第4話
警察の人間が訪ねてきてから、空けて月曜日になる。昨晩、小鼓音が六道心は信用ならないと、敬明と満場一致で意見が纏まっていた。特に加賀野という敬明と同い年くらいの青年は、人をくったようにする人間だった。陰陽師の系統に属しているか、もしくは流れを組むものを受け継いでいると説明された。
あれだ、よくあるなんかの漫画ネタで大暴れする主人公とかだ。空想上でしか知らない敬明には、その程度の知識しかない。小鼓音には一般常識以外にも見聞を広めましょうと、徹夜である程度の仕組みや当時の組織を文字通りに叩き込まれた。
現在は役に立つか定かではない予習のせいで、教科書を机に立てている。
「荒銀、ここ答えてみろ」
「はい。わかんないっす」
「放課後に自習課題出しとくから、やってから帰宅するように」
授業の話を聞かないうえに、なにも思考せずに問題が解けないという。すると、アフタースクールの予定は確定した。昼時になり、入学してから気の合う友人三人で学生食堂へと向かう。途中の雑談から女性の好みに移行し、クラス女子の誰が容姿に優れているかと話し合う。敬明は女子の裸も毎日見てれば慣れてしまうものだなと、一人勝手に納得した。
放課後の天気は昼間の晴れと違い、酷くぐずついている。自習課題の予定など、頭の隅から転げ落ちてすっかりわすれていた。よって下駄箱で靴に履き替えようとして、教師に連行されてしまう。課題を終えた頃には、大雨が降り出していた。
鞄を上に向けながら、帰り道にある喫茶店の軒下へと走って避難していく。学校を出てから、まだたいした距離も走っていない。新しいブレザーには、濡れた染みが幾つもできている。多少濡れた髪をいじって水滴を手に付けると、いつやむだろうかと少し陰鬱になってしまう。
誰かがいる、いた。
変化はすぐに、全身の肌を串刺しされたように感じた。服の下に鳥肌が立ち、急いで上半身を右へと向ける。青紫で富士牡丹の柄をあしらった和服を着ていた。朱を基調とした和傘を畳んだままで、空を眺めている様子は穏やかな表情を覗かせる。歳は敬明よりも上、昨日あった杜崎と同程度くらい。
髪は明るいブロンド色で、染めたような印象を受けなかった。地毛だろうかと観察していると、薄い紅を引いた口元が笑む。あるべき景色に対して透き通っている、いいえて幽霊のような第一印象だった。
「良い天気ね。ねえ、今は本当にいい天気だと思わない?」
「え、降ってますけど」
傘を畳んだままの女性は、敬明の横で異様なことをいう。
「雨って匂いを洗い流すじゃない。灰になる火も悪くないけど、できるだけうるさくない方が好みだわ」
「はあ」
喋っている意味の内容が半分も理解できない。いつの間にか一メートルほど空いていた距離が縮まっていた。頬に手を当てられていたこのにも気づかず、首を傾げられて撫でるように揺れる髪に目が泳ぐ。
「な、なんすか!?」
「う~ん。霞が言った通り、本当にただの一般人ね」
「昨日の奴らと同じ――
口元が手の平によって優しく塞がれる。払いのけることはしないが、一歩下がって呼吸を確保した。
「TPOは大事よ、騒いでいい場所は限られてるの。お店の前でしたら、いい迷惑になると思わないかしら?」
相手の言っていることは正しいが、昨日の一件で拒否感が強く心を苛む。思わず両腕を前方に掲げ、見よう見真似のファイティングポーズをとった。女性は気にすることなく指を向ける。店の出入り口を示しながら、相変わらずの穏やかな口調だ。
「話をするなら中でね、私は少し小腹がすいたわ。時間はそうね、三〇分程度でいいかしら」
まだ入るかさえの返答すら許さず、女性は足取り軽やかに店内のドアを引き開けた。
「おい、ちょっと待――
「大丈夫よ、お姉さんが奢ってあげるから。こんな美人の誘いを袖にすると、男としての甲斐性が問われるわよ?」
