鼓の音が聞こえますか。

@lilisu0234

新しい世の中のはじまり

「水まで売り渡すのですか?...これから日本の国はどうなるのでしょう...」

 いつも明るい鈴子さんの顔が曇った。日本の伝統文化は?四方八方海に囲まれ、世界で一番水に恵まれた国、人々の知恵と工夫で自然災害と共存してきた国、水はこの国にとって命ではないか。

 


 

 鈴子さんは、ご主人と、『EM』という有用微生物群の商品を扱う販売代理店を経営している。

 私は、図書館で見つけた『比嘉輝夫』先生の本がきっかけで、鈴子さんのお店を知った。

 EMは比嘉先生が偶然に発見した人間の体にいい微生物の集まりだ。

 比嘉先生は沖縄で生まれ育った。子供の頃から農業が大好きで、いつも親の手伝いをしていた。もちろん農業を一生の仕事にしようと思っていた。大学で農業を学び、農薬の研究をした。農薬を大量に使うことが当たり前だと思っていた時、奥さんの体に異変が起き、次は自分の体がガタガタになった。医者に長く生きられないと言われた。農薬が原因だと分かって、比嘉先生の人生は180度変わった。農薬一筋の研究が、無農薬の研究に変わったのだ。先生が目をつけたのは微生物だ。夢中で微生物の世界にのめり込んでいく。微生物も人間社会と同じ、七割が日和見で、力の強いものになびく。残りの三割が、人間の体にいい微生物と、体に悪い微生物の争いだ。いい微生物が強いと七割がこちらにやってくる。ある時、いい微生物がいくつか集まったら、その力はすごいものになることに気づいた。そこから比嘉先生の行進が始まる。叩かれても、けなされても、人類のためになるという強い信念のもと、農薬の要らない世界を目指して前進する。比嘉先生の確立したEM農法は人の体に優しい。今や世界に広がったEM農法は人々を幸せに導く。

 特に、貧しい国の人を助ける。何故なら、EM農法は農薬を用いた農法よりお金がかからない。安全で美味しい野菜がアジアの多くの人を喜ばす。

 比嘉先生は特許を取らなかった。自分の利益より、人々の利益を優先したのだ。早く世界に広めたかったのだ。資本主義の世の中では、企業は利益を追求する。そこで比嘉先生との摩擦が生じる。比嘉先生は、いろいろなところから干され、無視された。それでも、EMの素晴らしさと、安価で培養する方法を人々に伝えた。微生物と餌と適度な温度があれば、EMはどんどん増えるのだ。日本でも、比嘉先生の想いに共鳴した人達が、EM農法に取り組むようになった。その輪は確実に広がり、大人から子供まで、みんなで川にEMを蒔き、川を浄化し、米、野菜を作る。無農薬でEM農法で作った野菜のやわらかくて美味しいこと!昔の野菜の匂いがする。いい土でないと、いい野菜はとれない。農薬づけの土地からは体に悪いものしか育たない。

 EM農法は、微生物と虫の住むあたたかく丈夫な土を作る。



 鈴子さんは、前向きで、楽しい人だから、いつの間にか鈴子さんを中心とするネットワークが出来上がった。共通しているのは、農薬や、添加物で汚染された食べ物、それらを平気で売っている大企業、に疑問を持ち始めた人達だということだ。

 「何かがおかしい...このままではよくない。身の回りで地球のために何かできることはないだろうか...」

 想いを同じくする仲間が集まった。みんなEMを培養して、台所、風呂場、トイレ、部屋の掃除、花壇、家庭菜園に使っている。テレビで宣伝しているものは一切使わない。地球に優しいものしか使わない。普通の主婦だ。

 鈴子さんと私は気が合う。

 政治はみんなを幸せにするものなのに、今の国を預かっている人は弱い人達を見ているのか。少数の意見を聞いているのか。

 昔、大国主命は少彦名大神という少数民族の人達の意見をよく聞いて、国を治め、人々を幸せにしたという。

 今や、あらゆる分野の市場が開放され、大切に守られてきた日本の伝統が消えていく。

 最後の砦の「水」もグローバル化という波に飲み込まれようとしている。

 世界では、安全な水は簡単に手に入らない。何時でもどこでも美味しい水が飲める日常は決して当たり前ではない。水道を市場開放した結果が失敗に終わり、再び公営化に向かう国が多い中、日本は民営化をスタートさせた。



