第14話『親友突撃』

 4月2日、火曜日。

 目を覚ますと、ようやく見慣れてきた天井が見える。ただ、これまでよりも少し近く感じるのは、美優先輩のベッドで寝ているからだろう。

 部屋の時計を見てみると、午前6時過ぎか。休日にしてはだいぶ早い目覚めだ。


「うんっ……」


 さすがに、この時間だと美優先輩もまだ寝ているか。

 あと、寝る前よりも温もりを強く感じる。美優先輩はどんな寝相をしているんだ? 頭頂部しか見えていないので、ふとんをそっとめくってみる。


「由弦君……」


 昨日、寝るときには左腕を枕にしていたのに、今は俺の胸に頭を乗せていて、脚も絡ませてきている。時々、俺の体をさすっているし。小さい頃はぬいぐるみや抱き枕を抱きしめていたと言っていたし、今日は俺が抱き枕なのだろう。あと……俺はよく一度も起きずに朝まで眠れたと思う。

 今日も休みだし、二度寝しようと思ったけど、こんな体勢で美優先輩が寝ていると分かってしまうと、ドキドキしてしまって眠れない。


「それにしても、美優先輩は気持ち良さそうに眠ってるなぁ」


 どんな夢を見ているのだろうか。俺の名前を呟いていたから、夢の中に俺が出ているのかな。


「ゆ、由弦君。どんな手を使ってもいいから、その巨大Gを倒して……」

「大変なことになってますねぇ」


 美優先輩、怖がった表情になっている。

 どのくらい大きなゴキブリなんだろう。きっと、夢の中では昨日のように俺の後ろに隠れているんだろうな。もしかして、その夢を見ているからこんな寝相になっているのかな。


「うんっ……」


 美優先輩はゆっくりと目を覚ます。凄く安心したような笑顔を見せてくれる。


「由弦君、起きていたんだね。おはよう」

「おはようございます」

「……良かった、夢で。実は夢の中で由弦君よりも背が高いGが出てきてね。由弦君が戦うんだけど、なかなか倒せなくて。そんな中で目が覚めたの。Gがいなくてほっとした」

「そ、そうですか」


 現実ではそんなにデカいゴキブリはいないけど、もし出くわしたら勝てる自信はそんなにないな。いや、殺虫剤を駆使すれば何とかなるか。


「ご、ごめんね。由弦君。昨日は腕だけだったのに、こんなに抱きついちゃって。暑くてあまり眠れなかった?」

「そんなことないですよ。俺が起きたのは10分くらい前ですから。さすがに一緒のベッドで緊張して、昨日は寝るのに少し時間がかかりましたが」

「そうだったんだ。私は腕枕が気持ち良くて意外と早く眠れたよ」

「すぐに寝息を立てていましたもんね」


 緊張して、夜中まで眠れないと思っていたけど。美優先輩が気持ち良く眠れたのなら何よりだ。


「Gも出たけど、それ以外はいい夢が見られた気がするし、これからはたまには一緒に寝よっか」

「……一緒に寝たいときは言ってきてください」

「うん。もちろん、由弦君の方から言ってきてもいいからね」

「……はい」


 自分から言うパターンってあるだろうか。考えただけで罪悪感や背徳感がある。ただ、先輩の温もりや匂いが心地良かったのも事実。残り1ヶ月ほどの平成のうちに誘うことがあるかどうか。



 今日の朝食は引っ越してきてから初めて洋風の朝食だった。実家にいた頃は洋風の朝食を食べることはあまりなかったけど、こういう朝食もいいなと思った。そう思えるのはトーストはもちろん、美優先輩が作った目玉焼きや野菜スープが美味しかったからだろうか。


「今日も美味しい朝食をありがとうございました」

「いえいえ。由弦君の淹れてくれた日本茶は今日も美味しいよ」

「ありがとうございます」


 美優先輩が朝食の後片付けをした後、日本茶を淹れて食休みをする。食後はこうすることが早くも慣れてきたな。

 ――プルルッ。

 うん? スマートフォンが鳴っている。俺の方……じゃないか。


「あっ、高校の友達から電話がかかってきてる。ちょっとごめんね」


 美優先輩は窓の側まで行って電話に出る。電話の相手が友達だからか楽しげな笑みが見える。その姿はアパートの管理人さんではなく、高校2年生の女の子だ。きっと、学校では今のような笑顔を見せて友達と喋っているのだろう。


