第三章 ゼスの受難⑤

「すまなかった、ゼス殿……」

 住宅地が道の両側に連ねる間を歩く。吹き抜けを目指しているようだ。そのままエレベーターにでも乗るのだろう。

 ロシリーが謝りつつも、頬の痛みはまだ引いていなかった。

 殴られたのはどれくらいぶりか。戦争の時以来だっただろうか……。

 加え、ゼスは珍しい光景に立ち会っていた。

 ロシリーの様子が弱々しい。

 ゲノフの頃よりもどこか頼りなさ気だ。頻繁というほどでもないが、二度も謝罪し、ダバックという上官から指摘されたこれまでの流れを見てみても、共に任務にまい進していた頃より、当初から抱いていた、冷徹な彼女らしさは見当たらなかった。

 ロシリーの言葉にゼスはいえ、と答え、

「仕方のない状況でした。ダバックさんも言っていました。タイミングが悪かったと……。あの場に、ナイルくんと鉢合わせしたことを言っていたのでしょう」

「私もここへ入隊した当初はあまり歓迎されなかった。その時は、モンスターウイルスの感染具合も今ほどではなかったからな。ゼス殿のこれまでの活躍は、蒼き翼にとってはあまりいいものとも言えんのだ」

「主にモンスター化した住民への配慮が足りないと言っているようでしたが……。確かにここしばらく、聖典を担う者として、何体かの怪物を手にかけてきた次第です……」

 道の両脇には店が開かれているところもあるようだった。

 肉を焼いたり、芋を蒸かしたり、フルーツや野菜を店先に並べる様が、歩きながら目に留まった。

 ゼスは好奇心が先走ったのか、赤色に光る果物を一つ手に取り、かじりついた。

 呆気にとられるロシリーを横目に食らいつくゼス。少々傷口にしみたが、瑞々しい果肉が口の中でほぐれ、甘味と酸味、そして歯応えのある食感が気分を潤す。

「すまない。支払いは後日でいいか?」

 ロシリーが店主と話す。

「新入りさんかい? 一つくらい持っていきなよ」

 すまない、と陳謝しゼスの腕を引っ張るロシリー。

 エレベーターに乗り、ロシリーから渡されたハンカチで果汁まみれになった手を拭く。

「どうしたのだ、突然……」ロシリーは苦笑いしながら、ゼスの背中に見入った。

「すみません、ロシリー殿。あまりにも旨そうだったのと、喉が渇いてまして……。いや、だからといってあのような真似は不躾でした。後日私から謝罪を……」

「店主は見逃してくれたようだぞ……。うまかったか?」

「そりゃもう。そのうち焼肉も頬張りたいものです……」

 ゼスはそこで、はっと気づいた。

 ――この環境を楽しんでいる?

「あの果物も、野菜も肉も全て、クラウドキャッスルからの輸入品だ。ラージさんが考慮してゲノフの目から隠れつつ、ここに支給してくれている。本来であれば、他の区画に住む住人にも与えられるものでな。ここ独自の貨幣で取り引きをしているんだ」

「それは地上の生活とほぼ少し異なる日常ですな。先ほどもラージさんは言ってました。ここのいたるところにある瓦礫を撤去する仕事があると……」

「そうだ。ここでの通貨を受け取るときもあれば、食料品や粗品を受け取る場合もある。そうしたやり取りで、ここもある種の秩序が出来上がっている。しかし、ギースはそんなひと時の日常すら見逃しはしないだろう。我々もそれを予期している。いずれ戦うことになるだろうが、それまで我々はこの生活を堪能するつもりだ。それが本来の人間の権利なのだからな……」

 無言のまま、ゼスは話を聞いていた。

 やがて最下層についた。駅のホームとラージの部屋があったはずだが、ロシリーは自らを発光させ、ゼスとホームから降り、線路を歩いていく。

「聖域、と言ってましたな」

「ああ、行けばわかる……。ナイルも悪い奴じゃない。傷はまだ痛むか?」

「痛みはありますが、こちらに不手際があったのでしょう? 彼が良識ある人間であるかどうかはその聖域とやらを見てから考えます」

 そして次の駅に着いた。そこにも明かりがあり、人の出入りがあるようだった。

「どこから電気を?」

「ゲノフの管轄はケージの中だけだ。ケージの外にある風力、火力発電から電気を得ている。そこはクラウドキャッスルの管轄だからな。ゲノフも口出しはできんらしい。ま、見てみぬ振りというのもあるだろう」

 ホームに上がり、エレベーターに乗ると、この構造も地下五階で、四階でエレベーターは止まった。

 エレベーターから出ると、ゼスはその光景に息を飲んだ。

 造りとしては同じだ。四方に伸びた通路の中央に吹き抜けがある。蒼き翼の施設では、その通路の両脇が居住区となっていたが、そこには居住地などはなく、数段の棚に並ぶ、細長い石のようなものが見えた。

 それがゼスには何であるかすぐにわかった。

「墓石……。ここは墓地なのですか?」

「そうだ」ロシリーの顔には相変わらず、色彩がなかった。


 墓地の入り口で、ロシリーと黙祷を捧げたゼスは、ロシリーがここまで来て、様々見せた彼女らしからぬ非力な一面は、それこそがロシリーという女性の本来の姿なのではないか、と思い始めていた。

 墓地には明かりはあるものの、薄暗く、ロシリーの体が光の力によって灯るのを傍らで見ながら、ゼスはこう話を切り出した。

「私はロシリー殿がてっきり、ただの冷酷な女性ではないかと思っていました」

「冷酷? 私が?」

「ええ」とゼスは首肯し、

「ですが、ここへ来て、あなたの別の一面も見られたような気がします。何分驚いたのは、恋愛小説を嗜むというところでしょう」

 ロシリーは微苦笑し、

「私だって普通の女でありたいと思うこともあるさ。ゲノフのときは冷酷に映ったかもしれんし、私自身、凄惨な現実を目の当たりにして、感情を圧し殺していたというのもある。そうでなければとっくに心がボロボロになっていたかもしれない」

 いくら怪物を倒したと言っても、元々は人間だった。人殺しをしたのと変わりはない。

 そうか、とゼスは思った。

 あの感情のないまっさらな顔も、ロシリーの本心から来る罪悪感がもたらしたものではないか、と。

 憤りや、悲哀、悔恨……。そうしたいくつもの心情を、罪の意識から心の底へと追いやっていた。それは彼女の忍耐強さとも言えるのではないか――。

「ここで祈ることも欠かしてはいないのでしょう?」

「そうだな。私の中での贖罪というのもある。ウイルスが徐々に拡大してきて半年は過ぎた。その間、私も幾人か手にかけてしまった。彼らの生活を管理する反面、殺めなければならないことは罪悪感を抱かせ、やるせない感情が沸き上がってきていた……」

 ロシリーは肩を竦め、こう続けた。

「こうして弔うことはできるが、私やゲノフの人間が、ある一人の人間の生き死にまでも片手間でこなしていいものではない。そこに私は限界を感じていた。ゲノフという組織と私自身の在り方の限界をな」

「しかし、こうして魂に祈りを込めているではありませんか。人としては当然のことかもしれませんが、ゲノフにいたままではなし得なかったことでしょう……。私はそうしたあなたの一面が見られて安心したのです」

「そうか」とロシリーは頷いた。

 そこで携帯していた小型の無線機に通信が入った。

 ゼスは腰から無線機を取り出し、応答した。

 ミリからだった。

「見せたいものがあるから、ロシリーと来て」


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