ、私が由弦君の腕を抱き枕代わりにしていて。翌朝起きたら、由弦君の全身を抱き枕代わりにしていただけですから!」

「……な、なるほど。そういうことであれば、不問にしておきましょう。ただ、同じ部屋で寝るのですから、間違いは起こさないように。で、できてしまったら人生がガラリと変わってしまうから」


 霧嶋先生も顔が赤くなっている。先生って考えのかなり堅い人だと思っていたけれど、意外と柔軟に考えてくれるようだ。

 それにしても、引っ越してきてからの美優先輩との生活を考えると、色々なことがあったんだなと思う。もちろん、その中には先生達に知られてしまったらまずそうなこともあるけれど。


「一佳先生、訊きたいことがあるんですけど」

「何かしら、姫宮さん」

「どうして先生は今日もスーツ姿なんですか? 今日は休日なのに。もしかして、これから学校でお仕事が?」

「いえ、今日はお休みよ。ただ、生徒の家に行くから、きちんとした服装をするのが一番かと思って」

「そうなんですね。先生の私服姿も見たかったです。きっと、可愛いでしょうし。由弦もそう思うでしょ?」

「可愛いのもそうだし、とても綺麗な感じがしますね」

「……ふえっ? そ、それはご想像に任せるわ」


 そう言う霧嶋先生の頬は赤みを帯びており、口元も緩んでいた。学校では堅さも感じられるけど、本当は可愛らしい一面もある人なんじゃないかと思う。


「もう一ついいですか?」

「何かしら」

「一佳先生のお家ってどんな感じなんですか?」

「マンションに住んでいて、このリビングの広さくらいの部屋かしら。そこで一人で暮らしているわ」

「そうなんですか! 行ってみたいです!」

「私も行ってみたいですね。成実先生のお家は1年生のときに瑠衣ちゃんと一緒に行ったことがありますけど」

「ふふっ、そうだったね。あたしも一佳ちゃんのお家に行ってみたーい」

「わ、私は教師ですが人間でもありますから、プライベートなこともあるのです。その空間にむやみに呼ぶことはできません。ごめんなさい」


 霧嶋先生、複雑そうな表情を浮かべているな。視線がチラついているし。女性だと、たとえ同性でも自宅に上がらせたくないと考える人もいるか。ましてや、一人暮らしだと。

 ただ、大宮先生の家には美優先輩と花柳先輩は行ったことがあるんだ。女性同士だとそういうこともあるのかな。


「私も一つ、桐生君と白鳥さんに質問いいかしら」

「何でしょう、一佳先生」


 俺がそう返事すると、霧嶋先生はバルコニーの方を指さす。


「……バルコニーに干してある洗濯物。同居していれば、家の中から女性ものの下着が見えてしまうのは仕方ないわ。見られたくないときは、カーテンを閉めておくのをオススメするわ。それはまだしも、その横に干されている水着はなに?」

「あっ、よーく見てみると、一佳ちゃんの言うように水着が干してある。男性ものと女性もの」

「この近くに室内プールや混浴温泉の類の施設はなかった気がするのだけど。昨日はお昼で学校が終わったから、少し遠くの遊泳施設に行ったのかしら? まさか、家のお風呂に水着で入ったのかしら?」


 ううっ、霧嶋先生に水着のことを気付かれていたか。怪しまれてもいいから、さっき気付いたときにでもカーテンを閉めれば良かった。


「……由弦。美優先輩にどんなプレイをさせたの?」


 風花はソファーからゆっくりと立ち上がって、怒った様子で俺のところにやってくる。もちろん、そんな彼女の右手は拳。


「わ、私が入学祝いと、告白されたときにフォローしてくれたお礼として髪を洗ったんです! 水着を着用して一緒にお風呂に入りました! なので、由弦君は決して厭らしいことはしてません! 私の髪を丁寧に洗ってくれただけです!」


 美優先輩は顔を真っ赤にしながら大きな声でそう言ってくれた。そのことで体力を消耗してしまったのか、はあっ、はあっ、と息を乱している。そんな美優先輩のことを大宮先生は優しい笑みを浮かべながら見ている。


「ふふっ、そうだったの。男の子からの告白を断り続ける美優ちゃんがそんなことをするなんて驚きだわ」

「美優先輩がそう言うなら信じることにします」

「……こ、これが互いに裸なら問題ありですが、水着を着用した状態であり、髪を洗うのがメインということらしいなので不問にしておきましょう。今後も入浴については色々と気を付けるように」


