第一章 怪物退治⑦
ゲノフタワー八階、ゲノフ騎士団団長室――。
扉をノックし入室すると、黒い机の奥で団長であるラタンが、大きな椅子に腰かけながらゼスを凝視していた。
茶髪は額の中央で分けられ、すそは刈り上げられている。眉間にシワを作り、入室したゼスを見ながら、嘆息をついた。
「統轄長から話は聞いている……」
机に肘を乗せ、口の前に両手を握る。上司のその言葉をゼスはすぐに理解し、「ロシリーのことで?」
「無論だ。彼女の活躍ぶりは聞いているが、まさか辞職を考えていようとはな……。君も同席したと聞いたが、まさか賛同するつもりじゃないだろうな?」
「いえ、私も言われるがまま付いていき、あのような場所であんなことを言った本人に驚愕した身です。賛同どころか、未だ驚きは収まりません」
「それもそうか……。君たちくらいのものだからな、定時を過ぎても巡回をする者といったら……。ロシリーくんと相性がいいからこそ君たち二人の活躍はある。彼女が抜ければ、しわ寄せが来ることは考慮したほうがいいだろう」
「辞めさせるおつもりで?」
「いや、何とか引き留めようと思っている……。彼女はこれから休暇を取っていてね。その間呼び出すわけにもいかないから、できれば休暇後にでも彼女から詳細を聞こうと思っているのだよ。なぜ辞めたいのか、そのきっかけは何か……」
「私をここにお呼びしたのは、それが理由で?」
「いや、ロシリーくんに関してはまだ時間がある。問題はもっと厄介でね……」
それはどのような? と神妙な顔つきでゼスは尋ねた。
「君も噂くらいは聞いているだろう。ゲノフ内部にも、現統轄長に不満を抱き、小さな反乱分子ができているというのを……」
その噂は、ギースに対する団員たちの日頃の鬱憤が蓄積したものなどから来るものだった。ギースが就任してから三年は経っているらしく、団員たちの間では、ギースが姿を見せないことに職務怠慢の声が上がっているとのことだ。確かに先刻も、突拍子もないロシリーの言動に振り回されつつ、ゼスはギースの存在をカーテン越しにしか感じ取れないでいた。
姿を見せない大きな組織のトップ。それは別段違和感を抱くことではないかもしれない。末端の立場となると、組織の位が高い人間の顔など頻繁に見る機会はないだろう。だが、ああも間近にいながら、カーテンに身を隠したままのトップというのは、上司としてよりも人間としてどうなのか、という考えが、ゼスのみならず所属する騎士団内外で耳にしたりすることがあった。
しかしそうした鬱憤は、社会の組織の中では常だろう。役職や立場などによる軋轢は、どの時代にもあったのではないか。
ゼスはそう思いつつも、ラタンの言う反乱分子という言葉に、組織の中の闇というものを垣間見た気がした。
「反乱分子……。私が聞いていたものとは、少し大きくなっている噂のような気もしますが……」
「私もそれは感じている。だが、ある人物が最近怪しげな行動を起こしているという情報が入ってね……」
「レックス研究員ですか?」
レックスの奇妙な笑みを思い浮かべる。見た目からして裏で何かやっていそうな雰囲気のあるレックスの名を口にするのは、ある意味当然と言える。ところが、ラタン部長は首を横に振り、
「メルアくんだよ」
「メルアが?」とゼスは目を丸くした。
「行動が怪しいところがあるようだ。夜な夜な外出しては、街中に消えていくという。目撃者の話では、ゲノフタワー近辺の治安のいい区画ではなく、比較的治安の悪い区画へ赴いているようだ……。それが何を意味するか、わかっていると思うが……」
暴徒化する側と手を組み、時期が来たらゲノフタワーを攻撃する、そう解釈してもおかしくはないということだ。だが、つい先ほど楽しげに食事をしたメルアがそんな大それたことをするとは考えにくい。
「メルアくんの様子を探ってくれそうな人間は、ゼスくん、君の周りの人間にいるだろうか? 君を慕っている者も少なからずいると聞く」
誰かを選別することは、本人にとっては迷惑なものだろう。
というより、ラタンはゼス自身にメルアを探ってほしいと言っているようにも聞こえた。
ストレートにゼスに要請するのも気兼ねてしまう事柄であることは、話を聞いていてわかる。
メルアの様子を窺うことは、ゼスとしても願ってもない。それだけ、彼女の潔白を証明したかった。また、恩を感じているからこそ、メルアの疑いを晴らしたいというのもあった。
