第五章 デザ④

 へい、と、デザは応え、

 ――それほど、消耗が激しかったってことでやす。

 ――私の体からいなくなったら、どうなる?

 ――消えてなくなる。それだけでさあ。

 ある種の死というものだろうか。

 病原菌とはいえ、数々の場面で助けてくれた相棒とも言える存在。それとの別れは、いくら病原菌と言えども、寂しいものがある。

 ――そもそも、あっしらが旦那のために色々役立てたこと自体が奇跡でやした。滅多に起こらないことでしょうが、原因としては、旦那に普通に感染したあと、外部からの手が加えられ、人間の姿と怪物化をある程度維持できるようになったらしいんす。

 ――外部からの手?

 ――例えば別の病原菌だったり、何らかの薬物を投与されたり……。心当たりありやすかい?

 いや、と述べ、思い出す限りのことは考えてみたもののやはり結論には至らなかった。

 ――まあ結果オーライという形にはなりやしたが、少しは恩返しできたってもんでやす。そうでしょう旦那?

 お互いの利害が一致していたのは事実だ。デザもきっとそう言いたいのだろう。

 ――ありがとう。その……、君には色々助けてもらった……。

 ――へへへ。人間がウィルスにお礼を述べるなんて、変ですなあ。

 ――そうだな……。

 お互いに笑い合い、とうとう別れの時が来た。

 ――じゃ、あっしはこれで……。ありがとうございやした……。


 目が覚めた。

 ベッドに寝かせられていたゼスは、なぜか大きなくしゃみをした。

 部屋にいた看護師がそれに気づいた。「風邪でも引いたのかしら?」

 ゼスは苦笑いし、

「どうですかね……。誰かから噂されているのかもしれません……」


 ゲノフと蒼き翼が戦闘を終えてから、数週間後――。

 病室の脇にあるテレビには、連日、ゲノフとギースによる悪事が報道され続けていた。

 事態の収拾までのやり取りや罪の裁定は、クラウドキャッスルの神によって行われる。

 しかし、ギースは行方不明とされており、残った幹部らを拘束し、法廷に立たせた。

 首謀者だったギースが不在であり、また、ギースへの恐怖心から手を貸したと、無実を訴えるゲノフ幹部との裁判は長期化しそうだったが、以前から、ゲノフにスパイとして潜り込んでいた者の残した映像や音声があり、裁決をくだされるのは時間の問題か、という一部報道もあった。

 ゲノフタワーが崩壊し、クラウドキャッスルは速やかな瓦礫の撤去をキャッスル内の業者に言い渡した。数日前からすでに作業が行われている。

 長い間入院していたゼスは、ミリやロシリーたちが今頃どうしているか、気にかけていた。


 別室では、ロシリーが白いベッドに横になりつつ、見舞いに来たマルニアと話をしていた。

「調子はどうだ?」マルニアが問いかける。

「大分ましになった……」ロシリーのそれは少々、弱った言い方のようにも聞こえるが、視線はじっとマルニアを捉えている。

「そっか。ま、巨大化したギースから何度も殴られりゃ、入院もするわな」

「マルニア殿こそどうなのだ? 教会も吹き飛んでしまったみたいだが……」

「別の場所でやろうと思えば聖女としての仕事はできるんだけどよ……」

 ふう、とマルニアはため息をつきながら、椅子に座った。

「てめえの言う通りだったよ、ロシリー」

 マルニアはいつになく萎れているかのような態度だった。

「これまでの教えって、欲望を抑えろだったろ? 昔の戦争が人間の欲から生まれたものなら、それを制御しねえと、また二の足を踏むって言ってな……。だが、てめえから指摘されて本当にそうなのか、と思っちまって……」

「自分で何か答えを見つけられたのか?」

「ああ……」と小さく頷くマルニア。彼女はそのまま続けた。

「欲望があるから、人は幸せになれる……。当たり前だよな」と一度苦笑いし、

「欲望ってのは悩みになる。時に欲を満たすことにも勇気が必要で、その勇気を出すことさえも簡単なことじゃねえ。幸せってのはその悩みに勇気を出して得られる宝物だ。腹が減ってご飯食えば、幸福感を得られるみたいな、簡単な奴もあるけどな……。欲にも色々あるが、結論から言えや物欲なんて全部そういうもんだろ?」

「だが……」と少し小さめの声で、ロシリーが言った。

「欲望によって失われるものもある……。夢を叶えたいという欲望もそうだろう。目指した夢の先で、気付けば何かを失っているのかもしれない。……いくつかあるかもしれないが、時間や、若さなんてものもそうだ。マルニア殿に盲信と言った手前申し訳ないが、神の教えは間違いではない。ただ、狭義だったんだと思う。だから私はマルニア殿の言うことも正解だと思うぞ」

「あたしは今後、それを説いていきてえ。欲望を持つことは決して悪じゃねえ。欲しいっていう悩みこそが幸せの土台だ。何に対してもバランスってもんが大切なのかもな……。欲の均衡を保ち続ける……。そういうのってどうすりゃできるのかまだわからねえが、あたしとしちゃあ、そういうのを説いていくのも仕事の内だ。色んな人と会って、そういう話をしていく中で、見つかるものもあるかもしれねえ。でも、それを説いていくには、まずは神様と協議しねえとならねえんだよな。時間はかかりそうだ……」

 マルニア一人がその考え方を主張し、一般人に説くとなると、マルニアの個人的な思想に偏ることになる。それは、宗教という一つの教えを重んじる組織的な存在を気に留めない独善的なやり方となり、最悪、宗派から追放されてしまう。

 聖女という彼女の役職であればなおさら留意しなければならないことだった。

「私も何かあったら協力する」

 マルニアはロシリーと拳を軽くぶつけ合いにこやかに、

「ありがとな」


 とある地下施設――。

 暗闇に一つのモニターが点いていた。 その前のキーボードで、文章を打ち込む何者か……、それはレックスだった。

〈モンスターウイルス計画、進行度は微々たるものではありますが、今回、革新的な成果を得られましたことをご報告致します〉

 レックスが横目で見つめた先には、一本のペットボトルがあった。

〈被験者に試作段階であるモンスターウイルスの薬を混ぜたドリンクを飲ませたところ、計画にあった、怪物化と怪物状態の維持、そして一命をとりとめ人の姿に戻る、という結果が得られました〉

 手を止め、ペットボトルをもう一度見つめ直すレックス。

 以前来訪したゼスに飲ませた飲み物と同じものだ。

〈このような成果を得られ、私としての役目も十分終えたと思われます。今後はこの研究から身を引き、自身の仕事に邁進していきたいと思っております〉

 打ち終えると、一旦キーボードから手を離した。

 タバコを一本咥え、火をつける。ため息と共に、白い煙が漂う。

 そこへ突如、扉が激しくなぎ倒された。

 驚いて床に尻もちをするレックス。その場に現れたのは――、

「クラウドキャッスルの公安局だ。貴様がレックスだな?」

 煙の舞う暗い部屋の中に、幾人もの人影がレックスの元に集まってくる。灰色の防護服に、陽電子ガンを構えた公安部の隊員たち。レックスは床に座りながら両手を挙げた。

「貴様を逮捕する。薬物により住民を怪物化させた罪だ」

「待ってくれ!」慌てて否定するレックス。

「これは神からのお達しだったんだ。神の命令で僕は……」

「その神から貴様を捕えよと我々に命が下ったのだ。観念しろ」

「そんな……」レックスはただ目を丸くすることしかできない。レックスの机上を物色していた公安局の隊員が、ペットボトルを取り出し、

「神が言っていたのはこれでしょう。ウイルスを仕込み、怪物化を維持させるに必要な要素を含んだ薬品はこれかと……」


 部屋から出、レックスは手錠をかけられ、飛空艇に乗りながら公安部の本拠地のあるクラウドキャッスルへと向かっていた。憂いの表情でフロントガラスの向こうに見えるキャッスルの下部を見つめる。

 ――すまなかったね、ゼス……。友人である君は優秀な被験体だった。利用してしまったことに、僕には罪悪感があるよ。でも結果的に君は報われた。君もそう思うだろう?

「ぷっくっくっく……」怪しげな笑みを浮かべるレックスを見て、公安局の隊員たちは訝しげにレックスを見つめ、

「何がおかしい?」

「いえ。僕にウイルスを撒けと命令した神が今度は僕を捕まえろと命令した。これって神勅がいずれ僕に下るみたいに意味ありげじゃないかい? クラウドキャッスルの番犬さん?」

「多くの人を死に追いやった。それはゲノフから神に治安維持権を移した現在、神の管轄する地上都市で元ゲノフ職員である貴様が、かつて殺人ほう助や、人権そのものを無視したなどという罪を犯したのと同じことになる。極刑は免れんだろう。いくら神の命令で人を殺めることになろうと、貴様の犯したことは重罪だ」

「ぷっくっくっく……ぷっくっくっく……」

 レックスは口を手で覆い、ただ怪しげな笑みを浮かべていた。

「気持ち悪い奴だ」隊員の一人が肩をすくめた。

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