 97歳になる義母の痴ほうが進んだのは昨年の夏の終わりだ。暑さが高齢の体を痛めつけたのだろうか、食欲も落ちて、今までにない行動をとるようになった。

 ある日、義母は鍵を開けて外に出ていった。

 雨の中、1時間以上、道路に立っていたらしい。近所の人が見かねて家に連れてきた。

 今まで一度も一人で外に出ていったことないのに・・・。

 ずぶ濡れになった義母の服を取り替えながら、88歳の誕生日にこの家に来た時のことを思い出した。しっかりした人だ。知らない土地に来ても、ここになじもうと努力したし、いつもニコニコして、「ありがとう」の言葉を絶やさなかった。

 「おばあちゃん、一人で外に行っちゃ駄目だよ。」と伝えた。

 分かっているのか・・・。義母は笑うだけだ。

 晩秋の頃、義母を診てくれている訪問診療の先生が言った。

 「もう、一人で痴ほうの老人(義母)を看るのは限界です。施設に預けなさい。よく、頑張りましたね。」

 義母が新潟からこの家に来た時からお世話になっているケアマネジャーさんが言った。

 「ずっと心配してましたよ。私は、お義母さんより、あなたが参ってしまうんじゃないかって・・・。ご主人が亡くなってからもずっと一人で介護してきて、もういいんですよ。これからは自分のために生きてください。」

 何かの力が働いたのだろうか。初冬の頃には義母は特別養護老人ホームに入れることになった。

 周りの人は驚いた。

 「なかなか特老には入れないんだって。」

 「百人待ちは当たり前だって。」

 「よく入れたわね。ご主人が助けてくれたのね。」

 そうかもしれない。義母を残して逝ってしまった主人が何より心配だったのは母親のことだと思うから・・・。

 入所の際の説明で言われた。

 「私達は、看取りという介護をします。延命治療はしないで、自然に最期を迎えられるよう最善を尽くします。今、介護の現場も、原点に帰ろうという考えに変わってきました。戦前の、家族が、家で、おじいちゃん、おばあちゃんの最期を看取ったあの姿を思ってください。死に行く体に無理な点滴は、苦しみしかありません。点滴で溜まった水分を抜くための治療は、意味がないのではないか。延命治療というのは、人を助ける医療です。若い人と死に向かう人では、治療は違うのではないか。病院で働いた看護師の話ですが、自然に天命を全うした人と、延命治療でチューブづけになった体では、肌が全然違うそうです。人間って最期の時は、苦しみのなくなるホルモンが出ます。傍からみると肩で息して苦しそうですが、本人は夢うつつで、とても気持ちいい状態にいます。そして最後まで耳は聞こえます。また、不思議と大切な人が来るまで待ってるんです。人は水だけで一か月はもちます。だいたい水を取れなくなって、二週間で最期を迎えます。私達も一生懸命お手伝いさせていただきますが、最期が近くなったら、なるべくこちらへ通ってください。」

 

 「おばあちゃん、良かったね。沢山苦労したけど、こんな綺麗な施設に入れて。優しい人達、お友達に囲まれて寂しくないね。私、最期まで看てあげられなくてごめんね。」

 「いいよ、お母さん(私)にはさんざん世話になったから。ありがとう。」・・・



 年が明けて、鈴子さんのお店で茶話会があった。鈴子さんを入れて五人が集まった。EMのカリスマ主婦と言われている山形さん。三十代の土井さん。83歳の峯さん。鈴子さん。私だ。

