第三章 ゼスの受難⑥

 聖域から出、元の地下基地に戻り、ミリの指定した、とある一室にゼスとロシリーは訪れた。

 部屋の中には空中に映し出されたモニターがいくつかあった。その手前にはミリとメルアが座り、画面に見入っている。

 ゼスとロシリーは二人の後ろから画面を見やった。

「何か色々とごめん、ゼス……」

 ミリが突然謝罪した。ゼスにはなんのことかすぐにわかった。先刻の小芝居だろう。

「さっきのあれか? 別に気にすることはないだろう」

「わたしからも謝罪させてほしいわ……」

 メルアも自分の行いに省みるものがあったようだ。

「いや、もう大丈夫だ。私を巻き込みたくなかったのだろう?」

 隣り合わせで座ったミリとメルアは一度顔を見合せた。そして再び宙に浮かぶ画面に目をやった。

「ありがとう、ゼス。あんたやっぱりいいやつだね!」

 ミリの背後にいたゼスには彼女の顔色まではわからなかったが、言い方には明るさがある。

「とにかく、この映像を見てほしいの」

 メルアの声の調子も朗らかさがあった。

 メルアがそう言うと、ミリと椅子から立ち、うしろにいたゼスとロシリーを座らせた。

 画面に映し出されていたのは、部屋を俯瞰した映像だった。

 ノイズが混ざっているが見えないほどではない。監視カメラからの画像だというのはすぐにわかった。ゼスはその部屋の中に蠢く大きな物体に釘付けになった。ミリが説明する。

「これは、蒼き翼のある兵士が撮ったものだよ。元はゲノフ職員で、蒼き翼に入ってからはスパイ活動をしていたみたい」

「この画面の奥で動いているのは……」

 ゼスが言いかけると、メルアがはっきりと言った。

「そう。住人が怪物化した姿よ」

「ラージさんも言っていた奴だな。飼い慣らしているとかいう……」

 ゼスが言いかけたところで、画面の奥にいた怪物が動き始めた。これまで遭遇した怪物と似たような容貌で、頭部と胴が同じ動物として一致していない、奇怪な姿だった。

「これと似たような映像を、神に提出したのだ。ギースを議会に招致する告知を書簡で送ったのだが、ギースはそれに応じていない」

 ふむ、とロシリーの言葉にゼスは小さく返事をする。

 画面の怪物の様子が急変した。怪物の姿形がみるみる変化していく。やがて怪物は人間の姿になり、その人間は画面の真ん中で膝をつき倒れた。

「自在に変身できるのか?」

 ゼスの問いにロシリーは、

「そのようだな。この現象に至るまでにはある薬物が投与され、変身をコントロールすることができるようになるらしい」

 画面の中央で横になっているのは、まだ成人を迎えていない、子供のようだった。しばらく寝そべったままだったが、突如体が痙攣し始めると、外で待機していたらしきゲノフの職員――騎士団と同じ背格好――の人間が、銃器を手に持ち部屋に入ってきた。子供が苦しそうに頭を両手で掴み、悶絶している。そして――。

 一瞬画面がフラッシュしたかと思うと、映像は途切れた。

「残酷な場面だ……」ゼスは顎に手をやりながら嘆息をつくと、

「まだ連中にも管理が行き届いていないようだな……。手懐けられていない動物のような……」

 ゼスは、この映像に心底嫌悪感を抱いた。それが言葉にも表れており、語気を少し強めた言い様になっていた。

 ロシリーが同調するように「確かに凄惨だ」と述べると、

「他にもいくつか証拠となる映像を録画してある。これを見てまさか、ゲノフへ戻ろうなどと思ってはいないだろう、ゼス殿?」

「この映像を録画することさえ命がけでしたでしょうな。そのスパイの方は今は?」

「この映像は、通じている蒼き翼の構成員の端末に送られ、それを記憶媒体に移したりしたものだ。その後スパイがどうなったのかはわからない。まあ、察してくれ……」

 ロシリーが言うと、室内に静寂が訪れた。

 機器の無機的な音が響いてはいたが、この場にいた四人の口から漏れるはずの呼吸の音さえも聞こえなかった。

 ロシリーが言っていた、これらの映像を見た上でゲノフに戻るか否か。その選択をゼスは迫られている。勝敗や優劣、そしてそれらが自分にもたらされるも何も、自分の人としての在り方を問われそうな、ある種の究極な選択でもあった。 だが、その究極の選択のどちらを選ぶかはゼスの中ではすでに見極められていた。

 監視カメラに映った、ゲノフの騎士団員と思われる人間の衣服も、目に狂いがなければ、ゲノフ内で支給された防護スーツだ。これが何よりギースの悪事を決定付けるものにゼスには見えた。

「私を殴ったナイルくんはやはり正しかったのでしょう。ゲノフのこうしたやり口を、当の私が知らない場所で見聞きし、警戒心を持っていたと考えられます。そして私には大きく見落としていたものが一つあります。それは、私や騎士団の人間が手にかけてきた多くの犠牲者、その魂を弔うという行為を怠っていた点です……。それなら、私にここの路の上を歩く資格はないと思われます……」

 ゼス殿……、と少々否定的なゼスの言葉に、ロシリーは何を思ったかそう口にした。ゼスは続ける。

「しかし、私はこの目でしっかりと見ました。ここがある一つの人間として生きていくに必要なものを多く備えている場所であるということを……。私には出すぎたことかもしれませんが、皆さんと力を合わせ、敵を倒す……。それが私の新たな仕事となることでしょう」

 ゼスの弁に、ミリとメルアは小さく拍手した。ロシリーも普段は見せないような微笑を浮かべ、

「決まりだな……。改めて歓迎しようゼス殿」

「それはまだ早いかと」

 ゼスが苦笑したところで、ドアの開く音が聞こえた。

 見ると、蒼き翼の兵士三名が、陽電子銃を胸元で持ち、室内へと入ってきた。

「お前がゼスか。今日になって蒼き翼のことを知った人物だな?」

「どうしたのです?」ロシリーが目を丸くした。

「ゲノフの医療施設から脱走してきたようだが、その首のテーピングは何だ?」

「これは……」口ごもるゼスに、兵士は断固言い放った。

「モンスターウイルス感染の疑いがある。他にも救出した人間はいたが、検査の結果、陰性だった。お前の場合すでにその首元の様子から、感染している可能性が高い。悪いがお前を隔離する」


 ――これではせっかく私を助けてくれたロシリー殿に申し訳ないではないか……。

 両手両足に枷がかけられ、狭い個室へと隔離されたゼスは、胸中でそう呟いた。

 そこへ扉が開きナイルとダバックがやってきた。

「いいざまだな、ゼス!」

 そう罵るナイルの後ろには兵士が二人ほどおり、ダバックも含め全員マスクをはめていた。

「同胞を殺した挙句、今度はモンスターウイルスに感染し、地下街の奴らを恐怖にさらす、それがお前の生き方か!」

 ナイルの視線がゼスに鋭く注がれる。

「私は私なりに答えを見つけました。あの聖域に行き、わかったことがあったのです」

「祈りは捧げてきたんだろうな?」

「もちろんです……」

「ふん、それも当然だ。むしろ祈りを捧げるだけじゃ、お前に殺された同胞の魂は鎮められねえ……」

「それ程の罪を犯したと、私にも自覚はあります」

 へっと嘲るように笑うナイル。

 ほう、とナイルの背後からダバックが興味を示したような声を上げる。

 ダバックは最初に出会ったときとほとんど変わらず、アロハシャツとハーフパンツにサンダルといった出で立ちだった。

「そうか。そこで君は何を感じたね? ゼスくん……」

 ダバックが問うと、ナイルはダバックの後方へ下がった。

「何とも不作法な邂逅であったように思えます。確かにここの人々と会う前に、済ませておかなければならない事柄でした。聖域に立ち、私はそうした自分の愚かさや、礼儀に事欠いた行いが浅慮だったと猛省しました……」

 ダバックの表情は硬いままだ。

「しかし、そうした行いはゲノフに勤めていた以上やむを得ませんでした。あの時、もし私が殺めることを躊躇していたら、被害はもっと大きくなっていたと断言できます」

「まあ、そうだろう」とダバックが賛同したような態度をとった。

「だとして、君は聖域で祈りを捧げたのだろう? 気持ちの変化などあったのではないかな?」

「ええ。そうです。今までギースの下で働いていた私は、ギースこそが我が主と捉えていました。この場所を訪れ、私が見たもの感じたものは、かつて私が過ごした苛烈な戦争の中で垣間見た、とある自然的な環境を思い起こしました。幼い頃だったと記憶しております。多くの人が戦い倒れていく中で、幼い私もいずれその戦禍の中に身を置くことを知らされていました。戦役の前に私が見た穏やかな景色と、ここで見た景色とが、折り重なるように感じたのです。人々が色とりどりの食物を口にし笑顔を交わす。それは穏やかな景色を見ながら過ごした幼児期の楽しさを私の胸の奥に蘇らせました。それこそ人のあるがままの姿ではないか……。また、ここに住む人々、そして同僚だった人々――ロシリー殿たちの仕草や思いに私は感銘を受けたのかもしれません。ここが、人間が人間であろうとする素晴らしい環境であったこと。私が蒼き翼の兵士として戦うには、それこそが真っ当な理由になるのではないかと……。ロシリー殿やミリ、メルアたちともう一度協力し、この荒廃した世界を魔手から守り、そして再び、人間が人間らしく生きていくための世界を構築させていきたい、と私は思いました……」

 ゼスが述べた直後に、ナイルはふん、と鼻息を吹かすと、個室から出ていった。ダバックは硬直したような表情を崩すと、笑みを浮かべた。優しい父親のような笑顔だった。

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