「えっ? 今から来るの? ちょっと待って」

「どうかしましたか?」

「友達に由弦君と一緒に暮らしていることを伝えたら、どんな人なのかを確かめたいって言っているの。いいかな?」

「俺はかまいませんよ」

「分かった」


 今度入学する男子生徒と一緒に住んだことを知れば、友人として確認したい気持ちになるのは当然か。

 そういえば、午前中は勉強机が家に届くんだったな。運ぶ先は寝室だし、友人の方にはリビングにいてもらえばいいのかな。


「友達、今すぐに来るって」

「分かりました。高校のご友人と言っていましたね」

「うん。花柳瑠衣はなやぎるいちゃんっていう女の子で、1年生のときに同じクラスだったの。高校に入学して初めてできたお友達で親友だよ。料理部っていう部活にも一緒に入っていて」

「そうなんですか。あと、美優先輩って料理部に入っているんですね」

「うん、そうだよ。週に1度、料理やスイーツを作るの」

「そうなんですね。……何だか、先輩らしい部活でいいですね」

「そ、そうかな?」


 美優先輩ははにかみながらソファーに戻り、緑茶をすすっている。

 料理部か。俺も料理はもちろんスイーツを作るのが好きだし、週に1度だけ活動するというのも魅力的だな。候補の1つに考えておこう。


「ちなみに、花柳先輩はあとどのくらいで来ますか?」

「ここからお家まで歩いて10分くらいだよ。彼女はこの伯分寺に住んでいるの」

「へえ、そうなんで――」


 ――ピンポーン。


 インターホンが鳴っている。もしかして、昨日買った勉強机がもう届いたのかな? それとも、風花が遊びに――。


 ――ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!


 随分とせっかちなお客さんのようだ。


「私が出るね」


 そう言って、美優先輩がソファーから立ち上がり、リビングの扉の近くにあるモニターで来客を確認する。


「あっ、瑠衣ちゃん! もう来たの? 電話が切ってから3分も経ってないんじゃない?」

『じ、自転車に乗って全速力で来たの』


 はあっ、はあっ……と花柳先輩の激しい呼吸音が聞こえてくる。歩いて10分かかるところを自転車で3分も経たずに行くのはキツいか。


「今行くからちょっと待っててね、瑠衣ちゃん」

「俺、冷たい麦茶を用意しておきますね」

「うん、よろしくね」


 息を乱すほどだ。きっと、体がかなり熱くなっていることだろう。

 キッチンで冷たい麦茶をコップに注ぐ。それをリビングの食卓に持ってきたとき、美優先輩に手を引かれる形で1人の女の子が入ってきた。青色という珍しい色をした髪をツーサイドアップにまとめている。自転車を全力でこいだからか、幼さの残る顔に何粒もの汗が流れる。


「あ、あなたが……美優と同居し始めた男の子?」

「そうです。桐生由弦といいます。とりあえずは冷たい麦茶でも飲んで体を休めてください」

「……うん。ありがとう」


 食卓の椅子に座った花柳先輩に麦茶を出す。すると、彼女はそれをゴクゴクと一気に飲み干した。そのときの爽やかな笑みはCMやポスターにいいんじゃないかと思えるほど。冷たいのが心地いいのかな。


「……あぁ、美味しかった。とりあえずはありがとう。ええと……羽生君?」

「桐生由弦です。名前のおかげで、初対面の方だと、たまに有名なスケート選手と名前を間違われます」

「そういえば名前が似ているね! 私は間違えなかったけど」

「さすがは美優ね。ええと、桐生由弦君ね、覚えたわ。あたしは花柳瑠衣。今度2年生になる美優の親友だよ。よろしくね」

「よろしくお願いします。花柳先輩。今度、陽出学院に入学するので、学校でもよろしくお願いします」

「よ、よろしく。それにしてもいい響きね。先輩って。2年生になった気がするわ」


 花柳先輩、嬉しそうな笑みを浮かべている。当たり前だけど、1年経って陽出学院の後輩ができるから、先輩と言われるのが嬉しいのだろう。

 ただ、そんな笑みもすぐに消え、真剣な表情で俺のことを見つめてくる。


「……桐生君。さっそく訊くけど、美優と一緒に暮らしているってどういうこと? 事情があるみたいだけど。正直、羨まし……年頃の男女で暮らすなんてどうかしているわ。姉弟とか恋人とかでもないのに。これなら、もっと早く連絡すれば良かった。新しい入居者の受け入れとかで忙しいかと思って連絡しなかったけど……」

「そうですか。……花柳先輩の言うことは分かります。美優先輩とは節度ある生活をしようと心がけています。ただ、二重契約が分かって、近くに同じような物件がなくて、これからどうしようか考えていたときに、美優先輩がここで一緒に住もうと言ってくれたんです」

「私達の不手際で、由弦君と隣に住んでいる姫宮風花ちゃんっていう女の子が二重契約しちゃったからね。風花ちゃんに102号室を譲ったけど、由弦君の新しい住まいがなかなか見つからなくて。だから、その責任を取りたいと思って。もちろん、彼のことを見て大丈夫かもって思った上でね。それに、今のところはちゃんと暮らせているよ」


 そう言う美優先輩の顔はとても赤くなっており、俺と花柳先輩のことをチラチラと見ている。

 花柳先輩はとても長いため息をつき、


「……男子が絡んでいることで、そんな表情をする美優を見るのは初めてだよ。今まで誰に告白されても、そんな風にはならなかったのに。ちょっと悔しい。分かった。親友の美優に免じて、今のところは様子を見ることにするよ。本当は反対だけど! ただ、美優の嫌がることをしたり、傷つけたりしたら許さないからね」

「もちろんです」


 花柳先輩は真剣な様子で俺のことを見つめてくる。


「……確かに、こうして見てみると真面目そうね、君は。美優が一緒に暮らしても大丈夫って考えるのも何となーく分かる気がする。そうだ、連絡先を交換しよっか。美優から相談されて、君に注意やアドバイスをすることがあるかもしれないし」

「分かりました」


 俺は花柳先輩と連絡先を交換する。

 そういえば、深山先輩に引っ越しの挨拶をしたとき、彼女から美優先輩と暮らすことに否定的な人はいるだろうと言われたっけ。

 きっと、花柳先輩のように考える人はこれから通う陽出学院には何人もいるだろう。美優先輩は告白されるほどに人気の生徒だから、絡まれる可能性もありそうだな。

 ――ピンポーン。

 またインターホンが鳴っている。美優先輩がモニターに向かう。


「はい」

『勉強机をお届けに参りました』

「分かりました。すぐに行きます。結構早く来たね、由弦君」

「ええ、そうですね。実は昨日の午後に俺の勉強机を買って、寝室に置くことになったんです」

「へえ、そうなの。寝室も広いから、勉強机が2つあっても大丈夫そうか」

「ちゃんと寸法は測ったから大丈夫だよ。瑠衣ちゃんはリビングでゆっくりしていてね。私、ちょっと出てくるから」


 美優先輩は楽しげな様子でリビングを後にする。


「美優、楽しそうだなぁ。あの美優が男の子と同居するなんてねぇ」


 そう言うと、花柳先輩は俺の側に近づいてきて、


「大好きでたまらないあたしの美優に何かしたら、あなたのことを殺すからね」


 耳元でそんなことを囁いてきたのだ。恐る恐る先輩の方を見てみると、彼女は冷たい笑みを浮かべていて。その笑顔を見た瞬間、全身に悪寒が走った。美優先輩のベッドで一緒に寝たとか、ゴキブリ駆除の際に先輩に全裸で抱きつかれた話をしたら、この場で殺されそうだな。

 とんでもない人と知り合いになってしまったと思いながら、俺は自分の勉強机を業者の方と一緒に寝室に運ぶのであった。

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