 最初に自己紹介から始まった。

 鈴子さんが、「今日はお茶を飲み、みなさんが持ち寄った一品を頂きながら楽しいひと時を過ごしたいと思います。また、何でも自由にお話しください。」

 鈴子さんは、目鼻立ちのはっきりした表情豊かな人だ。山形さんは、エキゾチックな香りを漂わせている。細い体に綺麗な肌、艶やかな黒髪が印象的な美人だ。とても50代とは思えない。土井さんは、知的な人に見える。家事、子育て、何でも一生懸命取り組んでいる。峯さんは、きちんとお化粧をして、若々しい。

 「皆さんは、今日初めてですね。もちろん山形さん以外は、お店のお客様ですので私との関わりはあります。山形さんとは昨年の秋からお付き合いさせて頂いてるんです。有名な方なので存じ上げていたのですが、まさかこんなに気さくにお付き合い頂けるなんて思ってもいませんでした。」

 「そんなことありませんよ。私はただの主婦です。」

 鈴子さんはお茶の準備を始めた。

 山形さんがEMで作ったリンゴジュースと、自家製小麦粉からパンを焼いてきた。

 「召し上がってください。」

 甘いリンゴの香りがする。

 土井さんも「私もパンを焼いてきました。」

 食べやすいように一口大に切ってある。ふっくら香ばしい匂いがする。

 「わあ!土井さんのパン可愛い。美味しそう。」

 山形さんはナイフでリンゴパンを切りながら言った。

 紙のお皿に二種類のパンが並んだ。

 峯さんはお煎餅を、私は途中のお店で買ってきた「ずんだ」のお団子を配った。

 鈴子さんは、EM農家から買った大きな干し柿と美味しいお茶を入れてくれた。

 私達はとても幸せな気持ちになった。

 「なんて甘い柿でしょう!」山形さんが言った。

 「干すときにEMをつけるそうです。この柿は特別です。」

 「でしょうね。私も初めて頂きました。」

 「EMって何でも美味しくなるんですね。」峯さんが言った。

 「そうなんです。」山形さんが嬉しそうに答えた。

 「私は山形いづみといいます。EMを使い始めたのは、子供が小さい時新築の家に越しました。そこでアトピーとシックハウス症候群に悩まされ、薬や化学物質以外で治す方法ないか探し求めてたときにEMに出会ってからです。30年近くになります。当時、息子は、喘息で、私は疲れと恐怖から体はガタガタでした。私は子供の頃から感受性が強くて色々なものに影響を受けます。虚弱体質なんですね。そんな私達を救ってくれたのがEMでした。EMを薄めて家じゅうにまきました。お風呂にも、庭にも、トイレにも、生活空間にはすべてまきました。しばらくすると、私の体調は良くなってきました。息子の状態も落ち着いてきました。それからです。EM生活にのめり込んでいったのは。」

 「私は梅村です。私がEMの事を知ったのは図書館です。やはり山形さんと同じ、子供のアトピーを治したくて医者、薬に頼らない何かを探し求めていました。ステロイドが怖かったからです。もう25年になります。人間の持っている自然治癒力を高める方法とEMは結びつきました。EMを通して微生物や発酵食品に興味を持ちました。」

 土井さんには小学低学年の娘さんがいる。若いお母さんだ。お子さんがアレルギー体質なので、食生活は手作りのものが多い。今日も手作りのパンを持ってきてくれた。EMに出会ってからまだ日は浅いが、掃除、洗濯、料理、さまざまに工夫を凝らしている。

 高齢の峯さんが言った。

 「私は1年前からEMを使い始めました。EMのセラミックで、安心な水を作り、お茶を入れたり、料理に使っています。また、EMを薄めて掃除してますが、不思議とぬいぐるみに埃がつかなくて、家の中もピカピカです。訪ねてくる友人がびっくりします。エムラルってありますね。痛いところに塗ると痛みが和らぎます。」