それなら利害は一致する。
「私が引き受けましょう」
ラタンは感嘆の音を上げ、
「さすがだな! やはりゼスくんだ。それなら君に相談した甲斐があるというものだ!」
最初からそれが狙いだったのかもしれないが、上司に誉められるという部分では悪い気はしない。
夜闇が訪れたゲノフタワー。
まだ明かりの点るタワーから少し離れた場所にゲノフで働く人々の宿舎があった。
ラタンとの話を終え、宿舎に帰ろうとした矢先、ゼスは教会の前を通りすぎようとした。
ゲノフタワー近辺の建物は、この敷地外の街の雰囲気とは極端に異なり、整備された道や、ビルなどの建築物も小綺麗で、住民たちの住む区域とは衛生面でも整っている。
その一角にある教会に明かりがあった。
ゼスは招かれるように、そっと教会の扉を開けた。
静まり返った祭壇の前で、白い衣服に身を包んだ女性が、説教をしていた。
入って視界の半分を覆う長椅子に、ちらほらと街の住人たちの頭が見える。
「欲望とは、人間にとって毒というものです。世界を一度滅ぼしたあの戦争も、人間の欲がもたらした災厄と言えましょう……」
ゼスに気づいたその女性は、柔和な笑みをたたえつつ説いていく。
「わたくしたちは、神によって許された人間……。神に逆らった罪は重く、日夜、食事や衣服に不自由するのも、神への贖罪なのです。この場におられる尊き光を宿した皆さま方……、どうかその贖罪に恐れず、苛まれず、神に祈り続けるのです。さあ祈りましょう……『おお、神よ。どうかわたくしたちをお許しください』」
女性はそのまま胸元に両手を交わらせると、瞑目し祈りを捧げた。修道服に包まれた女性の華奢な体は仄かに発光していた。
静まり返る教会内。
クラウドキャッスルに鎮座する神を崇める宗教だった。それはこの時代、人々が苦心し続ける環境や他者との繋がりに希望の火を灯す手段とも言えた。
戦争を終え人々が得た、新たな人生、生きる喜び。それらはクラウドキャッスルにおわす神が与えたものであるという思想だった。
人工的に作り上げられた電子の脳は、戦争を経験し人間を見限るかと思いきや、うまく手玉にとり、まさに雲の上の存在として人々の心を魅了する……。
それは神相応とも言える行いかもしれない。
入り口近くの椅子に座っていたゼスは、説教を終えた女性に近寄った。
「元気そうだな、マルニア」
白い頬に仄かな赤みが乗り、優しそうに目を細めるその女性は、マルニアと言った。
「これは、ゼス様ではありませんか……」
被っていたフードを外すと、マルニア特有の水色の髪があらわになった。顔の両側には房のように髪が伸び、後ろの髪の長さも背中に達するくらいのものだった。
「どうぞこちらへ……」
祭壇の脇にある扉にマルニアは手を添えると、二人してその部屋へ入った。 扉を閉めるマルニアにゼスは振り向きざま、こう言った。
「相変わらず信心深いな」
マルニアは非戦闘員として、クラウドキャッスルから派遣された〝聖女〟という役職だった。信仰の方に重きを置いており、その役割というと、信者へ説法を聞かせたり、祈祷を捧げることを促すと言うものだった。また、統轄長の代理を勤めたりなど、ゲノフとクラウドキャッスルとの橋渡し的役目があった。
ゼスが称えた瞬間、マルニアの右拳がゼスの腹にめり込んだ。
ぐふっと呻くゼス。マルニアは胸ぐらを掴み、
「てめえ……。またわたしの説教中に入ってきやがったな!」
「い、いや……。普通に入ってきただけなんだが……」
「てめえのその緊張感のない顔を説教中に見ると、集中力が鈍るって前言っただろうが!」
「夕方過ぎると、治安が悪くなるから少し心配になったんだ……。すまんかったな……」
そこで、マルニアは冷静さを取り戻し、ゼスの胸から手を離した。
「神の使いとしての役割を果たそうとしただけだ。最近、街の様子がやけに騒がしく感じることもあるからな……。今日も幼い女の子が怪物になって亡くなったらしいじゃねえか……」
「私とロシリー殿で対応した事件だな……」
「そうか……」マルニアは急にしゅんとし出した。聖職者として真面目な部分のある彼女が時おり見せる表情である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます