第三章 ゼスの受難②

「ロシリー殿たちは、なぜ危険を顧みず私たちを……?」

「感染者を見殺しにしないためだ。今回が初めて実行された作戦だった。上手くいったのはよかったが、次はこう上手くいくかはわからない」

 嫌な予感はしていた。躊躇せず、警備員に発砲するゲノフ騎士団の一員を思い出すと、大分込み入った事情があるのは間違いない。その事情がなんであるか、ゼスは胸奥に多少の不快感を覚えた。それを誤魔化そうと、ゼスはこう話しを切り出した。 

「と、ところで、ここは一体どこなのです?」

「ここはとある地下施設。私の私室だ」

「ロシリー殿の?」

 改めてゼスの視線は、物珍しい本棚へと向けられた。立って本棚に近づき眺めてみる。規制対象である恋愛本を彷彿とさせるようなタイトルが、ほとんどを占めていた。

 恋慕の罪人、恋路の果てに、恋情の雪、などと言ったような題名がずらりと並んでいる。

「恋愛小説のようなものがありますが、ここに隠していたということですかな?」

 ピクリと、横にいたロシリーの体が小さく強張った。

「正直に話そう。その小説は私の所有物だ……」

「恋愛が好き……」

「好きではない」

「恋愛がした……」

「したいわけではない」

「異性に飢えて……」

「飢えているわけではない」

「てってっ……」

 ロシリーの強固な姿勢に気圧されそうになったが、ゼスは少し踏み込んだ質問をした。

「禁止された物品を所有していたのですか?」

「ああ」と臆面もなく、ロシリーは首肯する。

「それが何を意味するか、ゼス殿も薄々感づいているのでは?」

 ロシリーの謎めいた尋ね方だった。仕事を共にしてきたゼスをたしなめているようにも聞こえる。

「ロシリー殿にしては、不謹慎ですな。こんな地下に禁止されたもの、ましてやフィクションの恋愛ものを隠しているとは……」

 咎める言い方をあえてしたのは、ゼスの心境としても、ロシリーがそんな不真面目なことをする人間には思えなかったからだ。また信頼する同僚の過ちを正したいという思いがあったからでもある。ゼスの苦言にロシリーは異なる発言をした。

「何か飲むか? といっても水くらいしかないが……」

 ベッドの横に小型の冷蔵庫があり、そこからボトルを取り出すと、別の棚にあったカップに注いだ。

「詳細はあとだ。私は少しやることがある。それまで休んでいてくれ……」


 ベッドに座りながら、ゼスは何度かデザを心で呼んでみた。

 ――すまねえ、旦那……。

 ――ようやくお出ましか。さっきなぜ出てこなかった?

 ――薬を注入されたんでさあ。鎮静剤みたいなものでやした……。怪物化を抑える効果があったみてえでやすが、全く力が出せやせんでした。見ての通り今は元気ですよ。それより今の状況はあっしらにとっていい状況なんでやすか?

 ――わからん。ロシリー殿がいるからな。絶体絶命ってわけじゃなさそうだが……。

 そこでロシリーが入室してきた。

「待たせてすまない。ちょっとこちらへついてきてくれるか?」

 部屋の外は先刻も見た通り、商業施設の一角だったようだが、奥の方にはシャッターが下りていた。

「地下にこうも色んなものがあると、想像が膨らみますな」

「例えばどのような?」

「失礼かとは思いますが、秘密組織の基地だとか……。野蛮な連中のアジトだとか……どっちにしろ、いい感じはしません」

 ほう、と感心したような笑みを浮かべるロシリー。先刻からゼスをたしなめているかのようなロシリーの態度に対しての小さな反撃だった。

 シャッターを上げると、先ほどまでいた場所よりも明るかった。道の両側には、シェルターの住人とおぼしき白い服を着た人々が、段ボールや敷物の上に体を寄せあって座っていた。

 どこからともなく、食欲をそそるような香りが漂ってきた。

 この匂いは、まだ戦争に参加する前に食したことのある、肉を焼く匂いだろう……。

「まさか、規制している生肉などを調理しているわけではないでしょうな? 先刻の恋愛本といい、ここはいかがわしい施設なのですか?」

 ロシリーは横顔を見せて、自信ありげに言うのだった。

「ゼス殿。そうした娯楽に触れるのは、人間の当然の権利だ。戦争を経て、人々が核を使用しユージュアルヒューマンを大量に破壊した罪と罰に喘いでも、それは変わらない……」

