第9話『テニス少女』

 美優先輩が松本先輩にメッセージを送る。

 松本先輩が入っている女子テニス部は、長期休暇の間も練習をする日が多いんだっけ。春休みの今は運動するのに気持ちいいからまだしも、夏休みはキツそうだ。練習は屋外でやるだろうし。


「あっ、杏ちゃんから連絡きた。……やっぱり、今は休憩中だって。あと、2人の顔を見たいからビデオ通話したいって」

「是非、話してみたいです!」

「俺も挨拶したいです」

「じゃあ、さっそく電話を掛けるね」


 美優先輩はバッグからスマホスタンドを取り出し、スマホを装着してテーブルの上に置く。スタンドをよく持っていたな。

 それから程なくして、美優先輩のスマホに焦げ茶色の髪の女性が映し出される。彼女が松本先輩なのかな。こちらに手を振っている。笑顔の素敵な方だ。


『もしもーし』

「もしもし、杏ちゃん。私達3人が見えているかな?」

『見えてるよ、美優。可愛い金髪女子と、かっこいい黒髪男子と一緒だね。この2人があけぼの荘に引っ越して来た子かな?』

「そうだよ。金髪の女の子は102号室に住む姫宮風花ちゃん。黒髪の男の子の方は、こっちの不手際で私と一緒に101号室で住むことになった桐生由弦君だよ」

『えええっ! それって大事件じゃない!』


 大きな声で松本先輩がそう言うのでビックリしてしまった。あと、今更だけど、お店の中での通話はまずい気がする。少なくとも、話し声は小さくしないと。


「杏ちゃん、もうちょっと声を小さくして。普通の電話だったら耳がおかしくなってたところだよ」

『ごめんごめん。でも、そっかぁ。美優は告白されることが多いけど、全部断ってきたから同棲なんてことはないと思っていたよ。少なくとも美優が高校を卒業するまでは』

「同棲じゃなくて同居だけどね。伯父さんのうっかりで2人が102号室で二重契約になっていたからね。彼が彼女に部屋を譲って。近くのアパートやマンションには、彼が希望する物件は埋まってるし。だから、一緒に住むのはその責任を取るためでもあるの」

『なるほどね。他に住むところがないなら仕方ないか。桐生君、美優に感謝しなさい。あと、彼女の嫌なことはしないように気を付けなよ』

「それは胸に何度も刻んでいます」

『まあ、恋人として付き合ったら、できることが色々増えるけど』


 ふふっ、と松本先輩は爽やかに笑っている。どうやら、彼女は俺が美優先輩と一緒に住むことに肯定派のようだ。


『自己紹介してなかったね。私、今度2年になる松本杏。201号室に住んでます。女子テニス部に入っているの。昨日も練習があったから家にいなかったの、ごめんね』

「いえいえ、気にしないでください! 初めまして、102号室に引っ越して来た姫宮風花です。泳ぐのが好きなので、水泳部に入ろうかと思ってます」

「初めまして、桐生由弦です。部活については高校に入学してから考えてみます。これからよろしくお願いします」

『風花に由弦君だね。これからよろしくね』

「電話はしてもいいけれど、大きな声で話すのは控えてね。特に杏ちゃんは」


 気付けば、俺達の注文したものを佐竹先輩が運んできていた。美味しそうな匂いがしてきている。


『おっ、莉帆! 今日もバイトだったんだね。近いうちにまた行くよ』

「どうもありがとう。杏ちゃんもテニスの練習頑張ってね」

『うん、ありがとう! みんなこれから食事みたいだから、私はこれで。お花見のときにゆっくり話そうね!』


 そう言って、松本先輩の方からテレビ電話を切った。元気なスポーツ少女だったな、彼女は。

 これで一応、現在のあけぼの荘の住人全員と話したことになるのか。悪い人や怪しい人がいなくて安心した。ただ、あまり迷惑を掛けてしまわないように気を付けよう。


「お待たせしました。ミックスフルーツパンケーキのティーセットに、オムライスのティーセット、ナポリタンのコーヒーセットになります。ごゆっくり」


 頼んだメニューがそれぞれの前に置かれる。ナポリタン、とても美味しそうだな。ホットコーヒーからもいい香りがしてくる。


「うわあっ、パンケーキ美味しそう……!」

「前に友達と来たときに食べたことがあるけれど、パンケーキはとても美味しいよ。オムライスも美味しいんだよね。これで何度目だろう」


 2人は自分の頼んだものを、スマホで撮影している。雫姉さんや心愛も外食に行くと、こうやって写真を撮ることが多かったな。たまに、SNSにアップしてるし。女の子の多くは写真を撮るものなのかね。……俺も撮っておこう。

 肝心のナポリタンの味はというと……とても美味しい。コーヒーも苦味がしっかりとしていて俺好みだ。


「う~ん、パンケーキ美味しい!」

「ふふっ、良かったね、風花ちゃん。オムライスも美味しいよ」


 2人も満足そうな笑みを浮かべながら食べていて、それが可愛らしかったので写真を撮りたかったけれど、それをしたらまずいかなと思って止めておいた。


「由弦のナポリタンはどう?」

「とても美味しいよ。コーヒーも俺好みだし、今後は定期的にここに来るかもしれないな。スイーツも結構充実しているみたいだから、学校帰りとか。甘いものが好きだし」

「……じゃあ、食べてみる? あたしのパンケーキ」


 風花はチラチラと俺のことを見てくる。


「いいの? その……色々な意味で」

「あ、あたしがいいって思わなければ、こんなことは言わないから。その代わり、由弦のナポリタンも一口ちょうだい。どんな味か気になっていたし。あっ、ピーマンは除いてね。あたし嫌いだから」

「はいはい、分かったよ。じゃあ、俺のナポリタンの方から」


 ピーマンに気を付けてナポリタンを一口分巻き取り、風花の口までゆっくりと持っていく。


「はい、風花。あーん」

「あ、あ~ん」


 風花にナポリタンを食べさせる。すると、すぐに風花は可愛らしい笑みを浮かべて、


「うん、美味しい。ありがとう」

「どういたしまして」

「じゃあ、お礼にクリームたっぷりのパンケーキを食べさせてあげるわ」

「それは嬉しいな。ホイップクリーム好きなんだ」

「ふふっ、見えなくなるくらいにつけるから覚悟しておきなさい」


 風花はナイフでパンケーキを一口サイズに切り分け、ホイップクリームをたっぷりと付けている。とても楽しそうにやっているのが恐ろしい。


「はい、由弦。宣言通り、クリームたっぷりのパンケーキよ。あ~ん」

「あーん」


 俺は風花にパンケーキを食べさせてもらう。クリームがたっぷりついているからかかなり甘い。クリームが口の中にこんなに入っているのは久しぶりかも。ただ、甘ったるいクリームの中にパンケーキの優しい甘さが顔を出してきて。


「うん、とっても美味しいよ」

「ふふっ、良かった」


 まさか、風花がパンケーキを分けてくれるなんて。優しい美優先輩ならまだしも。そんな美優先輩の方を見てみると、物欲しそうに俺達のことを見ていた。


「美優先輩もナポリタンを食べてみますか?」

「パンケーキも一口いかがですか?」

「2人に気を遣わせちゃってるね、ごめん。ただ、今の2人を見ていたら私も一口交換したくなっちゃった。2人だったら、その……間接キスをしてもいいし」

「もう、先輩ったら! その言葉を言わないでくださいよ。あたし、恥ずかしいから言わなかったのに」


 風花は顔を真っ赤にして両手で顔を隠してしまう。そういえば、風花は間接キスって言葉を言っていなかったな。そんな彼女の頭を、美優先輩が優しい表情を浮かべながら撫でている。


「ごめんね、風花ちゃん。その気持ち、私も抱いているから。ほら、オムライスを一口食べさせてあげるから。はい、あ~ん」

「……あ~ん」


 美優先輩からオムライスをもらった風花はすぐに笑顔になり、


「凄く美味しいです!」

「でしょう? だから、これまで何度も食べているの。はい、由弦君も。あ~ん」

「いただきます。あーん」


 ケチャップ味だからナポリタンと味は似ているけど、玉子の半熟具合がたまらない。あと、さっきのパンケーキもそうだったけど、誰かからもらう料理はより美味しく感じる。


「とても美味しいですね。先輩が何度も頼むのが分かる気がします」

「ふふっ、由弦君にも気に入ってもらえて良かったよ。じゃあ、2人の頼んだものを一口ずつもらおうかな?」

「分かりました。では、俺のナポリタンから」


 さっきのように一口分巻いて、美優先輩にナポリタンを食べさせる。そのことが恥ずかしいのか、先輩ははにかみながらもモグモグと食べて、


「とっても美味しいよ、由弦君。ありがとう」

「いえいえ」

「では、次にあたしの頼んだパンケーキも。由弦のときのようにたっぷりとクリームを付けましたから」

「ありがとう! 私もクリームは大好きなんだ。あ~ん」

「あ~ん」


 美優先輩は風花からパンケーキを食べさせてもらっている。クリームがたっぷりだからか、とても幸せそうに食べていて。それがとても可愛らしい。


「う~ん、美味しい! 甘いものを口いっぱいに入れると幸せな気持ちになれるよね。ありがとう、風花ちゃん」

「いえいえ。パンケーキを食べる先輩、とても可愛かったです」

「そう言われると何だか照れちゃうな。でも、オムライスやナポリタンを食べてる風花ちゃんも可愛かったよ」

「……ほんとだ。何だか照れちゃいますね」


 美優先輩と風花は笑い合っている。いい光景だなぁ。

 お互いに頼んだ料理を一口交換したこともあり、とても楽しいお昼ご飯になったのであった。

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