第三章 ゼスの受難①

第三章 ゼスの受難




 目を閉じていても、明かりが眩しい。

 瞼の先に何があるのか――。興味を惹かれゼスは目を開けた。

 白い天井に光る電灯。ゆっくりと体を持ち上げ、ベッドに腰かける。四方を狭く囲った白い壁に、ゼスの位置から左奥にはドアがあった。どういう状況なのか、ゼスは数瞬考えた。

 ――怪物化してしまったんだったな。

 あのとき怪物化に反対していたデザも、変身してみれば、傷が癒えるからということで、イノシシの肉を口にすることを推奨した。それがゲノフタワー前で、たしかロシリーたちにも自分の正体がばれてしまった……。デザの制止を振り切る形で、ロシリーたちに加勢しようとするも、すでに怪物は始末された後だった。あの場合、デザの言うことを聞いておけばよかったのだろうが、ゼスとしても負傷していたため、どのみち頸部の痣のことはバレていたかもしれない……。ゼスはそうした過去を踏まえ、ここがゲノフの医療施設であることを悟った。

 ――ここにいては、薬を飲まされ不自由な思いをすることになる。

 焦ったゼスは、外との連絡手段がないか室内を見回すが、ベッドと洗面台、そして部屋の隅に便器があるだけだった。私物のゴーグルも没収されたのだろう。それはまさに騎士団を除隊させられたのと同じだった。

 ――どうにかしてここから出る方法を……。

 デザはどうしたのか、胸奥で彼を呼んでみても反応はない。ドアの前まで歩き、ロックを外せないか調べていると、突然ドアが開いた。

 金髪姿のゲノフ騎士団員だったが、いかめしい防護マスクを被っている。ゲノフで支給されている紺色の防護スーツを纏い、手にはもう一つ防護マスクとはめられていない手枷があった。

 金髪の騎士団員の後ろには、モンスターウイルスの治療を受けていたらしき、老若男女が列を作っていた。みな手枷をかけられ、一列に並んでおり、顔には防護マスクがはめられている。

 列の最前列には、男性らしき体格のいい人物が、陽電子銃を肩から下げつつ、防護マスクを被っていた。

 その人物から声をかけられる。

「これより、感染者処理場に向かう。着くまで心の準備をしておけ」

 述べているそばで、金髪の騎士団員から防護マスクを渡され、頭に被ると、手枷をはめられた。

 ――私が処刑される……? それにしては他の患者は大人しいな……。死を悟るとこうも聞き分けがよくなるものなのか?

 列が前へと歩き始める。時おり、マスクをしていないゲノフ職員とすれ違うが、何か言われるというわけでもない。

 最後尾にいたゼスは、最後のあがきとして、枷をほどこうと体を捩らせながら、腕に力を入れる。しかしいくらメカエイジの特殊な義手といえども、枷が固い鉄製の素材で、外すことは叶わなかった。

 それに気づいた金髪の騎士団員は、

「大人しくしていろ。黙って従っていれば、天国に行ける……」

 声からして女のようだった。ゼスは反発する。

「天国だと……?」マスク越しにその女を睨み付けるゼス。

「治療する施設じゃないのか、ここは……! ゲノフは罪もなき一般人まで殺そうというのか⁉」

 すると前を歩いていた感染者がゼスの爪先を勢いよく踏んだ。

 たたらを踏んで痛みに堪えるゼス。

「お、お前たちも殺されるんだぞ! なぜそんなに大人しくしていられるんだ⁉」

「いいから静かにしてろ!」

 ゼスの足を踏んづけた患者は、冷たく言い放った。

 ぶつぶつと文句を言いながら、ゼスは渋々列に続いた。

 エレベーターに乗り、最前列の体格のいいゲノフ騎士団員がボタンを押したフロアは一階だった。

 ――感染者を処理する……。私はこれまでゲノフで働いてきて、そんなこと初めて聞くぞ? まさかこれが現ゲノフの実体なのか?

 心で嘆きながらも、デザを呼ぶゼスだったが相変わらず出てくる様子もない。 

 ――万事休すか……。

 エレベーターが一階につき、ぞろぞろと感染者の列が出てくる。

 ガラス張りのエントランスの向こうは夜だった。

 半円を描く玄関前のテーブルには、恰幅のいい警備員が一人。その警備員が列の先頭にいる体格のいいゲノフ騎士団員に話しかける。

「今日は処分の予定はなかったはずですが?」

「急遽決まったんですよ。ギース統轄長もその日の気分で決めたりされるので、私も非番だったのに急に呼び出されまして……」

「そうですか……少々お待ちください。念のため確認を……」

 警備員は言いつつ、手首の時計端末に話しかける。

「第二病棟の受付だが……」

 その時だった。体格のいいゲノフ騎士団員が、肩にかけていた銃を背中に回し、腰から一丁の拳銃を取り出して、警備員に向けた。通話しながら警備員は目を丸くし、両手を挙げる。拳銃から発砲音がし、警備員は床に倒れ込んだ。

「あんた何やってんだ?」

 ゼスは思わず尋ねた。

 ゲノフ騎士団らしき二人の人物に、これから処刑されると思っていたのだが、その一人が警備員に発砲するとはどういうことか。ゼスの問いかけに騎士団員の二人は何も答えず、体格のいい騎士団員が言う。

「黙ってついてこい。天国に行くんだからな。ちなみにそいつは眠っているだけだ」

 体格のいいゲノフ騎士団員が顎をしゃくって見せた先には横になる警備員の姿があった。

 そして体格のいいゲノフ騎士団員は手首の時計型電話に向かって、

「そろそろエントランスを出る。急げ」

 歩きながらそう通話する体格のいい騎士団員に、列は続いてエントランスから出ると、大型のトラックが現れ、後ろのコンテナから人影が出てきた。

 その人物も厳ついマスクをしており、親指を肩越しに後ろへ示すと、

「早くずらかるぞ。中で警報が鳴ってる。監視カメラが探知したんだ。急げ!」


 トラックは前進し、病棟区画入り口の門を突き破って出てきた。

 コンテナに乗り込んだ感染者たちは、各々マスクを外す。

 ゼスの爪先を踏んづけた感染者が、マスクを外し終わったゼスに言う。

「静かにしてて正解だったろ?」

「これは一体どういう……?」

「彼らを助けるという作戦だった」

 体格のいい騎士団員が言った。

「この人には我々の雰囲気からか、見破られていたようだが」

 体格のいい騎士団員が、ゼスの爪先を踏んだ患者を見てそう言った。

「他に二つのチームに分かれ作戦を実行した。二十名近い人数を助けられたようだが、彼らは後からついてきてる。……そっちの女性はあんたとは顔なじみのはずだ。ふふふ……」

 体格のいい騎士団員は笑いながら、

「脱走のためとはいえ意地悪だねえ……」 

 ゼスの後ろにいた金髪の女性が防護マスクを取り外すと、

「こういうことだ、ゼス殿」

 その人物は金髪に碧眼の女性、ロシリーだった。


 その後、トラックはゲノフタワーの一角を離れ、地下の駐車場で停車し、感染者たちは続々と降りて行った。

 ゼスとロシリーは、二人きりになり地下通路を歩いていく。地下施設を改装したとされる場所のようだ。その片鱗が垣間見られたのは、扉に入ってすぐだった。

 天井にはいくつもの電灯があり、全て点いているわけではなく、仄かに明るかった。そこにはかつて栄えていたであろう出店の跡がそこかしこに見られた。

 食品棚と思われるガラスケースが、そのまま残っていたり破損したりしながら存在し、その領域から離れた場所には、また扉があった。その中に入って、ロシリーはゼスが無事だったことに胸をなでおろしたようだった。

「ゼス殿が無事でよかった……」

「ありがとうございました。ロシリー殿……」

「狭い部屋だが、よかったらそこへ腰かけてくれ」

 ロシリーが促した場所は、奥のベッドだった。

 そっとそこに腰かけるゼス。ロシリーはベッドの前にある机の椅子に座った。

 ゼスはふと室内を見回す。ベッドに座るゼスから見て、入り口近くに本棚があった。本棚には希少となった紙の本が陳列され、その横にはクローゼットがあった。

「助けていただいたことは感謝いたしますが、しかし処刑? ゲノフは裏で感染者たちを殺していたのですか?」

「そうだ」ロシリーははっきりと言い、

「ゼス殿の耳には入らなかったようだが……。ごく一部の騎士団員は、感染者を銃殺し処分していた。にわかに信じがたいかもしれんがこれがゲノフの実態なのだ」

「そんな……」

 呆然と虚を見つめるゼスだった。

「今は飲み込み切れんかもしれんが、私も以前からゼス殿に話しておきたいことがあった。詳しくは後で話す」

 ロシリーは言うが、ゼスは唖然としたままだ。

「大丈夫か、ゼス殿……」

 ロシリーが顔を覗き込ませてきても、ゼスは無反応だった。

 ゼスの心中では、ラタンや他の聖典を担う者たちとのこれまでの思い出が繰り返されていた。

 まさか、という言葉しか思い浮かばない。これまで自分が目にしてきたものが虚構であり、自分が騙されてきたのかと思うと、言葉を失うほかない。しかしそれでも――。

「い、今はまだ、ロシリー殿の言っていることは信じきれません。例え信じきれたとして、それでは私の今まで信じてきたこととは何だったのか……」

 小さくかぶりを振り、顔を手で覆うゼスだった。

「無理もない……。しかしいずれもっと信じがたいものを知ることになるかもしれん。それまで心の準備をしておいてくれ……」

 ――それにしても……。

 ゼスが先刻から抱いている違和感は、ゲノフの実態のみではない。ここまで誰一人と犠牲もなく逃亡できたことに一抹の不安があった。ゼスは顔を覆っていた手を外し、

「よくここまで逃げてこられましたな。ゲノフの警備体制はそれほどまで軟弱なのですか?」

「騎士団の奴らも私たちを意図的に逃がしたようだ」

「意図的に?」

 元々、ゲノフ騎士団に所属していたロシリーが、そこで常日頃から装着している紺色の防護服を着て侵入できたのは容易だったのかもしれない。だが、捕まるというリスクも想定するのも当然のことで、何とか病棟を出られたのはよかったにしろ、追跡や応援が来て、多勢に無勢となることも十分考えられた。しかしそれでもあそこから逃げ出すことに成功したのも、ロシリーなりの分析で、ギースが意図的に逃がしたのではないかという結論だったようだ。

「ギースに何らかの思惑があったのだろう」

 怪物化する自分を色々調べるのではなく見逃す――。そこに何の利点があるというのか。

 思惑、とロシリーの言葉に一瞬ゼスは考えて、捕縛されるリスクを念頭に入れながらも、自分や他の感染者を助け出した、ということはロシリーたちの行動にも何か意図するべきことがあったのではと、疑問を抱く。


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