 前方から、灰色の防弾スーツを纏った二、三人の人影がロシリーの前で止まった。手には銃器を持ち、老いた者もいれば、まだ二十歳に達していないくらいの青年の姿もある。

「彼らは……」

 突如現れた彼らを見てゼスは、背格好から見て一瞬思考に及ぶ。そののち、ゼスははっと気づいた。

「反ゲノフ団体……ではないでしょうな?」

 嫌な予感がした。ゲノフの人間であるロシリーへ銃を向けることもなく、そしてこの場所に彼らが一種の組織を作り上げているようにも見え、ゼスは疑いの視線をロシリーに向けた。旧知の間柄であるのはロシリーしかいないため、彼女の返答を待つしかなかった。

「ここはゲノフに対抗する組織、『蒼き翼』の本拠地だ」

 ロシリーの顔には、明確な表情はなかった。しかしその声音には強固なものがあった。


 戦争よりも以前、基地内は地下街として存在していたようだ。

 ロシリーと蒼き翼の兵士たちと赴いた先は、吹き抜けになった場所だった。

 吹き抜けを軸として、四方に通路が伸び、その両側に店が連なっていたらしい。その名残はあったものの、一時期はシェルターとしても利用されていたらしく、戦争が行われた時期を考えて二十年以上は経っているだろうか。現在は居住地となっているようだ。

 通路と通路の間にエレベーターがあり、全員でそれに乗った。

 地下五階という深さに出来上がった施設には地下鉄の跡もあるとロシリーは言っていた。ゼスはロシリーがここを本拠地と言ったことに対して、この地下にある地下鉄などを利用して、他の場所にある蒼き翼の拠点と通じているのでは、と推測した。

 先ほどから漂う肉の焼く匂いに加え、カレーの香りも漂い始めた。エレベーターにその香りが紛れ込んできて、空腹を伴ったゼスは、この食欲をそそる匂いとは裏腹に自分の処遇がどうなるのか、結局、モンスター化せずとも命を落とすことになるのではと、首もとを触りながら、気持ちはこの地下基地の吹き抜けへと落下していくように感じるのだった。


 最下層にまで案内された。どうやら匂いの元はここから来ているらしい。舌鼓を誘う匂いが強くなっている。

 ここにも電気は通っていた。武器や防具などの装備品。禁止されたはずの生肉やその調理、この階層の至るところにも通じた電気を考えると、立派な居住空間が出来上がっている。どこに動力源があるのか、ゲノフと敵対する連中の物持ちのよさから、誰かに出資を得ているのだろうか、とゼスは考えていた。

 降り立った先は、駅のホームになっていた。

 使われていない無人のホームを右へと歩いていくと、そこには扉があった。何かを焼く音が、扉の向こうから聞こえてくる。

 兵隊の一人が、扉をノックすると中から返事がし、ロシリーとゼスは入室した。

 手狭な部屋の奥には、大きな机があり、ぐるりを本棚が囲む。部屋の脇には、別室へとつながる入り口があるようで、部屋の扉前でゼスを置いてロシリーがその入り口に入っていくと、

「おお、すまないね、ロシリー。今、顔を出しに行くよ」

 しばらくして姿を現したのは、中年の男性だった。

 白髪混じりの頭と、柔和な表情、暗めの色のシャツとジャケット、下はスラックス姿で手には焼いたばかりの肉と、カレーのルーの盛った皿をトレイに乗せて指で支えていた。

「君がロシリーくんの言っていたゼスくんか!」

 ゼスは少し頭を傾けて会釈し握手を交わしたその人物は、部屋の奥の椅子に座り、肉をフォークで刺して口の中に放ると、

「わやしはふはうほひゃっふふ」

「食べながら話さないでください」

 ロシリーが指摘すると男は食べ物を飲み込んで、

「私はクラウドキャッスルの神の代理、ラージだ」

「神の……代理?」

ゼスは思わず聞き返した。

「こことクラウドキャッスルとの橋渡し的な役目がある。人種としては普通の人間だ」

 クラウドキャッスルでは、ユージュアルヒューマンのみならず普通の人間も共存している。もっぱら、そうした人間は、多くの資産や資金を持っており、身分が高い。それくらいの立場でないと神の代行を務めることが許されないのだろう。

「クラウドキャッスルは何も楽園ではなくてね。このケージと呼ばれる街と共に一つの国家として存在しているんだ。その住人たちもただの天上の聖人ではなく、労働者でもある。ゲノフを運営するには、クラウドキャッスルからの資金が必要なもんで、クラウドキャッスルの住人たちの税金が根っこにある。今はゲノフが起こしているあることをきっかけに、制裁という形で、ギースの給与を減らしたり、ゲノフに回す予算を制限している。クラウドキャッスルと私と幾人かの者との資金とを合わせる形で、蒼き翼を運営しこの基地の設備関係や、武器などの調達に役立てているんだよ」

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