第一章 怪物退治⑥

「雲の上で、神様たちは何をしてるんだろ……。噂によると、普通の人間を養分にして、クラウドキャッスルを動かしてるってことだけど……」

 ミリの考えとしては、ユージュアルヒューマンにどこか異論があるようだ。メルアが溜息混じりにこう述べた。

「あそこで暮らすって選択肢があっても、結局お金持ちかどうかってことなのよねえ。お城の養分になっている間、いい夢見させてもらってた方が利口かもしれないわ」

「あんた、上で暮らしたいの?」ミリが問うと、メルアは頬杖をつき、

「空の上の景色を拝めるって話よ。こんな荒れ果てた土地で薄給を稼ぐより、いい環境だと思うんだけど」

「物価が高いのは知ってるかと思う。クラウドキャッスルはいくつもあって、それぞれ独立した国家みたいになってて、食物の栽培も限られてるかららしいけど。アタシたちだってろくなオシャレもせずに、休日も紺色のスーツとゲノフのロゴ入りジャンパー……。デモに参加しようかな……」

「ま、何にしても……」ゼスがペットボトルを一口飲みそれを置くと、

「神に選ばれ、クラウドキャッスルでこき使われるか、ここでこうして騎士ごっこをするか、それが嫌だというなら、この街の中で、支給品によって空腹をごまかすかの選択肢しかないんだ。諦めというか、そういう割り切りは必要だな」

 そう述べつつゼスにはある願望があった。

 神なる者たちと話し合いの場を設け、意見交換し、より良き世界を構築していく……。それがゼスにとっては理想であり願望だが、自分たちにそんな権限はあるはずもない。

「この食べ物の規制だって、神からの命令なんでしょう? そういう制限をなくせば、デモや暴徒化だって減るように思えるのだけど……」

 メルアがそう意見する。確かに命は救われても、生きていくためには心と体の強靭さが必要だ。欲にまみれた人間が争いを引き起こすのであれば、神の施した規制は、反感を抱く者たちをより刺激するに違いない。

「だからこその我々騎士団ではないか」

 そんな思いを胸の奥にしまいつつ、ゼスはミリとメルアを鼓舞させるように言い切った。

「加え、私が君たちと出会い、チームを組めたのも、神の御導きではないかな? これはある種の運命的な出会い、あるいは奇跡というものだろう」

 ゼスの言い方は少し大袈裟だった。

「あんたが敬語を使ったり、どこか遠慮がちな仕草をしてきたのも、そういう運命とか奇跡に感謝してるからこそだってのは理解できる。でも、……運命、奇跡ねえ……」

 運命と奇跡という言葉に、ミリは何を感じたのか。傍らにいたメルアと目を見合わせ、ふふふ、と恥ずかしそうに微笑むのだった。ミリは付け足すようにこう言った。

「それはちょっと言い過ぎかな。嬉しいけど……」

 敬語を使うなというミリたちの考え方は、遠慮するな、と言うことでもあるのだろう。そうした彼女たちの温かさに、ゼスの心持ちは自然とリラックスしてくるのだった。

「何にやにやしてんの?」

 ドリンク片手に、ミリが半笑いをした。

 ゼスは自分が彼女たちと会話する楽しさが、思わず顔に出ていたことに気づかされた。

「いや、申し訳ない……」

 誤魔化すように、ドリンクを一口飲んだ。

「いやらしいことでも考えてたのかしら?」

 メルアもにやついている。

「下心くんだからしょうがないよ」

 ミリが追い打ちをかけてくる。

 ――いやらしいだなんて……。

 思いつつ、苦笑しながら小さくかぶりを振るゼス。一瞬だけ、ミリの胸元に目が行った。

 小さな体のわりに大きくて柔らかそうなものを二つ付けている……。

 膨よかなその二つの丘陵の触り心地とは、いかに……。

 そう考えてしまった一瞬のことに、ゼスは再び小さく頭を振るのだった。

「ぷっくっくっく……」

 不意に頭上から怪しげな笑声が聞こえてきた。

 ゼスは仰ぎ見ると白衣を着た男性がトレイを持って立っていたのを見つけた。

「レックス……。いつの間に」

 ゼスがそう述べた矢先、レックスはメルアの横に腰かけた。

 白髪混じりの頭髪は、鳥の巣と見紛うほどに毛深い。突き出た頬骨と顔色の悪さは見る者によっては近づき難いほどに病的だ。鼻の下には髭を生やしており、レックスは薄く荒れた唇を少し開けると、

「もう食い終わってる。盗み聞きするほど、暇じゃないもんでね……しかし……」 

 と、レックスはメルアとミリを順に見、

「両手に花とは、君もすみに置けないね……。ぷっくっくっく……」

「気持ち悪い笑い方……」ミリが毒つく。

「なにを考えてるのかしら?」メルアが肩をすくめる。

「いやらしいことさ」とレックスの笑みは止まらない。

 その言葉を聞いたミリとメルアは、顔をしかめて互いの顔を見つめる。

 異様な笑みはいつものレックスらしい。それをミリとメルアは不快に思ったのか、席を外した。

 レックスもすでに食べ終えてはいたようだが、どうやらゼスたちの会話に入りたかったらしく、ミリたちと入れ替わるようにゼスの前に座った。

 レックスは地下にある研究施設で働く研究員だった。

 彼らの役割は騎士団員たちや職員が巡回や戦闘時に着用する、防護スーツや、使用する武器や乗り物などのメンテナンスが主だった。研究する対象は、それらの更なる高性能化を意図したものである。

 半年前、ゼスがここで働くようになった際、ゼスの機械化した部位を看てもらったことがあり、その過程で関係を築いた。

「あの金髪美女と一悶着あったらしいね……」

 メルアたちとは異なる噂を耳にしたようだ。

「早くも嗅ぎ付けたか?」

「いや、偶然金髪美女とすれ違ったのさ。怒り肩で、大股歩き、そのまま食事もせず外出……。何もなかったとは考えにくいなと思ってね……」

 ゼスはレックスというこの白衣の男を信じて、ロシリーの言った言葉を伝えた。

「辞める、か……ぷっくっくっく……」

「何かおかしいか?」

「突飛なことをしたのは、彼女がまだ若いからだと思いたいが、ここを辞めたあと彼女はどうする気だ? ここよりいい場所なんて他にあるだろうか?」

 ゼスは、それもそうだな、と口にした。

 クラウドキャッスルで働くとしてもあまりいい噂を聞かない。もとい、ゲノフの一部署である騎士団は、クラウドキャッスルよりも下に位置する。昇格でもないかぎり、離職して行く場所と言えば、あの高層ビルに囲まれた地獄のような所しかないだろう。

 レックスは奇怪な笑みを浮かべたまま、

「ま、ある意味、彼女を丸め込めるチャンスとも言えるか……」

「丸め込む?」

「助け舟を出してお近づきになるということさ……。ゼス、君だって少しはそう考えたんだろう?」

「そんな邪なことを……。聖典を担う者としてあるまじき行為だ。断じてそんなことは思っていない」

「じゃあ、彼女はどうする?」

 レックスは身を乗り出してきた。

「このまま、あの劣悪な環境にさらそうとでもいうのか?」

「いや、それは……」

「真面目なのはいいことだが、変に執着を持つと、取り返しのつかないことになるかもしれないぞ……」

 しばらくゼスは黙ったまま、トレイを見つめていた。それを見て何を思ったか、レックスは白衣のポケットからペットボトルを取り出した。

「ま、考えすぎる前に、これでも飲んで一息入れてくれ」

 ゼスは開栓し、一口飲んでみると、

「スポーツドリンクか何かか?」

「まあそんなところだ……。じゃ僕はこれで……」

 言うと、レックスは席を立ち、ゼスの横を通りつつ、肩口を軽く叩いた。

 漠然としながら、考えに及ぼうとしたが、館内放送が入った。

 それは騎士団の団長からの、ゼスの呼び出しだった。

 

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