第四章 クラウドキャッスル⑥

 ミリとメルアはレックスとの会話に夢中になっている。ロシリーにだけ届いた念話だろう。

 ――ロシリー、聞いているか? マルニアだ。訳あってゼスと行動している。ゼスは気を失っている状態だ。なぜ二人で行動しているかは、他人には言わねえでくれ。神様直々に命令が入った。ゼスをクラウドキャッスルへ招いてほしいってな。だから今、空路でクラウドキャッスルへ向かってる。安心してくれ。……以上。

 ゼス殿が聖女殿と行動を……?

 二人の行方が気になったロシリーは、頭上の地下空洞の厚い壁を仰ぎ見ていた。


 ターダスの手引きで、小型運搬艇に乗り込んだゼスとマルニアは、荷物の間に隠れ到着を待った。

 横たわるゼスは、毛布にくるまれ静かに寝息を立てている。

 他に二人の従者がいたが、彼女たちは地上に残ることになった。神からの招致がマルニアとゼスだけに対してのものだったからだ。

 マルニアはゼスの顔にじっと見入りながら、なぜクラウドキャッスルを目指すことになったか、頭の中で整理した。


 交戦後、ゲノフ陣営にも現態勢に異を唱える者が現れ、その中でもどっちつかずで蒼き翼にさえ寝返らない者もいた。マルニアもそのうちの一人だった。

 その日に起きた事柄を、逐一神へ報告していたマルニアは、先日、とうとうゲノフが蒼き翼へ攻め入るという情報を得、神にそのことを報告した。

「そうですか……」

 との通信を神から受信した。マルニアが目にはめていたゴーグルの通信機を介してである。

「しばらく、様子を見てみましょう……。マルニアさん」

 呼びかけられ、応じるマルニア。

「あなたはどう考えているのです? ゲノフに残るか、蒼き翼に身を移すか?」

「あたしにはあたしなりの考えがあるので……」 

 そのときは曖昧な返答をした。まだマルニアの中でもはっきりとしていなかったからだ。

 そして当日になり、イレギュラーともいえる事態が起きた。

 剣の怪物が単独でゲノフタワーに攻めこんできたという一連の出来事だ。

 ギースの部屋にまで突入したゼスだったものの、一戦交えようとするもギースの前に張ってあった防弾ガラスが行く手を阻んだ。

 それを影から見守っていたマルニアと二人の従者は、剣の怪物からどこかで感じたことのある〝光〟を感知した。

 それがゼスだという確信に繋がった。

 その時、散乱する瓦礫に隠れマルニアは神と交信する。

「ギースの部屋まで突入した何者かがいました」

 驚きの音をあげる通信相手だった。

「それは一体何という方なのです?」

「あたしの知人である、ゼスという方かと思われます」

「戦況としては?」

「ギースに傷一つ、つけられてはいません」

「もし彼が負けたら……」

 通信相手はそう言い淀むと、

「……マルニアさん、何とかして彼を連れてクラウドキャッスルまで来てちょうだい」

「それはどうしてです?」

「彼の特殊な力を貸してもらい、ギースを倒すためです。それにはまず、彼と話し合う必要があるでしょうから」

 四人の神の中には、地上の人間の面倒をよく見てくれる神がいた。マルニアは四人の神とは顔見知りで、その人物だけは他三人の神よりも交流が多く、そう促されても拒否する理由はなかった。 

 ゲノフタワー最上階で身を潜め、タイミングを見計らいつつ、無事にゼスを保護すると、ターダスの元へ連れていき、時計型端末に保存していた神からの許可証を見せ、運搬艇の荷台へと乗せてくれた。

 ターダスは親切にマルニアに伝えてくれた。

「わかってるとは思うが、ゲノフの連中が目を光らせてるからな。聖女であるあんたをこんな狭苦しい船に乗せるのもどうも忍びないが、見つからんことを祈ってるよ……。運転手にも念を押しておく。着くまで荷物の隙間にでも隠れていてくれ」


 こうしてゼス本人の意見は聞いていない状態での密航となった。

 毛布の中で眠りに耽るゼスを見つめながら、マルニアは再度思った。

 ――ゼスのやつ怒りやしねえだろうな……。

 着港し目覚めたとたん、逆上することも考えられるが、一般的にクラウドキャッスル及び、神からの指示鞭撻を拒否することはできない。それに加え、

 ――ゼスは優しいからな。逆上することはねえか……。

 そっとゼスに近づき、顔を食い入るように見つめる。

 黙って寝ていれば、物静かな猿のような気がして、愛着がわく。

 ――怪物化しても死なない……。悪いことじゃねえが、怪物化して死んでしまう人との違いってなんだ?

