第三章 ゼスの受難③

 ゼスは何か述べようとしたが、ラージは呟くように言った。

「私としても、ウイルスや治安などの現状をこれ以上悪化させないためにも、ギースを統轄長の座から降ろす必要があると考えている」

「なぜ反ゲノフ団体などに支援を? この施設を運営するにも、ゲノフが黙ってはいないのでは……。それにギース様に制裁? 一体何がどうなっているのか、私にはわかりかねますが……」

 ゼスは驚きつつ、ラージに尋ねた。神から授かったケージの治安を守るためにゲノフが神から命令を受け、それを実行してきた。だが、クラウドキャッスルは制裁という意味合いで、ギースの給与とゲノフの予算を少なくし、ゲノフと敵対するこの組織に資金を回していたとなると、ゼスの常識の範疇を越え、理解に苦しむ。

 そんな不自然な行いに思わず首を傾げたくなるが、その疑問を払拭するかのように、ラージは笑って見せた。

「神直々の頼み事ってことだ」

「直々?」

「ゼスくんも知っているかと思うが、神はその名称こそは仰がれる存在ではあるが、実際上は四人のユージュアルヒューマンから成り立っている。彼らは独自の考えを持っていてね。戦争に勝って、人間を監視しながら、住む場所を与えたり、健康を気遣うために食物の栽培や生産、輸出入などを管理している慈悲深い存在だ。だがその中に、人間を快く思わない神もいたり、人間を実験動物に見立てる神もいれば、ニューエイジにしか興味を示さない神もいる。そして無論、人間に情を注いでくれる神もいるんだが、私はそんな人間を慈しむ神様から命令を受けたんだ。その命令とは……」

 ラージが視線をロシリーに向ける。ロシリーはラージから引き継ぐように、説明を続けた。

「ゲノフの統轄長、ギースの抹殺、及びゲノフの治安維持権の剥奪だ。事情をほとんど知らないゼス殿には、わかりづらいことかもしれない。すでにゲノフ側も、我々蒼き翼を武力による制圧の準備と解体を企てているという情報もある。ゼス殿がラタン部長に尾行を指示されたのもそこから来ている。私やメルアの正体もゼス殿ならすでに察しているかもしれんが……」

 メルアが怪しいと踏んだラタンはゼスに尾行を要請した。ラタンや上層部はその時点で、メルアがほぼ反ゲノフ団体と通じていると睨んでいたのだろう。のちにゼスが地下へと続く階段に気づいたことで、ラタンやゲノフの幹部たちの蒼き翼への疑いが確固たるものになったと考えられる。それはゼスから得た情報のみならず、他にも情報を掴んだ者がいるということだろう。

「私もすでに目をつけられていた。ゼス殿の前でギースに辞職を告げた時点で、私のゲノフに対する宣戦布告が成り立っていたのだ……。それはギースも同じだったのかもしれん。奴も私の退職の意思を戦いの開始の合図と見ていた、そう私には断言できる」

 ゼスは聞きながら、耳を疑った。

 かつての同僚が、反骨精神を持ってゲノフと争う姿勢を示していたのもそうだが、そんな衝撃的なことを述べられてもすぐには理解できない。また、例によってロシリーの顔が無感情という相変わらずの様子から、信じるのが困難に思えた。

 ゲノフに対しての反発を表に出していないものの、すでにロシリーが戦う意志をその胸の内に隠していたのはなぜなのか、ゼスはその疑問をすぐに投げかけた。

 ロシリーはこう答えた。

「以前から、ギースにおかしな点があったのは、ゼス殿も知っていたと思う。姿を見せない奴の態度……、問題はそれだけではない。奴は、治療のため確保したモンスターウイルスの感染者たちに、別の薬物を投与し意図的に怪物化させ、生物兵器としての実験を行っていたのだ。挙句、その実験に使えないものは、殺処分される……。証拠の品はここにはないが、存在はしているのだ。ある蒼き翼の兵士がゲノフに所属していたのもあって、小型のカメラでその様子を撮影しクラウドキャッスルに提出したこともあった」

「そうしたもろもろの経緯があって、ロシリー殿はゲノフに潜入していたということですかな? よく今まで隠し通せていましたな。そうまでして、ロシリー殿はゲノフに反発したかったのですか?」

「さっきも言ったかもしれんが、ゲノフのやり方は本来人間が持つべき権利を奪っている。私はそこに疑問を抱いていたのだ」

「私をあそこから助け出したのも、何か理由が?」

「ゼス殿が必要だったからだ。ゼス殿のことを詳しく知っているのはここでは私と一部の者だけだ。ゼス殿の実力を知っているからこそ、こちらに招こうという狙いがあった」

 ゼスは密かに驚きつつ、ある疑問が生じた。

 ――ゲノフの元職員がここに……? まさか、メルアも?

 ロシリーが言葉を一旦区切ると、今度はラージが話し始める。

「ひーふほはふは」

「食べながらのお喋りは止めてください」

 ロシリーから注意され、ラージは急いで咀嚼すると、

「昼飯まだだったもんで……。んでね、ギースの奴は、その他にもクラウドキャッスルに反発するかのような意思を示している。怪物化させた末に、そのことがクラウドキャッスルに伝わり、ギースを問い詰めようとクラウドキャッスルの議会に呼び出したんだが、奴は全く動こうとはせず、無関心を決め込んでいる。また、ゲノフのトップでありながら、生肉などの食べ物を私用目的で独占し、その発注書を裏で工作をしているとの疑いもある」

「まってください、ということは……」

「ああ、ゼスくんも知らなかったようだね。そう、野菜や肉などのちゃんとした食用物は以前から解禁されていたんだ。テレビでも伝えてあるらしいんだが、ギースは電波をジャックして、その告知を住民たちに知らせるのを阻み独り占めしているというのが現状だ……」

 ラージの言葉に、まさか……、とゼスは慟哭しだした。姿を現せないことにはまだ目を瞑れたとしても、その行いには驚きを禁じ得ない。

 ゼスは寸刻、足元に視線を落とした。

 ――ギース様が裏切った。いや……。私に見る目がなかったということなのか……。

 俯いているゼスに向かって、ラージは続ける。

「恐らく奴は、食べ過ぎて肥満体にでもなっているのだろう。容姿を見られたくないために、身を隠しているという予想もできる」

 その全てが事実であるという証拠は今のところ皆無ではあるが、話を聞いている限り疑いの余地もないように思えた。

「私が勤めていた職場の上司が、そのような罪に手を染めていたという事実は、感染者の処刑も含め、まだ飲み込めきれません。怪物化したものを自軍の兵力に? なぜそのようなことをする必要があるのです?」

「クラウドキャッスルに反旗を翻すためだろう」

 ラージが厳かな様子で言った。

「オールドエイジ特有の、ユージュアルヒューマンへの反発って奴だ」

 ギースは世代的にオールドエイジに属する。オールドエイジという名称も、彼らの考え方にいまだ、人工物であるユージュアルヒューマンを認めきれない節があり、それが時代錯誤な古い考え方であるところからきている。

「戦争を引き起こしたきっかけの一つに、当時、政権を握っていた一部のオールドエイジの政治家の中には、過激な思想を持つ者もいた。その思想こそ当時の人工知能との戦いの引き金となった原因でもあるんだがね。彼らはユージュアルヒューマンに対しては差別的、懐疑的だった。ギースはその思想をまだ胸に秘めていたということだろう。私たちはそんな彼と彼に付いていく者たちとは敵対する考えを持つ。いわば神陣営の人間だ」

「それは……」

 ゼスは一度言いかけ、すがるようにロシリーに視線を向ける。

「ロシリー殿も同じ考えなのですか?」 

 私は――とロシリーが言おうとしたところで、ドアがノックされた。ラージの返事にドアが開けられ、入ってきた人間にゼスは瞠目した。

「本日より、蒼き翼の一兵卒として参りました……って、ええっ⁉」

 目を丸くするその女兵士。傍らにはもう一人女性の兵士がいた。

「ミリ、メルアじゃないか! やはりお前たちも……?」

 ピンク色の髪を額の端から左右に分け、明るく敬礼をして見せたのはミリだった。その横にいたメルアも、いつものように黒髪を後ろで結い、驚きからか眉を押し上げている。

 こほん、と一度小さく咳払いしたミリは、

「何のことだ? アタシの名はリーミだ」

 と彼女らしからぬ台詞を吐き、メルアも同じ調子で、

「わたしはリメアだ。人違いではないか?」

「えっと、ロシリー殿、彼女たちは?」

「ゼス殿もすでにここのことを知り始めている。無理に演じる必要はないぞ?」 

 ロシリーが親切に説明するも、

「えっえーっと……」ミリは狼狽する。

 どこまで現状を把握しているのか、ミリにとっては不明な点が多いらしく、困惑している様子だ。そこにメルアが横から口を挟むように、

「腕相撲で勝負よ、そこの男の人」

 腕相撲って……、と述べ眉を潜めるゼス。

 体のいい木箱を持ってきて、力比べの準備をしようとするメルア。途上、ゼスはロシリーに耳打ちする。

「どうしたんでしょう、彼女たち……」

「ゼス殿がここにいる経緯を知らないからだろう。ま、私にもゼス殿の本心はわからんが、ゼス殿は今のところゲノフの人間だからな。迂闊に自分の正体を明かさない理由も、それが命に関わることだからだ。少し彼女たちに付き合ってみてくれ……」

 はあ、そうですか……。と力なく呟くゼス。

 ――やるだけ無駄なような気がしなくもないんだがなあ。

 肘を箱の上につけ、互いの手を握りしめる、ゼスとメルア。

 ミリが審判の役を担い、彼らの横に立つ。

 ゼスとメルアの手を覆っていたミリの手が、彼女の掛け声と共に外され――。

 メルアがゼスの手の甲を、速攻で箱の上に叩きつけた。

 ――負けた……。すごい力だったな……。

 以前の彼女はその力を見せつけず、前時代的な女性の非力さを演じることで、自己の肯定に繋がっていたのではなかったか?

「どうかしら?」

 睨み付けるようにゼスを見つめるメルア。

「これが私の実力よ」

「いやあ、素晴らしい!」

 ゼスは絶賛した。

「何とも力強いお方だ。これならあなた一人でも敵を蹴散らせそうですな……」

 メルアの様子が変わったように思える。顔を上気させたのか、赤面し、涙目になっている。

 ――どうしたのだ? やはりメルアは自分の強かさを見せつけたくないのだろうか。

「いやあ、本当に素晴らしい!」とゼスの演技は終わらない。拍手もおまけに付けてみる。

 ――拍手も持ってけドロボー。ほら、どうだ、メルア? それでもお前は正体を隠すのか?

 耐えきれなくなったのか、メルアは口元を抑え、部屋から飛び出してしまった。

 追いかけるミリとロシリー。

 ペットボトルに口をつけていたラージが、扉の音に驚き、飲み物を吐き出していた。

 慌ててゼスもあとを追う。

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