 そうすればいいわ、と霧嶋先生は頷いていた。ただ、お風呂の話題になったからか、彼女の顔の赤みはさっきよりも強くなっている。麦茶をゴクゴクと飲む。


「にゃー」


 バルコニーの方から猫の鳴き声が聞こえる。バルコニーを見てみると、サブロウがこちらの方を向いて座っていた。


「あら、サブちゃん。遊びに来たんだ」

「サブロウ君!」

「サブロウというのが、あの猫の名前なのかしら? 姫宮さん」

「そうです! あけぼの荘のアイドルです!」

「……なるほど」


 霧嶋先生、猫が好きなのかサブロウのことをじっと見ているな。


「あのハチ割れ猫、今も遊びに来ているのね」

「ええ。たまに遊びに来てエサとお水をあげるんですよ。私が用意するので、それまでの間、サブちゃんの相手をしてくれますか?」

「分かったわ」


 今の話からして、大宮先生はサブロウと前に会ったことがあるんだな。

 大宮先生は窓を開けて、サブロウの頭を撫でる。 


「にゃー」

「ふふっ、可愛いわね。一佳ちゃんも触ってみる?」

「えっ? 私は猫が好きですが、その……触ったことがなくて。小学生の頃、実家に遊びに来ていたノラ猫に触ろうとしたら、手を引っ掻かれたことがあって。それがトラウマで」

「そうなんだ。このサブロウ君は人懐っこいよ。初対面のときも普通に触れたし。あたしが背中を触っているから、一佳ちゃんは頭をちょっと触ってみようよ」

「そ、そうですか。では……触ることに挑戦してみましょうか。私は25歳の大人ですし、教え子がいる場ですから、教師としてお手本にならないと」


 どこまでも真面目な人だな、霧嶋先生は。

 霧嶋先生は大宮先生の隣に座って、サブロウの頭にゆっくり手を伸ばす。指先でサブロウの頭を撫でる。


「にゃー」

「……こ、これが猫の感触なのね。気持ちいい。柔らかい毛なのね。近年、モフモフという言葉を聞くことが多いけれど、そう言うのが納得できる気がするわ」

「ふふっ、触れて良かったね。じゃあ、背中の方も触ってみようか」

「え、ええ。挑戦してみます。背中、失礼するわ、サブロウ」

「にゃおん」


 背中の方も撫でると、サブロウは気持ちいいのかその場でゴロゴロし始める。そのことに霧嶋先生は驚いた様子。


「ゴ、ゴロゴロし始めたわ! 私に撫でられるのが嫌だったのかしら? それとも下手?」

「いえ、むしろ撫でられるのが気持ちいいからだと思いますよ! 一佳先生」

「そうなのね、姫宮さん。やはり、猫は癒しの存在ね。……にゃあ」

「にゃん」

「……にゃあにゃあ」

「にゃお~ん」

「……可愛い」


 霧嶋先生は今までの中で一番と言っていいほどの柔和な笑顔を見せ、にゃーにゃーとサブロウに語りかけている。


「やっぱり、一佳先生って可愛いですね。由弦もそう思うでしょ?」

「そうだな。サブロウと同じくらいに可愛い」


 風花と俺がそんなことを話すと、すぐに霧嶋先生が俺達の方に振り向き、照れくさそうな様子を見せる。


「な、何を言ってるの、2人とも。あと、猫と可愛さを比べないでほしいわ、桐生君。私は人間なのだから、人間と比べてほしいわね。でも、可愛さという基準で人と比べるなんてこと、教師としてあるまじき行為ね。しかし、私は大学のミスコンで優勝してしまった身だから、説得力がない……」


 ああっ、と霧嶋先生は頭を抱えている。教師という立場のせいか、色々と考えが固定されてしまっているような気がする。そこまで堅く考えなくていいのに。

 悩んでいる霧嶋先生の脚にサブロウは頭をすり寄せる。


「な~う」

「……サブロウは優しいのね。あなたがここのアイドルなのも納得だわ」

「にゃん!」

「ふふっ、一佳ちゃんが可愛いのは本当のことなんだから、それは素直に受け取っていいのよ。生徒から可愛いと思われるっていいことじゃない」

「……そうかもしれませんね」


 大宮先生が霧嶋先生の頭を撫でると、霧嶋先生は頬を赤くしながらも優しげな笑みを浮かべる。こういった霧嶋先生の姿を見ることができるのはサブロウのおかげかもな。さすがはアイドルだと思うのであった。

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