第五章 デザ③
地上では、蒼き翼とゲノフによる攻防は沈静化していた。
ギースの逸脱した行為は、多くのゲノフ兵士に伝わり、彼らの忠誠心はほぼ損なわれたようだった。
蒼き翼の兵士たちにもその情報は入ってきていた。
「決着はついてませんが、この静けさはなんなんですかね?」
一人の蒼き翼の兵士が言った。
静寂の中でも兵士たちは、武器を捨てることはなかった。
いつも見かける灰色の空の下。朽ちたビルの並びの下でひっくり返った車や、落ちた瓦礫の裏などに潜みながら、敵の出方を窺う。それはゲノフ兵も同じだろう。
「敵も戦う気はないんだろ? ギースがご乱心らしいから、戦意も喪失したんだろうよ」
そう言うもう一人の兵士は、壁際からそっと向かいの崩れかけの壁に視線を投げた。
どうやらゲノフ兵士も、付近に潜んでいるとみていいようだ。破損しかけた建物の裏に身を屈ませているのが見えた。
兵士は視線を戻し、
「ギースの奴が味方の部下を食ったとか食わないとか……」
二人して壁の裏側に背をつけていた。
「そんな奴の言うことなんて、聞きたかあねえよな……」
もう一人の蒼き翼の兵士がそうぼやく。
両軍とも、戦う意欲が消失しているかのようだった。
蒼き翼の兵士は、ゲノフ兵たちの隠れるビルの陰の向こうに視線を投げた。そこには銀色の窓ガラスが誇らしげに光るゲノフタワーがあった。
静まり返った廃墟の街に、ギースの咀嚼する音が響いていた。その様子は石塊の上に座りながら、こしらえたランチボックスをつまむ、工事現場の壮年のような姿にも見える。
ランチボックスの中味はギースの身にぶら下がる幾つかの袋だった。
「腹が減っては戦はできぬというじゃないか……」
そして飲み込むと、
「これだけだと飽きちゃうなあ……」
じろりと見つめた先には、ミリの横たわる姿があった。
「うまそうな尻だ。どれどれ……」
ギースは鈍重な動きで、ミリのもとへ近づく。
ミリの片足を掴んだ矢先、短い光の帯びが、ギースの手首に当たり、ミリを落とした。
「いってえ!」
呻いて睨んだ先には、横たわりながらライトガンを構えたロシリーがいた。
「お前……、邪魔だな。先に食ってやる」
俯せの姿勢から、上半身を起き上がらせ連射するロシリー。
しかし、ギースの歩調は乱れることなく、ロシリーに近づいていく。
そのとき、ギースの目元に光が差した。
鬱陶しい光はキラキラと、ギースの視界を妨げる。
「何だ?」
手で遮りながらギースは発光した者の影を発見した。攻撃を止めるロシリーも、その方向へ目を向けた。
それはゲノフタワーに隣接したビルの屋上からのものだった。
避雷針に片手で掴まったその影は、ギースにもよく見覚えがあった。
ゼスだ。
しかも怪物化している。
額から飛び出た剣を光らせ、ギースの行動を邪魔していた。
「生き長らえていたか! ゼスくん!」
大仰に手を動かしながら、まるでパーティーに招き入れるかのような身ぶりである。
屋上にいたゼスは体を屈ませて、じっとギースを見据えた。
数分前――。
役所仕事のような書類上の手続きを省くと豪語したネレイアについて行った先は、先ほどと同じ円卓の会議室だった。ゼスはマルニアとネレイアの三人で、ライサンレイ砲の発射準備に伴う、ギース討伐のための作戦を練っていた。
円卓を囲みながら、ゼスは意見した。
「私が先に下へ行きます。ギースを引き付けるので、ライサンレイ砲の放射角度などを調整してください。下からは上の様子は見えませんが、上からなら上下共に進捗状況は確認できるはずです。私はもう一度ギースに突貫します。それを見て放射のタイミングを見計らってください」
「てめえを巻き添えにするかもしれねえが……」
マルニアが心配そうに述べると、ゼスは目を細め、
「大丈夫だ」言って、マルニアをじっと見据える。
「マルニアと、ネレイア様を信じている……」
マルニアがゼスの腹部に拳を食らわした。
うっと短く呻いたゼスにマルニアはなぜか頬を赤らめた。
「馬鹿野郎! 信じるのは、あ、あたりまえだろうが!」
「いくら照れ隠しだからって、殴っちゃダメよ、マルニアさん」ネレイアが指摘する。
「て、照れてません!」
反発するマルニアだった。
そうして、空に浮かぶクラウドキャッスルの端から飛び降りたゼスは、この剣の怪物のもう一つの能力を垣間見た。一見鮫のように見える体躯だが、背中から翼が出、両側に広がった。飛ぶことはまだ慣れておらず、付近の瓦礫の山に落下するも、ほとんど痛みなどは感じなかった。
――空も飛べるのか?
――いやあ、飛べねえこともねえでやすが、慣れが必要でさあ。旦那を見てっと、まだ使いこなせてはいねえようです。それでも、落下の時のダメージは軽減できやした。
そんな会話をしつつ、今度は速やかにゲノフタワーに隣接したビルの屋上へ登り現在に至る。
恐らく最後の祈りになるかもしれないが……、と思いつつゼスは腰を屈ませて、神に祈った。
――神よ……。
そして、ビルの壁を蹴り飛ばし、
――自分で何とかします!
目にも止まらぬ猪突で空を裂き、額の剣を前方に差し向けたまま、重力に従い、悪の頭領を目指す。
ギースも高く跳躍した。
大きく笑声を撒き散らしながら、ギースは叫んだ。
「グハハハハハ! 取っ捕まえて食ってやろう! どんな味がするか楽しみだなあ!」
グハハハハハ! とギースは余裕綽々だ。彼の両側と背にはだいたい十個ほどの拳があった。空を裂きながら、その拳が前後へ連続的に動いているのを見つけた。
「百連パンチ! グハハハハ!」大笑するギースに、ゼスの鋭い一閃が光った。 頭から交差する二人。ゼスの剣が、ギースを頭から真っ二つにしていった。
まま、ゼスは翼をはばたかせ、落下時のダメージを緩和させようとした。若干スピードは弱まったがゲノフタワー近辺の地面に激突した。
煙が吹き荒ぶ中、ゼスは怪物の姿の状態で、倒れていたミリ、メルア、ロシリーたちを抱きかかえゲノフタワーを背に走り出す。
三人とも気を失っている。ギースのいない今なら彼女たちを助けられるだろう。
空中では、ギースの飛翔は止まらず、両断されたギースの体は再生能力によるものか、辛うじて赤い粘液で繋がっていた。
このまま放物線を描いて、街のどこかに落ちていくのか、それもいいだろう、とギースなら考えそうだが、ギースの目の辺りに強い光が反射した。
な、ん……、呆気にとられたような顔をしてギースが見たものは、雲の隙間から覗く大きな目だった。
「まさか、ライサンレイ砲……」
ライサンレイ砲の設置された台は、あらゆる角度に調整できた。
いつもと変わらず暗雲立ち込める空の隙間から、ライサンレイ砲の青い目が、ちかっと輝いていた。
青白い光の筋が、勢いを付け太く伸長していった。ギースを飲み込み、そのままゲノフタワーに降り注ぐ。
両肩に乗せたロシリーたちを器用に抱き、もう片方の腕を前へと伸ばし、翼を平たくさせながら、ゼスは地上すれすれを滑空する。
背後のゲノフタワーからは、轟音とともに火球が膨らんでいく。 ライサンレイ砲を撃ったのだ。爆風が炎もろともゼスの真後ろから迫ってきている。
――逃げ切れるか⁉
赫々たる炎の津波と黒煙の猛り狂った凄まじい勢いが、滑空するゼスの背中に届くか否か……。
果たして彼らの戦いは報われたのか、ゼスたちは爆炎に巻き込まれ、ケージ内の街の一部が、もうもうと大きな黒煙に包まれたのだった。
「ご飯は残しちゃだめよ……」
亡き母の穏やかな声。
「食べ物を粗末にしてはいけないわ」
どうして、と問う息子。
「お肉もお魚も生きていたからよ。野菜や果物もたくさんの人の努力の結晶なの。たくさんの人が頑張ってくれたから、私たちは美味しく食べられるのよ……」
ご飯は残さず食べなくてはならない。
それは、この一家にしてみれば、一般的な考え方と同様、当然のことで、それくらいの教養は身に付けておいてもらいたいと、幼い息子に教えていた一つの決まりごとにすぎなかった。
人々の多くが胸の奥で留めていることでもあるだろう。
息子はその後、大人になっても残さずに食べ続けた。
例え、体が肥えようとも、多くの人の血と汗の結晶を残すことなく。ひたすらに……。
――旦那、どうやらあっしらの寿命が尽きる頃合いらしいでやす。
子供の姿になったゼスに、同じく幼児化したゼスの姿と同じデザから話かけられた。
どこかの公園だろうか。遊具がいくつか置かれ、黄昏どきの公園は茜色の空の下、闇に包まれつつあった。
――寿命? 私の体の一部を食べ続けたりすれば、生きていけるんじゃなかったのか?
――いえ、それが……。この間の戦闘で著しく力を消耗しちまい、食べることさえ難しくなるほど、弱まってきちまってるみたいなんす。
翼があろうとも空を自由に飛べたわけではなかった。着地時に激しく衝突したり、直後にビルに上がったり、強い敵を倒したり……。ゼスの胸の内に多くのことが甦ってきたが、それらの戦いぶりがデザの寿命を縮めてしまったというのだろうか。
――もう、無理なのか? この体にいつづけることは……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます