第二章 チームメイト⑨

 ゲノフタワー前に、ゼスとロシリーを乗せたバイクは到着した。

 雨脚が強まってきている気もする。

 降りしきる雨の向こうに、一体の黒い影が蠢いていた。

 生やした二本の角は前面に捻れ出ており、突き出た鼻とその下へと伸びる牙。側面についた鋭い目からして、猪のように見える。体皮には虎のような縞模様があり、猪のそれよりも俊敏さを窺わせる。

 バイクを道の隅に乗り捨て、広場まで駆けつけた。

 すでにミリとメルアが応戦していた。白い拳銃を手にしたミリと、剣を振り回すメルア。

 ――神よ。どうかこの者らをお救いください。無理かもしれませんし、私の願いなんて知ったこっちゃねえと思うかもしれませんが。ま、別にそれでもいいんですけどね。なるようにしかなりませんから。でも、私はあなたを信じます。ええ信じますとも。例え神に見捨てられても、私が神となり、彼女らを救って見せます。極論はこれなんですけどね。だから何とかしてみて。私も何とかするんで。

 ミリの撃った光弾が、猪の体に着弾し、猪は雄叫びを上げる。

 ニューエイジ専用の光の力を元に射撃が可能となるライトガンは、発射する者の力の込め具合により、連射や威力の大きさなどを調整できるが、最大出力をもってしても、ゼスのような聖典を担う者の威力に比べ、劣ると言われている。

 その隙にと背後へ回り込んでいたメルアの剣先が、怪物の胴を穿とうとする。しかし、虎のような胴部はするりとメルアの前を抜け頭部を向けると、その鼻先でメルアとミリを弾き飛ばす。

 まごまごしている騎士団員たちの何名かが、エントランスから斬りかかった。中には聖典を担う者もおり、銃口を猪へ向ける者もいたが、猪が頭部を突き出して突進してくると、三々五々後退していった。

 猪の頭部が、くるりとゼスとロシリーの方へ向けられた。

「他の連中、てんで役立たずではないか……」

 とゼスの声は震えていた。

「ゼス殿……」

 ロシリーはゼスに視線を向け、

「私が誘き出す。ゼス殿は聖典で……」

 無表情にそう述べ、腰にあった剣の柄を掴み、光る刀身を伸ばす。

 そうしてロシリーは怪物に立ち向かっていった。

 ゼスは腰にあった聖典を手にし、袖をまくると腕に嵌め込んだ。右手首が変形し銃の先を怪物に向ける。

 ――旦那、どうしやすかい?

 デザが尋ねてきた。

 ――ここでは怪物化は無理だ。物陰に隠れて変身しても、現状では敵前逃亡のようにみえてしまう……。

 腕の陽電子砲を頼りにするしかないようだ。

 ――あんな奴、あっしの力に任せてもらえばあっという間でさあ。

 ――黙ってろ。今はまだお前の出る幕じゃない。

 ロシリーは怪物の頭部の前で、剣の先を素早く左右に動かした。牽制を試みているのだろう。

 その太刀筋を掻い潜ろうとしているのか、猪の頭部も左右に動く。

 時々、顎を突き出して噛みつく仕草をするが、ロシリーは恐れる様も見せず、横に大きくステップを踏んでいく。

 そろりと、怪物は頭をロシリーの方へと向けて回り込む。

 聖典から陽電子の弾を発射しようと前方に銃を構えたままのゼスは、ロシリーが怪物の腹の裏側に回ったのを見届ける。

 これでは貫通した電光と共にロシリーを巻き添えにしてしまう。自分も動いた方がいいかと、横へ歩き始めるも、倒れていたミリとメルアが力を振り絞って起き上がり、怪物に近づこうとしていた。

 ロシリーが果たしてそれを見計らっていたのかはわからない。

 怪物の裏側から、体に光を伴いつつ高く跳躍したロシリーの姿をゼスは目にした。

 ミリが両手に白い拳銃を構え、数発発砲する。

 怪物の腹部に命中すると、血が辺りに舞い散り動きが鈍ったかのように見えた。

 その隙逃さずと、メルアは手にしていた剣先を怪物の縞模様の胴に突き刺した。

 返り血を浴びたメルアは、もう一度深く怪物の腹に突き刺した。怪物はそのまま地に横たわった。

 広場の奥にあるタワーのエントランス周辺に群がっていた他の騎士団員たちから、歓声が上がる。

 ミリとメルアと合流したゼスとロシリーも、活躍したニューエイジ二人を労った。

「すごいじゃないか二人とも!」

 ゼスが称える。横でロシリーも軽微に口角を上げていた。

「ミリもやればできるじゃないか!」

「瞑想続けてたからかな……えへへ」

 ゼスの一言にミリは照れ臭そうに頭に手をやった。

「……私は?」メルアが自分を指差し、誉められるのを促した。

「君だってすごいじゃないか!」

 血だらけになったメルアの頭部に、ゼスはポケットにしまっていたハンカチを当てるとメルアはそれを受け取り、自分で拭き始めた。

「洗って返すわね」メルアが顔に付着した血を拭きながら言った。

 時間の許す限り褒め称えようと思っていたゼスだった。

 ところが――。

 極度な衝撃と腹部に冷たさを感じ、それが加えられた方向に、ゼスは目を向けた。

 倒したはずの猪にまだ息があったのだ。

 猪の角の片方が、ゼスの腹を背後から貫く。

 血を吐き出すゼス。猪は頭部を荒々しく揺らし、ゼスを振り落とす。

 雨に濡れた広場の床を滑りながら転がり、ゼスは俯せになったまま動かなくなった。

 呆気に取られるロシリーたち三人と、エントランス前の騎士たち。

 激しい雨音が響く中、ゲノフタワー前の景色が白く霞む。

 ロシリーたち三人は一度後方へ飛び退いた。

 猪の怪物は呼吸をあらげ死に際にも見える。

 動きの鈍さはあれど、猪の大きな体躯と、昂ったかのように血走る目、そして頭から手前に伸びる血に染まった角が、ロシリーを怖じ気づかせる。

 ――ゼス殿……。くそっ、なんということだ……。

 判断に戸惑っている場合ではない。ロシリーの青い目は、力を込めて怪物を睨み付けてはいるが、気持ちにいたっては後ずさりしていた。

 ――落ち着け。こんなときこそ“光”を見つけるのだ……。

 ロシリーは瞼を閉じた。

 視界は闇に包まれ、怪物の荒い息遣いしか聞こえてこない。

 ――光を……。

 心で念じる。そして仲間の名を呼ぶ。

 ……ミリ、メルア、聞こえるか?……

 ニューエイジの特徴である、心の通念だ。こうした超人的な能力を駆使し、敵を退けるのが、光の力の本領だった。

 光の力はニューエイジのみならず、あらゆる世代が持つ力と言われている。ただ、他の世代よりも、より敏感に察知し、繊細に操れるのがニューエイジだった。

 ミリとメルアの声が、ロシリーの胸の奥に波紋を広げたようだった。

 ――ゼスの仇を……。

 ミリの声だ。次いで聞こえてきたのはメルアの声だった。

 ――速やかに退治し、ゼスくんを助けるのよ……。

 そうした彼女たちの諸々の思いに、ロシリーも大いに賛同した。

 自分たちに出来ることと言えば、光の力を扱うことのみ……。

 ロシリーの暗い視界に、二つの明かりが点っている。ミリとメルアの光だ。

 ロシリーの体が目映く光り始める。ミリとメルアの体も同じように発光しだした。

 その光から一筋の光が帯び、三角椎を描いて三人を繋いだ。

 猪の咆哮がロシリーの耳に届く。

 飛びかかろうとした猪に、三角椎の光る面が壁となって塞いだ。

 手負いの怪物だからこそ、獰猛さは健在と言えようか。

 しかし、ロシリーは怖じ気づくことなく、三角椎の光はその輝きを増していき、一気に狭まったかと思うと、怪物もろとも爆発した。

 イノシシは炎を上げた肉塊と化していた。


 ――旦那、それはいけやせん。

 ゼスの脳内では、デザがゼスの行おうとしていることに意見していた。

 ――何としてでも、助け出さなければ……。

 意識が朦朧とする中、ゼスの強かな意思は、デザに反して怪物化を試みようとしている。

 ――旦那、さっき変身は無理だっておっしゃったじゃないですか?

 ――助け出すんだ……。ロシリー殿たちを……。

 ――旦那、いけやせんて……!


 ロシリーは、再び驚愕することになった。

 イノシシを仕留めたばかりだというに、もう一体の怪物が姿を現した。

 ミリが怯えた口調で言った。

「剣の怪物……!」

 ロシリーは黙って様子を見計らう。

 ――どうする気だ……。それにしたって突然すぎる……!

 剣の怪物の腹部から血が出ている。イノシシにやられたのか、とロシリーは一瞬思ったのだが、今度はゼスの姿が見当たらない。

 ゼスと同じ部位を怪我した剣の怪物……。

 ――まさかゼス殿が⁉

 目を丸くするロシリーを横目に剣の怪物はおもむろに近づき、燃え盛るイノシシの肉を手でもぎ取り、食べ始めた。するとみるみる剣の怪物の腹部が治っていった。

 足から崩れ落ちる剣の怪物。その姿が徐々に変容していき……。

 ――ゼス殿……!

 剣の怪物がゼスの姿に変わっていく。

 呆然と立ち尽くすことしかできない、ロシリーとミリ、メルア。

 そうしている間に、ラタンから指示が出、剣の怪物は捕獲されてしまい、ゼスは医療施設へと収容されるのだった。

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