 「EMは毎日使うことによって、重ね効果がでます。」

 「そうですか。先生、私は、まだよくわからないので、これからいろいろ教えてください。」

 「私は先生ではありません。普通の主婦です。」山形さんが微笑んだ。

 峯さんが「毎日お忙しいでしょう。お休みはあるんですか?今日ここに来てくださってありがとうございます。」と言った。

 「今は農閑期なので暇してます。春になると、田んぼや畑で忙しくなるんですが・・・。」

 「お住いのところでお米や野菜を作ってるんですか?」

 「住まいは練馬です。千葉に土地を借りて、農業をやってます。今は主人が千葉にいます。今のところ私は行ったり来たりです。」

 土井さんが口を開いた。

 「普通は、EMに出会うと、掃除、料理、家庭菜園、病気の事で、そこで落ち着くと思うんです。お米まで作る人は珍しいと思います。EM農家さんは、化学肥料の代わりにEMを使いますが、山形さんはまるでEM農家さんみたいですね。」

 「初めは一人、二人、でしたが、だんだん人が集まり、今では百人程になりました。農薬や、添加物に危機感を感じる人達です。農業で一番大切なのは土です。化学肥料は土を固くします。EMは土を柔らかくします。ずっと続けていると、土の奥まで変わっていきます。EM農法は、微生物の力を借りて土を耕すのです。土が良いと、作物に虫は付きにくいのです。不思議です。EMが培養できるってご存じですね?EMと、水と、餌があれば、EMはどんどん増えます。安くて、美味しくて、体に良い野菜が作れます。」

 ・・・それからあとは、みんなは以前からの知り合いだったかのように、和気あいあいと、楽しい時間を過ごしたのだ。

 「私は、EMに出会えて本当に良かったと思ってます。EMに縁がなかったら、もしかしたら薬に頼ってたかもしれません。今三十代になる息子は、元気に暮らしています。」

 「EMは微生物です。寒いところでも、砂漠でも、その土地に合った微生物がそこに合った発酵食品を作ってきました。もちろんお酒もそうです。私達は昔から、微生物に沢山の恩恵を頂いてきました。体にいい微生物を集めて悪い微生物を仲間にしてしまうことを考えた、比嘉先生の発想は自由ですね。」

 「比嘉先生は、ご本の中で微生物は神様だと言っておられますが、比嘉先生にとって微生物は確かに神様なんです。」

 「微生物は、大地、海、鉱物、植物、動物、宇宙、すべてにいて、いつも我々を助けてくれてます。光合成細菌、酵母菌、乳酸菌等々にもっと感謝したいです。」

 「太古の昔、まだ地球が混沌としていた時です。放射能に覆われた地球に、放射能を食べて生きていた微生物がいました。今でもその微生物は生きています。その微生物が、福島の放射能を食べてくれると信じた人達が、ずっとEMを蒔き続けてます。効果は確実に数値に表れています。放射能が消えているのです。セシウムが消えているのです。八年間蒔いているところと蒔いていないところの違いははっきりしてます。何かの力が働いているらしいです。転換というものが起こっているらしいのです。私は、白鳥哲監督の「祈り」という映画を観ましたが、世界の三%の人が心を一つにして世界の平和を祈ったら、それが実現するという素晴らしいメッセージでした。人の念は凄いのです。物事をひっくり返す力があるのです。」

 「私は、ボランティアの方々の愛の行為が、放射能をも消すんだって教えてくれた気がします。東京の日本橋は何年か前までは、汚れた川だったそうです。ボランティアの方々が毎週EMを蒔くようになって、今では、見違えるような綺麗な川になりました。鳥も魚も帰ってきました。鮭の稚魚を放出してその稚魚が成長して戻ってきたそうです。」


 「日本ではあまり知られていないけど、世界でEMは使われていて、ロシア、ドイツでは国の機関が効果を認めています。タイでは王様をはじめ軍が先頭に立って、EMを広めています。汚染地帯は綺麗に浄化され、農業は豊かになり、病人を治しました。タイの前副大統領が、『・・汚染の浄化に八億の予算案を組んだけど、EMを使うことによって、二十四万円で綺麗になった。・・』と、インタビューに答えていました。EMは、中国、北朝鮮、アジア、アフリカの国々にどんどん普及しています。」

 「あまり豊かでない国々に広まるのは何故でしょうか?」

 「日本では、比嘉先生は異端児です。学会でボコボコにされてます。この国ではEMは認められてません。比嘉先生は、東日本大震災の時、福島にEMを蒔かせてほしいと国会議員全員に手紙を出しました。でも、誰も相手にしてくれませんでした。EMを蒔いたのはボランティアの方々です。福島全部には蒔けなくて、地域は限られてしまいますが、放射能が消えた後の農地では、美味しい作物が育っています。比嘉先生はいくら叩かれても挫けません。比嘉先生には夢があります。地球をEMで再生させたいという大きな夢が。地球に暮らすすべての仲間たちに幸せになってもらいたいのです。国々が争わないで仲良くしたら、一部の者が貧しい人達の食料を取り上げなくてもみんなに食べ物がいきわたるのに・・・文明社会というものが、毎日どれだけの食べ物を無駄に作って、無駄に捨てているか。微生物をプランクトンが食べ、それを魚が食べ、動物がいただく。この循環を崩してはいけない。世界の人が「足る」を知って暮らしたら、人口は増えても食料は賄えると比嘉先生は言われます。」

 「何でこんな素晴らしいことを私達は知る機会がないのですか?」峯さんが尋ねた。

 「世界でこんなに広まっているのに、邪魔をする勢力があるからです。大企業はEMが広まったら困るでしょう。こんな話があります。みなさんよくご存知のまどか自動車、車を洗浄する従業員の手荒れがひどいのを知った上層部が、ある大学の先生に相談しました。そこで開発されたのが「エムラル」です。EM二号と水と鉱石だけで作られています。その液体は、簡単に車の汚れを落とすだけでなく、手荒れの問題を解決しました。そこで、同じグループの日本を代表する自動車会社も使い始めました。それを知ったある新幹線車両区も使い始めました。でも、その事は企業内の秘密です。従業員も外では話しません。自動車会社がスポンサーをしている会社に影響が出るからです。誰でも知っている大企業が使っている洗浄剤はEMからできているなんて、絶対に言えないです。それが無害で汚れがあっという間に落ちて、人の体に優しいのですから。そこの会社がスポンサーをしている有名な会社の製品は、コマーシャルでよく流れていますが、少し知識がある人なら、その製品が体に良くない事を知っています。」山形さんが峯さんに答えた。

 「資本主義って何ですか。いつまでも消費する経済が続くというのですか。人の幸せより利益優先ですか。会社は株主のものですか。グローバル化って何ですか。戦争で儲かる会社があるのは何でですか。武器を作って、敵、味方に売って、戦争で儲けるのですか。世界では貧困で苦しんでいる人が沢山いるのに、いつも犠牲になるのは一番弱い人々です。一番戦争したくない人達が一番悲しい思いをしています。戦争をしたい人は一割ですか、後の七割は力のあるほうになびくんですか!・・・私達は戦争を起こさせない。みんなが幸せに暮らせる世の中にしたいです。みんなの幸せを願う一割になりましょうよ。この二百年で地球の自然は疲れてしまいました。便利さと多くの物を手に入れた私達は、沢山の自然と当たり前の優しさを失ってしまったかもしれません。森が失われたら二酸化炭素は誰が吸収してくれますか。酸素はどうしますか。地球のリズムが崩れ、生態系が狂ったら、これからここに暮らす生き物はどうなりますか。先祖が残してくれた美しい地球を私達は子孫に繋ぐことができますか?一人の力は僅かなものかもしれないけど、でも、黙ってみているわけにはいきません。」

 「私は、東日本大震災の後、静岡に行きました。御前崎の近くに住む親戚の法事でした。そこで高齢の方と話をしましたが、その方の言葉が忘れられません。あの頃、浜岡原発が停止になりました。私が子供の頃、御前崎は、原子力発電所のない綺麗な海でした。いつの頃からか、原発の近くに住む人々は原発が無いと生きていけなくなってしまったのかも知れません。そこにお金がおちるからです。年配の方は「早く原発が動いてくれないいと困る。」と言いました。私は、「え?もし福島みたいな事故があったらどうするんですか。そんなに簡単に動かせないでしょう。」と言いました。その方は「今お金が欲しい。」と言うので、「大切なお孫さんのこと考えたら原発は無くす方向にいかなければならないでしょう。」と話しました。「先のことはわからない。」という言葉を聞いたとき、次に言う言葉が浮かびませんでした。確かに原発ができて、雇用が増えたかもしれません。潤った人がいるかもしれません。他所からやってきた人が原発反対と騒ぐのかも知れません。今、海は汚れ、子供の頃、足の先まで透き通って見えた綺麗な海はどこかへ行ってしまいました。原発は必ず海の傍に作られます。汚染物を海へ流すためです。海は、地球は、みんなのものです。そこに住む人々だけのものではないのです。」

 「微生物の世界ってね、善玉菌が強くなって、日和見菌が善玉菌につくと、悪玉菌も善玉菌の仲間になるんだって。人間の世界もそうなるといいね。」

 鈴子さんが大きな声で笑った。

 「美味しいお茶入れるね。」

 「嬉しい。」

 山形さんは手作りのチョコレートを袋の中から出してきた。

 「まだあったんだ。」

 「そう、後のお楽しみにとっておいたの。」

 みんなは、美味しいお茶とチョコレートでまた幸せになった。

 峯さんが言った。

 「私は少ない年金で暮らしていますので、そんなにEMにお金はかけられません。でも、自分に合った使い方を奥さんから教えてもらいました。今は、掃除と、美味しい水と、痛いところにエムラルを塗ってますが、楽しいです。」

 「素晴らしい。無理をしてはいけません。楽しんでEM生活をしましょう。EMは自分で増やせるのが面白いです。微生物と毎日お話ししてください。ちゃんと答えてくれます。」

 みんな、山形さんに頷いた。EMを培養している人は、微生物が毎日変化していくのがわかる。自然に微生物と会話をするようになるのだ。

 「農家の人も喜んでます。経済的にも化学肥料の三分の一で済むんです。そして蒔けば蒔くほど土は良くなっていくのです。私は、お風呂の残り湯に培養したEMを入れて庭に蒔いています。掃除もします。植物も喜びます。家の中のカーテン、壁、布団などにまく時は、EMを五十分の一に薄めます。どこにでも振りかけます。微生物が汚れを食べてくれるので、家の中はどんどん綺麗になります。重ね効果っていうんです。あたたかいんです。」

 山形さんのあたたかい言葉は外の寒さも吹き飛ばしてくれるような気がした。

 「山形さんは、食品添加物をどう思われますか?」

 「私は、駄目なんです。使わないようにしてますが、知らないうちに口に入ってると思います。一つ一つの添加物のことは分かりませんが、複合で体の中に入ったらどうなるか、怖いですね。国も規制をゆるめてますし、みんなに知識だけは持ってほしいと思います。」

 鈴子さんが言った。

 「添加物は体に悪いと分かっていても、考えてしまうと食べるものがなくなってしまうので、なるべく考えないようにしています。頭がパニックになりそうです。でも、農薬より恐ろしいんじゃないかとも思ってます。」

 私が言った。

 「私は、醤油、麹、塩麹を作ってます。なんにでも使えます。カレー粉と小麦粉と醤油麹で美味しいカレーができるんです。美味しいし体にいいです。」

 峯さんが言った。

 「先生、なんでこんなに癌が多いのですか。食べ物のせいですか。」

 「さあ、私は医者ではないので分かりませんが、世界で癌が増えているのは日本だけです。抗がん剤を使ってるのは日本だけです。アメリカもヨーロッパも使ってません。禁止されました。アメリカもヨーロッパも癌患者は減ってます。その中で、日本は、二人に一人が癌になると言われています。癌になって病院に行くと、抗がん剤、放射線治療、手術、しかありません。民間療法はいろいろありますが、国は認めていません。アメリカも、ヨーロッパも、代替医療があって、国が認めています。患者は十種類位の治療法の中から自分に合った治療法を選べます。なんでこんなに癌になる人が増えているのか分かりません。食べ物か、ストレスか、環境か、複合的要因か、何かのメッセージかも知れません。」

