第四章 クラウドキャッスル⑤

 一方、ギースの部屋に散乱した瓦礫の陰に、三人の人影が潜んでいた。黒いフードを目深にかぶり、成り行きを見守っているようである。

 ギースとゼスはそれに気づいている様子はない。

「やめておけ!」ギースが制止に入る

「もう君は十分抗った。この根城に単独で乗り込み、私の素顔まで見たのだ。十分英雄として称えられるだろう。だから……」

 ギースは短い腕を動かして、体についていた袋をいくつか食した。口の回りには出来物ができており、その回りに袋の中の液体が汚らわしく付着する。

 その後、小さな脚部が伸縮を繰り返し、椅子を破壊しつつ巨体を支えられるほどにまで成長した。腕部も伸びて筋肉隆々となり、ギースの容姿は一変、椅子から立ち上がれるまでになった。

「……だから、いい加減、諦めたらどうだね?」

 言下にゼスは床から飛び立った。ひびの入った透明の壁に一直線に突っ込んでいく。

 透き通る隔たりが、けたたましい音を立てながら崩壊した。

 壁を貫いたゼスの額の剣が、ギースの心臓にまで達するかどうかの瀬戸際、ギースは両手でゼスの剣を白刃どりした。

 鋭さでは自負が芽生えていたが、それをいとも簡単にギースは掴みとった。

 すでにゼスの体力は限界だった。ギースの両手に掴まれたことにより疲労がピークになると、額の剣を摘ままれたまま、ぐったりと力尽きた。

「残念だったな。いや……でも、素晴らしい戦いぶりだった」

 まさか手にしたゼスを食すとでも言うのか、ギースは顔を上に向け、ゼスの体を口の中へと持っていこうとした。

 萎んだような怪物の体はゼスの姿に戻っていた。

 瓦礫の側で身を潜めていた黒いフードの三人の内一人が、手にしていた光の銃をギースの真上の天井に向けて発砲した。

 石塊と砂塵がこぼれ落ちる最中、ゼスがギースの手中から落ちた。

 三人の人影のうち一人が、速やかにゼスを抱きかかえると、フードの人物たちはギースの部屋を出、高層ビルの屋上から屋上へと飛び移っていった。

 ギースは叫びながら、降りかかってきた瓦礫を払い除け、怒鳴り散らす。

「畜生! 私を苛立たせおって! あの女どもめ!」


 蒼き翼の地下基地内――。

 ロシリーは、一部の兵士と共に、ブリーフィングルームに集まり、ある映像に見入っていた。

 ピンポンボールほどの大きさの偵察機から映像が送られてきている。襲撃された中央ゲートの内外や、中心部の大きな交差点を辿りつつ、ゲノフタワー近辺を撮影した映像で、ゲノフ軍がほとんど撤退していたことがわかった。

 今後、どう動くかを話し終え部屋から出ると、ロシリーは一人の兵士に声をかけられた。

「剣の怪物の噂の出所は、ロシリー、お前みたいじゃないか……」

 蒼き翼に出回った、剣の怪物の噂。それは、剣の怪物の正体がゼスで、彼の向かっていった先はゲノフタワーの最上階ということだった。

 ロシリーは胸の真ん中に手を添え、

「確かにこの目で見たのだ」

「剣の怪物をだろ? それが新入りのゼスだって何でわかったんだ?」

「ニューエイジ特有の光の力で、何となく……。それとダバック司令も言っていました。ゼス殿を閉じ込めた部屋が内側から破壊され、私たちを助けたと……」

「助けたんじゃなく逃げたんだろ? 何となくで言いふらすな。知ってるぞ。お前がいろんな場所でそのことを吹聴してるのを」

 別の兵士が口を挟む。

「ここから飛び出して向かった先は、ゲノフタワーだって噂だが。寝返ったって噂もあるぞ」

「それは誤って広まったものかと……」

 ロシリーは弁解しようとする。

 蒼き翼の兵士たちの間では、あらゆる憶測が飛び交っていた。

 ゼスがゲノフ側に寝返ったとか、一矢報いて、命を落としたとか、ギース本人も怪物化しており、剣の怪物を食したとか、などといった具合だ。

「ギースを討ったという噂はほとんど聞かねえ」

 兵士が少し語調を強めた。別の兵士も言った。

「あり得ない話だからだ。閉じ込めたその感染者が、自分が感染源になるかもしれねえのに、脱走。怪物になって、ギースを殺しただなんて都合がよすぎるってな」

 誰しもギースを討ったという予測は口に出さなかった。蒼き翼の最終的な目標である事柄でもあるため、それをたった一日で成し遂げられるはずはないという思いを各自抱いていたようだ。

 ロシリーも、その噂を自ら言いふらしたのは認めていた。

 一方のミリとメルアはその噂を信じてくれたようだ。

 ナイルも噂を信じないうちの一人に該当しそうだが、片腕を失った彼は、治療室に籠っている。


「ナイルくんどうなっちゃうんだろ。ゼスとケンカしたままだし……」

 地下鉄のホームで、ロシリーとミリ、メルアは体を発光させながら座って話しをした。

 ナイルの怪我の容態が気掛かりなことのようにミリが呟くと、メルアは持論を述べた。

「男の人なんて、すぐ仲直りするみたいなことを、昔から言うじゃない」

 うーん、とミリは腕を組み、

「ゼスももう蒼き翼の一員だとアタシは思ってたんだけど……。他の人とそこら辺の温度差があるみたいだね」

「ゼス殿に救われたのは事実だと思う。事態が急変していたし、他の連中もゼス殿の活躍を終始目に収める余裕もなかったということか……?」

「ゼスも感染者だったし。差別や偏見されるのもやむなしだったかもしれないけど、何ていうかゼスもかわいそうだよね……」

 などとミリとロシリーが言葉を交わしていると、

「ナイルくん、大丈夫かしら?」

 メルアが溜息をついた。ミリも心配そうに眉間にしわを寄せ、

「当分はベッドの上だろうね。義手で補うって方法もあるけど……。本人はどういうつもりなんだろ」

 メルアは少し肩を落とし、

「義手……機械化か……。好きこのむ人ばかりじゃないって言うし、機械化以前に地上育ちのあの人には金銭的な問題も出てくるわね。不運だったとしか言いようがないわ」

 現在、開始されようとしていたインフラが滞っており、地上の生活者の働き口となるものも、ケージ内の至る場所にある瓦礫の撤去作業のみとなり、手術や長期的な入院は医療費的な面で厳しいだろう。その日暮らしが常であるような環境で過ごし、そこで一命をとりとめても、義手などの費用を工面するのは容易いものではない。

「ゼスはどこ行ったんだろ?」

 ミリにはそちらの方が気がかりだったようだ。

「小型偵察機でゲノフの動きを四六時中見ているらしいが、特に変化はないようだ」ロシリーはそう述べ、さらに話し続ける。

「探すなら今のうちだ。戦いが沈静化しているからな。しかし、それも難しいか……」

「いつまた攻め込んできてもおかしくないからね」

 ミリが言うと、ふう、と三人は息が合ったようにため息をついた。

 ロシリーとしても、ゼスの行方が大いに気になった。怪物化したことが真実なら、いつゲノフ兵や蒼き翼の兵に見つかり、捕縛されてもおかしくはない。自分たちの目の届かないところにいたとして、ゼスに何か不幸があったらと考えると、三人とも落ち着いてはいられなかった。

 そこへ、自分たちに近づく何者かの気配をロシリーは感じとった。

 現れたのはゲノフの研究員、レックスだった。

「どうしたのだ? レックス殿」

 ロシリーの問いかけに、レックスは苦笑し、

「ぷっくっくっく……。殿だなんて古風な呼び方だね……。今日から僕は、蒼き翼の人間さ」

 ミリが冷たく言う。

「あんたみたいな変態いらないんだけど」

「そんなつれないこと言わないでくれ。君たちに荷担する条件として、聖典をいくつかと、ある情報を蒼き翼に提供したんだ」

 聖典とは、ゼスが武器として使用していた片腕にはめる陽電子のエネルギーを貯めたマガジンのことだ。その物品と、レックスしか知らない情報を取り引きの対象に、蒼き翼に入隊できたようだ。

「ある情報とは?」ロシリーが胸の前で腕を組む。

「ここ半月ほど、人々を苦しめてきたモンスターウイルス。どうやらあれは、ギースによる指示で、不特定多数の住人に支給した食べ物などに含まれた、薬物によるもののようだ」

 ロシリーたち三人は目を見張った。レックスは続ける。

「元々意図的に怪物化させる実験を行っていたということさ。発症せず死んでしまったり病院送りになったりと、犠牲になった者も多いが、ギースの目論見としては、怪物化させて生物兵器として利用するってところだったんだろうね……」

 ふむう、と憤懣やる方ないといった感じで、ミリが鼻息を荒げた。

 ギースの話を自然と聞き流したいロシリーは、話題を変えた。

「レックス殿が入隊すれば、メカエイジのメンテナンスなどに一役買ってくれそうだな」

「ぷっくっくっく……無論、そのつもりさ。期待していてくれ」

 その後、ミリとメルアと話すレックスを横目に、ロシリーの耳の奥へ何者かからの念話が届いた。光の力を扱う者の能力の一つだ。体内で発する光子を一定の周波数に変換させることで、ニューエイジ同士での心のやり取りが可能となるが、光の速さといえど距離や妨げとなる壁があったりすると、一念が届くまでタイムラグが生じる。そのためメッセージを聞くだけとなる場合もある。


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