始終、相手のペースに押され続けていく。有無を言わせぬ強引さがある上に、言葉も平気で遮ってくる。敬明は一々に考えることも馬鹿らしくなり、鞄を肩にかけて後に続いた。店内は落ち着いた雰囲気で多少の人たちが席を埋めており幾つかの目もある。
ここで暴れだせば警察もすぐに駆けつけてくるだろうが、目の前の女性が取り締まる側に近しい存在だ。
女性は窓際の空いている席に座ると、店員を呼んでここのおすすめは何かしらと聞き始めた。雨が止む気配もなく、飛び出て濡れ鼠になる気概も起きない。諦めて、テーブルを挟む反対側の女性へと顔を向けなおす。
「あら、ここのケーキは意外と美味しいわ。また食べにこようかしら」
「なあ。それ食べ終わったら、俺にあった理由を聞きたいんだけど」
手を止めてフォークを置くと、金属の擦れる音が鳴る。女性は敬明の目を覗き込むようにしてにこりと笑う。距離感の詰め方が急すぎることに違和感が拭えない。
「私は
「はあ」
ものいいに多少の引っ掛かりを覚えながら、曖昧にしかうなずくことができない。
「荒銀敬明。敬明ちゃんで、名前はあってるわよね?」
「ちょっと待て、ちゃんずけはやめろよ」
初対面の女性にちゃんずけで呼ばれたことに動揺し、思わず嫌な顔になってしまう。ようはダサいと感じてしまうのだ。しかし抗議の声が届くこともない。千切はケーキを最後まで食べきると、フォークを指に挟んだままで聞いてくる。
「敬明ちゃん家の居候が、訪ねてきた二人の申し出を拒否したそうね。どうしてかしら?」
「信用できないからに決まってんだろ。おれも小鼓音の意見に賛成したし」
「なぜサカを庇うのかしら。それで敬明ちゃんに、どんな得があるっていうの?」
「得とか関係ねえよ、俺がそうしたから、してるだけ。あんたは困ってる人がいたら、見捨てるのかよ?」
小鼓音とあの日交わした契約だが、敬明にとっては単なる人助けだ。絡繰武者を倒した後でなにもなかったとしても、山中に一人置いておく気になれるわけもない。
眉間に皴を寄せながら聞く。対して千切は三本の指で挟んだフォークを苦も無く飴細工のように曲げていく。知恵の輪のようにして、興味なさげにテーブルの上へ放る。最後はまるで傑作なものを見たかのように笑う。
「あはは、わかってないわね、本当におめでたいわ。あれが、そんなにお上品な生き物だと思う。サカになるってことはね、その時点でろくな人生を歩んでないの。なる前も後も、周りに死臭だけをまき散らす」
「昨日の奴にも言ったけど、小鼓音はそんなことしてねえよ。一緒に生活してても、普通に暮らしてるだけだ」
「だから放っておけなんて、どだい無理な話よ。六道心は保護の皮を被った捕獲を第一に優先する。そこに敬明ちゃんの意見は、一切介在できない」
「ぜってー、俺は六道心なんかに顔をださねえし。小鼓音も同じだ」
敬明が意気込んで少し睨みつければ、千切は半眼のまま薄く微笑む。
「じゃあ質問させてもらうわね。敬明ちゃんと一緒になる前にいた頃は、彼女はなにをしていたのかしら。サカじゃいつの時代だって武器を向けられる。返す握手なんて一つもない、薄気味悪くて近寄れば忌み嫌われる。社会に溶け込めなければ、行きつく生活は絞られてくる。野党の群れでも率いてたかしら。或いは一処に住み着く、鬼と恐れられた可能性もあるわ」
「なんでそんなことがわかんだよ、勝手な決めつけじゃねえか」
「違うわよ、実体験。私がサカだから、周りは誰も残らない。生前で勝手に殺してくれたから、戻って私も好き勝手に殺して回ったわ。同じ穴の
反論できる材料が見つからず、なにも言い返すことができない。千切は緊張感なく、一つ小さく欠伸をする。胸元に手を入れると鈍い赤銅色を放つ、オープンフェイスの懐中時計を取り出した。随分と使い込まれているらしく、手になじむような色合いをしている。