 思いつつじっとゼスに見入った。

 マルニアの胸の鼓動が少し高鳴った。 閉じた瞼を震わせながら、ゆっくりとゼスの唇に自分の唇を近づけさせようとする。

 そこで我に返り、神からの教えを反芻した。

 欲望に妄執してはいけない――。

 マルニアにはもう一つ気がかりなことがあった。夜中に密会し「盲信」と車中で呟いたロシリーのあの一言である。表情は闇の中でわからなかったが、それがマルニアへの忠告であるような気がした。

 神の教えは正しいにしても、まだ改変する余地はあるはずだ。人も環境も年月を経て変化していく。そのために、これまで通用していた教えが、通じなくなる場合もなり得る。

 ――時が来たら、自分を改めなきゃいけねえ瞬間もくるってことか……。

 ゼスの寝顔を見て、行為に至ろうとした自分を問いただすかのように、マルニアは思案に暮れた。

 ――欲望は持っていいことのはずだ。でなきゃ人間は生きていけねえんだから。

 ゼスへの欲求――。それを満たすことは、教義に背くことになる。

 しかし異性への思いは、子孫繁栄のために必要なものだ。いくら神の教えとはいえ、それに倣っていたら、栄えることはない。

 ロシリーの言う盲信とは、自分の意に反して、義務的に神の教えを説くことではないか?

 それは義務的というより、受動的であるということだ。単に神の教えに従ってさえいれば、自分の立場は維持できるかもしれない。しかしそこに本来の意義である人々の救済は、果たして存在するのだろうか?

 人々の上に立つ身分であるなら、手を差しのべられるのを待つより、自分から差しのべなければ、聖女という役割は形骸化しているとも言える。

 ――やっぱり、あいつの言い分は正しいってことか……。わかっていたとは思う。神という存在と教えがあたしに枷のようになっていたんだろうな……。

 マルニアは深く息をついた。

 ――確かに盲信か……。だが、完全に誤っている教えじゃねえ。その教えを元に、自分なりに考えて行動することも大事なはずだ……。

 逢瀬へいざなうように、ゼスの寝付きのいい、愛らしい寝顔がすぐそこにある。

 行為に至ることができなかったマルニアは、空中でその欲求を満たすかのように、唇を丸く尖らせた。

「そろそろ着きますぜ?」

 運転手が荷物の向こうで言った。

 慌てて背筋を伸ばすと、ふーふーと口笛を吹く真似をした。

「どうしたんです?」

「いえ、口笛って楽しいなと思いまして……」

「口笛? まあいいんですが、ここからはゲノフの目も届きはしないでしょう。神や多くのユージュアルヒューマンが暮らしていますからね」


 天空に浮かぶ城塞都市、クラウドキャッスル――。

 中心部からアスタリスク状に道が延び、その間に人々の居住区となる地盤が敷かれている。地盤の上には居住区以外に、商業施設などの様々な建造物が散在していた。

 青空の下、陽光が目映く反射する幾つもの尖塔、それらの間を縫うように行き交う道や陸橋。時折繁る草花や緑樹。マルニアがここへ来るのは久しぶりだったが、やはり一番目を引かれるのは、堂々とそびえ立つ、中心部の太い塔だろう。

 そこには神と呼ばれる、最上位の四人のユージュアルヒューマンが鎮座している。

「どれくらいぶりですか、ここに来るのは?」運転手の気さくな声がけに、マルニアは笑みをこぼし、

「半年ぶり位でしょうか……。神様に会うのも久しぶりですわ」

「何とも神聖なお役目ですな。神様にお会いになれるとは!」

 ええ、まあ……。と笑みを軽微に見せたマルニアには、神にも一癖ある性質の者がいるのを思い出した。

「お会いになるのは、こちらの兵隊さんですから」

「怪我でもされてるんですか?」

「怪我というより、疲労かもしれませんわね」

 港についた。多くの船が停泊し、クレーンで荷物の上げ下げをしている。船の形状も大小様々だ。

 ゼスたちを乗せた船は、港の端の方で、大きな柱の影に隠れるようにして停まった。運転していた船員が眠ったままのゼスを背負ってくれた。マルニアはフードを目深に被って、辺りを見回す。白い衣服を纏った大柄な男がおり、近づきながら話しかけてきた。

「マルニア様とゼス様でしょうか?」

 はい、と腕時計から浮かぶ身分証明書の映像を見せつつ応じると、その男に案内された。

 身分証明書はマルニアの聖女としての証で、クラウドキャッスルで神と謁見する際に必要なものだった。

 案内された先に黒塗りの車があり、マルニアとゼスはそれに乗り込んだ。

 相変わらず毛布にくるまれたまま、ゼスは眠っている。

 マルニアは車が目的の場所につくまでぼうっと外の景色を眺めていた。

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