 峯さんが「日本は何でもアメリカの真似をするのに変です。何でアメリカが抗がん剤を止めたのに、日本は止めないのですか。」山形さんに質問した。

 「アメリカの製薬会社が薬を売りたいのだと思います。日本は世界の半分以上の薬を飲む国ですから。薬が悪いとは言いません。でも薬は対処療法で、人間の持っている自然治癒力と、両立させていただきたいです。企業のグローバル化はすごい勢いで進んでいます。政治家、官僚は目先のことばかりではなく、将来のことをしっかり考えるべきです。。」

 「なんとかならないのですか?」

 「なりません。今のままなら・・・私達、一人一人が学ばなければなりません。いつまでも平和ボケして自分と周りの事だけを考えていてはいけないのです。よく学び、考え、みんなの幸せのために動き出すのです。ゆっくりでいいから。それが愛する子供、孫、の未来の希望になります。私達で作るのです。平和を。みなさん、私達一人一人にはすごい力があるんですよ。もっと自信を持ちましょう。みんなでみんなの幸せを祈ったら、必ずそうなります。」

 峯さんが手を叩いた。

 「いいですねえ。いいですねえ。八十過ぎてこんないい話が聞けるとは思いませんでした。幸せです。」

 私達も今日はいい日だったと思った。楽しかった。初対面だったのに、随分前からの友人たちと、こんなに素晴らしい時を過ごせたと思った。

 鈴子さんがカーテンを開けた。真っ青な空が冬の夜空に変わっていた。星も光りだした。

 「風邪ひかないようにね。」

 「またみんなで会いましょうね。」

 「元気でね。」

 私は、この感動を忘れないと思った。北風が冷たかったが、寒さより、暖かい気持ちの方が強かった。



 私達は、何でも楽に手に入るという欲望を追い続けた結果、地球という惑星に、無理な負担をかけすぎたのではないか。森林を伐採し、眠っていたウランを掘り起こし、石炭、石油を無造作に使い大量消費を続けてきた。結果、地球は汚れ、異常気象が多発している。海も、山も、大地も、悲鳴をあげている。このまま大自然の声を無視していいのだろうか。地球は何時まで私達を許してくれるのだろうか。


 老齢者の最期の在り方についても、原点回帰の考え方が出てきた。水もそうだ。世界では、水道を民営化して、また公営化に戻す都市が増えているのに日本では民営化を進めている。民営化で失敗した事例から学ぶことはないのだろうか。


 「堤未果」さんというジャーナリストの言葉だ。・・・「自分の頭で考えるのをやめてしまえば、今だけ「カネ」だけ自分だけの、狂ったゲームを暴走させ、足元が崩れるスピードはましてゆくだろう。だが何が起きているかを知った時、目に映る世界は色を変え、そこから変化が始まってゆく。」・・・


 私達は、次の世代に輝いた地球を残していかなければならない。先祖達がそうしてくれたように・・・。一人では何もできないと諦める前に。いま起きていることを知り、学び、気付き、行動しなければならない。

 明日、鈴子さんに言おう。・・・もし、水道が民営化されて、サービスが低下し料金が上がったとしたら、また元に戻せばいい。痛い思いをするかもしれない。でも失敗に気付いたとき、またやり直せばいい。



 神様は、パンドラの箱に希望を残してくれた。希望があれば、人は生きていくことができる。鈴子さんは子供の笑顔が好きだ。どうか子供達がいつも笑っていられる平和な世の中が続きますように。みんなが仲良く暮らせますように。



『・・・

 表に出る日を待っている

 あとからくる者のために

 あとからくる者のために

 田畑を耕し、種を用意しておくのだ

 山を鈹を海を綺麗にしておくのだ

 あとからくる者のために

 苦労をし、我慢をし

 みんなそれぞれの力を傾けるのだ

 あとから、あとから、続いてくる

 あのかわいい者たちのために

 みなそれぞれ自分にできる

 なにかをしてゆくのだ・・・』

 ・・・映画「蘇生」(白鳥哲監督)より・・・




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