「良い商館時計でしょう、大正の頃から気にいって使ってるの。きっかり三〇分、私の考えは述べさせてもらったわ。従うかどうかは好きにすれば良いんじゃないかしら。個人の思いだけは自由よ」
残っていた紅茶を一息に口の中へと流し込む。持っていたカップを丁寧に置いて、時計を再び自身の懐へとしまう。
「これも下らない決まりごとだから、確かに一回だけは警告をさせてもらったわ。明日の夜に、もう一度答えを聞かせてもらうわね。私好みの台詞を期待してるわよ?」
「警告?」
「そ、警告。まだ雨脚が強いわね、もう少しのんびりしていくといいわ。私は先にお暇するけど、ゆっくり休んでから帰宅なさいな」
千切はお金をテーブルの上に置くと、なにも警戒せずに背を向けて店を後にする。敬明は飲んでいたコーラの残りを一気飲みしていく。ガラス製のコップを置いた先、透明な薄壁の向こうに理解不能の光景が広がっていた。
千切が曲げたはずのぐにゃぐにゃに変形していたフォークが元に戻っていた。まるで狐につままれていたかのようだ。もう一度窓の外を見ると、雨はとうに上がっていた。比較的多い雨量で、突然にやむようなほどの衰えは見えなかった。全ての事象が千切を中心に回っているかのようだ。
手元を見て驚きの声を上げそうになる。強烈に握られたかのような指の細い手の跡がくっきりと浮かんでいた。
敬明は酷く疲れて帰宅すると、母親と一言二言の会話をして二階へと上がっていく。自室のドアを開けると、小鼓音がベッドに寝転がりながら百科事典を読みふけっている。
――あれだ。あれをなぶれ。すれば、きっと気持ちい。詰めろ。抑え込めば、心のつかえも消えうる。やれ。やれ。やれ』
「敬明、今日はいやに帰宅の時間が遅いですね。なにかありましたか?」
「いや、特にない。雨にふられたから、少し雨宿りしてた」
変に気を揉ませることもない。敬明は千切のことを黙って、制服の上を脱ぐ。小鼓音は百科事典を閉じると、その場でゆっくりと立ち上がった。真っ直ぐに敬明を見て、にこやかに笑う。
「では、アに近づいてなにをするつもりです?」
「違う、おれじゃない!」
自身の意思と関係なく、体は勝手に動き回る。両手は小鼓音の首を締めあげようと、力任せに握りつぶそうと。細い首に皴が入り、白い肌には朱がさし、骨ごと砕かんとする。
びくともしない。小鼓音は涼しい顔のままで、敬明の両腕を掴み上げ、ゆっくりと引き離し始める。
「ほだされましたね、敬明。これは高位の者が行使する幻術です。人畜無害な貴方には、さぞかけやすかったでしょう。答えなさい、誰に会いましたか?」
「六道心の千切」
「また例のですか。今度は少々穏やかではありませんね。あれは規模があり、組織の統制が取れずに派閥ごとで動きが違うのでしょうか。まあいいでしょう、もう少し様子見と致しましょう」
相変わらず笑顔のせいで、表情から取れる感情が読み辛い。怒っているのか、呆れているのかの判断が難しいのだ。
「敬明、アではこの幻術を穏便に解く統べを持ちません。荒療治となりますが、我慢してくださいね」
次の瞬間、敬明は視界を失った。
目がさめると、室内の明かりが目に飛び込んでくる。数秒でぼやけている視界が鮮明になった。後頭部の感触がやけに柔らかいと気づくには、もう少し意識の覚醒が必要だった。膝枕されていたことに気づき、慌てたようにして上半身を起こす。
「ぐあ!」
「せっかちですね。座るのであれば、ゆっくりとなさい」
小鼓音の額に敬明の同じものが当たるが、目尻に涙を溜めてもんどり打つのは一人のみ。羞恥心のあまり離れようと急いだが、結果はたんこぶをつくるものとなってしまう。
「
「うっせ」
恥ずかしくなって返せる言葉は照れからの一言だけだった。小鼓音の首もとに手をかたどった跡はない。男性が全力で締め上げたのだから、なにか残っていたなければおかしいはずだ。
「首、なんともないのか?」
「尾を引くものがあるわけもなし。気にかける事柄ではありませんね」
