第15話『vs.Y』

 無事に勉強机を寝室に運ぶことができた。そのことで、この部屋が美優先輩だけじゃなくて俺の寝室でもあるのだと実感する。あと、勉強机に高校で使うスクールバッグを置くと、既に入学している気分になるな。


「いい感じになったね、由弦君」

「そうですね。勉強机があると、東京で高校生活が始まるんだって実感します」

「そうだね。私は2年生で由弦君の先輩だし、勉強で分からないことがあったら遠慮なく訊いてね。文系科目と英語だったら教えられると思う」

「美優は成績優秀だもんね。学年で10位には入っていたよね」

「うん。ずっと一桁だった。きっと、運が良かったんだよ」

「とても頭がいいんですね」


 そんな美優先輩が側にいると心強い。

 入試の成績が良かったため、俺は特待生として入学できた。ただ、高校の勉強は難しいだろうし油断はできない。しっかりと勉強していこう。


「勉強机が2つあると、本当に2人の部屋って感じがするね。いいなぁ。羨ましいなぁ。あたしも美優とルームシェアしてみたかったぁ」


 笑顔で言うところが恐い。美優先輩がいるから笑顔を見せているんだろうけど、俺と2人きりだったらどういう表情をしていたのだろうか。考えただけで恐ろしい。新年度を迎える今の時期ってこんなに寒かったかな。


「あっ、そうだ。洗濯物を干さないと。瑠衣ちゃんが来たり、由弦君の勉強机が届いたりしたからすっかり忘れてた」

「……洗濯物? もしかして、美優と桐生君の服を一緒に洗ってるの?」

「うん。この洗濯機なら2人分は余裕で洗えるし、バルコニーにも干せるしね」

「物理的なことも重要だけど、男子の服や下着と一緒に洗うのは美優としてOKなの?」

「最初は考えたけど、洗濯機で綺麗に洗うんだしいいかなって。それに男の子の服を一緒に干せば防犯にもなると思うし」

「なるほどね」

「そんなわけだから、洗濯物を干してきちゃうね。私の下着もあるし、手伝ってもらうのは恥ずかしいから、由弦君にはこの後の草むしりを手伝ってもらっていいかな? 明日はお花見をするし、その準備の一つってことで」

「分かりました」

「あたしも手伝うわ。だから、その……あたしもお花見に参加してもいいかな?」

「瑠衣ちゃんならいいよ。あけぼの荘に住む人達とも仲いいもんね。ただ、草むしりは手伝ってね」

「うん!」


 花柳先輩、とても嬉しそうだな。明日のお花見は、風花や俺の歓迎を兼ねたあけぼの荘のイベントだもんな。きっと、風花とも仲良くできるんじゃないだろうか。美優先輩との距離が結構近いので嫉妬するかもしれないけど。

 美優先輩は洗濯物を干すために寝室を後にした。


「もうすっかり美優と同居気分を味わっているのね、桐生君。美優の服や下着と一緒に洗った服を着ているなんて、それは美優に包まれているのと一緒なんじゃない? 羨ましすぎる……」

「そういうことにはならないと思いますけど」

「桐生君は興奮しないの? 美優で全身包まれているのよ! 股間だって! あたしだったら、興奮しすぎて悶絶モノよ……」


 そうなったときのことを妄想しているのか、花柳先輩は頬をほんのりと赤くして幸せそうな笑みを浮かべている。本当に美優先輩のことが好きなんだな。あと、今の花柳先輩の言葉にどう返事をすればいいのか分からない。

 リビングに行き、洗濯物を干している美優先輩のことを見る。元々持っている雰囲気も相まってか、若妻って感じがしてくる。……あっ、先輩が下着を手に取ったから、様子を見ないで日本茶の残りでも飲もう。


「あぁ、昨日は黒い下着だったのね。大人っぽい雰囲気だし、美優の白い肌を引き立たせるのにも最適な色ね」


 そう呟きながら「えへへっ」と厭らしく笑う。実況しなくていいんですよ、まったく。


「もしかして……美優の生下着姿を見たことがあったりする?」

「……ないですよ」


 ゴキブリ退治のときに全裸を見てしまったり、寝ぼけてふとんで寝ていたことを気付いたときに胸元が見えてしまったりしまったことはあるけど。


「ふぅ、終わった。あら、瑠衣ちゃんと由弦君はさっそく仲良くなっているんだね」

「仲良くなったというよりは、美優と一緒に暮らすわけだから、色々とアドバイスをしてたの。1年間だけど、あたしは美優と一緒に高校生活を送ってきたからさ」

「ふふっ、そうなの。それで、由弦君はどんなアドバイスをされたの?」

「えっ!」


 一瞬、花柳先輩は俺に鋭くて冷たい視線を送ってくる。


「み、美優先輩は年頃の女性なので、ちゃんと考えて生活するようにと。そんな感じのことを色々と言われました、はい」


 そうしないと、花柳先輩に殺されるからな。本当にちゃんとしないと。少なくとも、美優先輩が嫌がるようなことはしないように気を付けなければ。


「そうなんだ。瑠衣ちゃん、ありがとう」

「あ、あくまでも美優のためだからね。あと、桐生君に嫌なことをされたら、いつでもあたしに言ってきてね」

「分かったよ。じゃあ、3人で庭の草むしりをしようか」

「分かりました」


 俺達は外に出て、あけぼの荘の庭の草むしりをすることに。温かくなってきたからか結構生えているな。

 庭には大きな桜の木が1本あって、今は満開だ。東京は10日ほど前に開花宣言がされたのに、意外ともっているな。そんな木の下で、サブロウがのんびりとくつろいでいた。


「あら、サブロウじゃない」

「……にゃ」


 花柳先輩はサブロウの頭や背中を撫でている。先輩は満足していそうだけど、サブロウはムッとしている様子。


「サブちゃんは基本的に人懐っこくて鳴くことも多いんだけど、瑠衣ちゃんだけにはそっけないというか。触らせてはいるし、逃げていないから……ツンデレさんなのかな?」

「そんな猫もいると言いますからね」


 そういった可愛らしい理由ならいいけれど、実は花柳先輩の本性を見抜いているんじゃないのか?


「瑠衣ちゃん。サブちゃんに触るのもいいけど、草むしりもやってよ」

「はーい。じゃあね、サブロウ」

「……にゃあ」


 花柳先輩は離れると、心なしかサブロウはゆっくりしているように思える。ゴロンゴロンしていて可愛いな。

 その後も草むしりをしていく。こうしていると、実家の庭を草むしりしたことを思い出すな。休日になると父さんと2人でやってたっけ。この時期になるとアリが出てきて、巣を見つけることもあったな。


「きゃああっ!」


 そんな悲鳴が聞こえた後、花柳先輩が青ざめた様子で俺のところに駆け寄ってくる。


「どうしたんですか?」

「そ、そこに……ヤモリがいて。あたし、ヤモリは大の苦手なの!」

「えっ、ヤモリがいたの? Gほどじゃないけど、私も嫌いだな。軍手をしているから一応触れるけれど……」


 花柳先輩はヤモリが大嫌いなのか。あと、美優先輩も苦手な方だと。段々と温かくなってきたとはいえ、あけぼの荘には色々な生き物が出るな。あと、ヤモリって夜行性だから昼に見つけるとは珍しい。


「桐生君はヤモリってどう?」

「大丈夫ですよ。温かい時期になると、実家の窓に付いてましたし。それに今は軍手をはめていますから余裕です」

「そうなの。それは心強いね。……きゃあっ! こっちに近づいてきた!」


 ガサガサと音を立てながら、ヤモリはこっちに向かって歩いている。花柳先輩はそれが怖いのか俺の後ろに隠れる。

 ヤモリは動きが素早いので、俺は右手でヤモリに向かってすっと右手を出した。


「……よし、捕まえた」


 ヤモリの胴体を掴んで捕まえることができた。そのことで、ヤモリは手足やしっぽを激しく動かしている。


「き、桐生君! いつまでも持っていないでさっさと処分しなさい!」

「処分と言われましても……」


 どこかに離してもまたここに来そうな気がするし。このまま殺すのも気が引けるし。さあ、どうしようか。


「にゃあ」


 すると、サブロウはしっぽを立てた状態で俺の目の前に近づいてくる。そして、俺の目の前できちんと座り、視線がヤモリの持った右手に向けられる。


「もしかして、このヤモリが欲しいのか?」

「にゃ」


 そう言うと、サブロウはヤモリのしっぽの部分を咥える。俺がヤモリのことを離すと、素早く桜の木の下に戻っていった。


「サブロウが食べてくれるのかな」

「猫もヤモリを食べますからね。地元でもノラ猫がヤモリを食べていたところを見たことがあります。あのヤモリにとっては気の毒ですが、自然の摂理通りにするのが一番でしょう」

「そうね。よくやったわ、サブロウ! あとで抱きしめてあげるよ!」


 花柳先輩がそう言うけれど、サブロウはヤモリに食べるのが夢中なのか、こちらに振り向くことはなかった。


「あと、桐生君にもお礼を言っておくよ。ヤモリを捕まえてくれたし。あ、ありがとう」

「いえいえ」


 美優先輩と一緒に住んでいることもあって、俺にお礼なんて言わないと思っていた。だからか、ちゃんとお礼を言ってくれるときに感動する。


「あっ、やっぱり庭に人がいた。……って、由弦はどうして女の子とペッタリくっついているの?」


 気付けば、102号室のベランダから風花がこちらの様子を見ていた。きっと、花柳先輩の悲鳴で気付いたんだろう。

 風花に気付いた花柳先輩はパッと俺の側から離れる。


「俺達、明日のお花見のために草むしりをしているんだよ。こちらの花柳瑠衣先輩が苦手なヤモリを見つけて、俺にしがみついたんだ」

「なるほど、そういうことだったんだ。二度あることは三度あるってこういうことを言うんだね。あたしもヤモリは苦手な方だな。あと、初めまして、102号室に住むことになった姫宮風花といいます。4月に陽出学院高校に入学します」

「初めまして。あたし、今度2年生になる花柳瑠衣です。美優とは1年生のときに同じクラスで、高校で初めてできた親友同士なの。明日のお花見に参加したいから、その条件として草むしりを手伝っているの。よろしくね」

「よろしくお願いします。瑠衣先輩は美優先輩のご友人なんですね。可愛い人には可愛い友達ができるんだなぁ」

「ふふっ、ありがとう。あとで連絡先交換しようよ」

「分かりました」


 この様子なら風花とは仲良くやっていけそうかな、花柳先輩は。


「美優先輩。何かあたしにも手伝えることってありますか?」

「草むしりは3人でやれば十分だから、とりあえずは見守っててくれるかな。あとは、午後のお買い物に付き合ってもらおうかな。ここでお花見をやるけど、お弁当を作りたいからその材料を買おうと思って。あと、お菓子やジュースとかも」

「分かりました! とりあえずはここで見守ってますね! あと、サブロウ君が来たら愛でます」

「ふふっ、よろしくね」


 それからも、俺は美優先輩や花柳先輩と一緒に草むしりをしていく。これまでにゴキブリやクモを逃がしてきたので、そいつらが出てこないかどうか不安だったけど、そういったことはなく平和に進んでいった。

 見守る係の風花は常に俺達のうちの誰かと話していた。ただ、途中でサブロウが風花のいるところに遊びに行くと、風花の声が聞こえなくなり、サブロウの鳴き声だけがたくさん聞こえるようになったのであった。

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