「ごめん」
「次から気を付ければよいでしょうが、回避のしようもありません。今回は不運に見舞われたと思いなさい」
敬明が頭を下げると、小鼓音は子供を諭すように肩を数回ほど優しくたたく。
「加賀野とやらは穏便にと言っていました。しかし、人である敬明の胆力が効かないとわかっていて、なお凶暴性の高い手段に出たのでは矛盾が生じます」
「あれか、さっき言ってた一枚岩とかじゃないってやつ?」
「ええ。こちらから締め上げに打って出ることも可能ですが、あの坊やたちがいる場所も知りません。とはいえ、これも対策を用いるべきでしょう」
「とは言われてもなー。小鼓音が学校に来れるわけないし」
六道心に対して身構える必要性がある。だが、とりえる手段は限られていた。いっかいの学生身分ではたかが知れているともいえる。どうしたものかと頭をひねるが、なかなかいい案も浮かばない。小鼓音は一つ頷くと、敬明に今後の方針を告げる。
「九死に勝るご用心あるべきとはいきませんが、最低限のことは必要でしょうから。私に一計があります」
妙案ですねと一人で喜んでいるあたり、普段が考えなしの敬明でも不安を抱える。世間の常識一年生は、なにを言い出すかわからない。教えてもらおうとすると、後学のための外出ですとしか教えてくれなかった。
次の日、高校の授業が全て終了した時間。敬明が帰るために向かっていた正門に、やたらな人だかりが発生していた。可愛いだのと男声に、誰あのモデルみたいな外人と女声の両方が聞こえてくる。興味もなく横を通り過ぎようとすると、いつもの聞きなれた声がこちらに向かってくる。
「敬明、迎えに来たので帰りましょう」
「なんでここまで来てんの!?」
「ぼでぃがーど、です」
「こんな人いっぱいの場所で、襲ってきたりしないでしょ……」
微妙な英語を使って、微妙にどや顔っぽい雰囲気をたたえている。敬明は小鼓音の手を掴むと、この手の騒ぎはご免だと早歩きでその場から歩き出す。あとでクラスメイトに浮いた話を聞かれるかもしれないが、今は知ったことかと頭の中を切り替える。
小鼓音は少し笑いながら、だいぶ遠巻きになった学び舎の建物を眺める。
「先程の質問ですが、敬明の勉学に勤しむ場に興味がありましたから。たくさんの者に囲まれて、少々面を食らいました」
「そらそうだろうよ。こっちからしたら、小鼓音の方が珍しいし」
「確かに。勉学の徒とはいいものですね、アも通う方法を模索すべきでしょうか」
「学校の先生全員をだませりゃ、いけんじゃねえの?」
一考の価値はありそうですね。いや、やっぱやめてくれ。会話をしながら最寄りの駅から電車で移動して自宅に戻る。敬明と小鼓音が帰宅すると、ダイニングリビングのほうから楽しく話している声が聞こえてくる。聞きなれた二つは父親と母親のものだ。
問題は三つ目にあった。一瞬にして敬明の腕に鳥肌が立ち、余りの焦燥感に小鼓音の制止する手を押しのけていた。靴を履いたまま土足でドアを開け放つ。
「それでね、お父さんたら慌ててお家に戻っちゃって、もう大変なの」
「母さんそれは言いすぎだろ。いやあ、千切さんに聞かせる内容じゃないなー」
「お二人の馴れ初めは、随分と大胆だったのね。面白いわ」
談笑していた。昨日あった千切が昔からいるお隣さんのように、敬明の両親ととても仲良く話し込んでいる。三人が敬明のほうを見ると、会話は通話を切ったかのように途切れだす。再生している画面の向こう側が一時停止されたかのようだった。両親が動かなくなり、互いが利き手に一本ずつ調理用に包丁を握る。千切は嬉しそうにして話しかけてきた。
「遅かったわね敬明ちゃん、答えをもらいに来たわよ。そっちのおばあちゃんは、初めましてだったわね」
口端を吊り上げながら不気味に嗤う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます