第二章 チームメイト⑦

 夕刻を迎えたゲノフタワー一帯。

 今日は幸いにも、怪物も現れず事件もほとんど起こらなかった。

 巡回を終え、シャワーを浴びたあと、ゼスはマルニアの元を訪れた。

 日中、三人で行ったことを話し、マルニアはふうん、と凡庸な返事をする。

「てめえにしちゃあ、上出来だな」

「自分でも不明瞭なことを伝えるというのは、なかなかスリルがあるな……」

「そりゃあたしにだってあるぜ? 聖典に書かれていることを覚えられても、ほんとに自分の中に信仰心なんてものがあるのか、なんて考えちまうことの方が多い」

「そういうものなんだな」

 マルニアもニューエイジの一人だ。メルアの言っていたことも話すと、得心がいったように顎を引いていた。

「完璧な人間なんていねえよ。歴史を振り返りゃ、不完全なことこの上ねえじゃねえか。ま、上にいる神はほんと神らしくしてるがな」

「完全な神ということか?」

「神と崇められるユージュアルヒューマンも本来は人間によって造られたんだ。神を造るとき製作者は人間の見目形を模倣した。そんな作成者である生身の人間に、ユージュアルヒューマン側も憧れてたんじゃねえか? にしちゃあ、先の大戦だ。敬っていたかもしれねえ人間に裏切られ、それを罰し、その罪をしつこく咎めず生かしてくださっている。怒りと憎しみはどこへ消えた? 限りはあるが生きることを与え、あたしのような人間もお造りになった。そんな行動力は完璧さを目指していたからこそ存在したんじゃねえか?」

「大戦を経験した私からすれば、慈愛だけではなかったと思う。凄絶な戦いだったからな。光と影どちらも備えた人間に近い存在でもあるような気もする……」

「そんな微妙な未熟さも、ある種の完璧さなのかもしれねえ」

「微妙な完璧さか……。それは一体何だというんだ?」

「何だって何だ?」

「四人のユージュアルヒューマン、それが全知全能の神であったとして、新しい人類の始まりであるとされる君たちニューエイジ……。微妙な完璧さをそこに見出してしまうと、何をしたかったのかよくわからなくなってしまうな」

「まあ、な。さっき言ってた、自分のことがよくわからんていう話にも繋がる気がする。たいした病気もなく、空腹を満たせる環境や、幸せを得るための自分の行動力があるなら、それでいいような気もするけどな」

 少々こぢんまりした部屋でマルニアと話していた。そこへ、扉がノックされ老婆が顔を出した。

「どうかされましたか?」

 マルニアの態度が豹変した。嬉々として笑みをこぼし老婆の相手をする。

 老婆が小声でトイレ……と言った。

「ああ、トイレですね。お連れしますよ」

 一旦扉を閉め、ゼスに顔を向けた。

「ちょっと待ってろ」

 閉められた扉の向こうで、老婆に甲斐甲斐しく世話をするマルニアの声が響く。

 まだ教会は開いている時間帯だった。入ってきた当初、マルニアの姿は見えなかったが、礼拝堂の椅子にちらほらと腰かけている高齢者を見かけた。独り身となった老人たちが、寂しさを紛らわすために来訪することもあるのだろう。

 マルニアに顔を出したのは、聖職者としての彼女に、昼間自分が施した善行があれでよかったのか尋ねたかったからだが、あまり長居はできなさそうだ。

 扉から出ようとしたところ、そこで戻ってきたマルニアにパンチを食らった。

「ごふっ!」腹を押さえるゼス。

 すれ違い様マルニアはこう言った。

「もう帰るのか?」

「そうだが、何で殴った……」

「作用と反作用って奴だ」

「な、なんだそれ……」

 腹部を押さえ、痛みに喘ぐゼスだった。


 メルアの尾行は、まだ止めたわけではなかった。

 夜の闇に光を点す、ゲノフタワー。そのエントランスに今宵もメルアの姿があった。

 自動ドアから出てきた彼女を徒歩で追跡する。

 ゴーグルの視界調整により、暗がりの中でもメルアを捕捉できる。ゴーグルは点灯でやや目立つため、フードを目の辺りまで深く被る。

 先日は、メルアの十分な信仰心を確かめられた。今夜も、彼女がもし似たような行動に移ったとして、どのような結果に至るのかを見極めようと、ラタンからの命もあって多少義務的に行おうとしたのである。

 道順は変わっていない。大きく十字を描く、交差点を西の方へ進み、脇道に反れて団地へと向かう。 階段を登って、食料を届けた様子のメルアが階段を降りてくるまでを、団地の向かいの茂みで眺めていた。

 次はどこへ行くのだろう、と見ていると、メルアは急に頭を左右に動かし落ち着きのない所作で歩き出した。

 向かった先は同じマンションの別の部屋だった。そこでも彼女は階段を上がって食料を配り、再び降りてきた。

 この団地に同じ宗教をやっている信者がいるということだろうか。

 戦争を経て、ユージュアルヒューマンが世界を牛耳るようになってからも、信仰の自由はあった。

 神を崇めず自由奔放に生きる者もいれば、太古の経典などを独自の解釈で説いた、各々の宗派も乱立していたが、特に信者が多いとされているのはやはりクラウドキャッスルの神を拝む宗派だった。 神の御使いと名乗るメルアからして、多分、その宗派で間違いないはずだ。それはゲノフと直接的な繋がりをもつということでもあるので、教義を疑うこともないだろう。だが、上司であるラタンが怪しんだのは、メルアが反ゲノフ団体の一員であるかどうかだ。それは街中に根城を持ち、日々暴動を起こそうと画策する連中のことでもあるので、慎重に尾行を続けなければならない。

 ――だが、そうであっても、すでに疑う要因となるものはないように思えるのだが……。

 充足的な証拠というものもなく、メルアの行方を更に追い続けた。すると団地から離れ、再び高層ビルの立ち並ぶ区画に出た。

 しばし歩くと、メルアは地下へと続く階段を降りていった。以前、バーがあったような場所だと見受けられる。

 ――不審な場所に思えるが……。

 メルアの降りていった先へ、そのまま進むのをゼスは躊躇した。

 もしこの階段を降り敵に囲まれたりなどしたら、逃げようもない窮屈な場所のように思える。逃げ道もこの階段だけだとしたら、追跡は控えた方がよさそうだ。

 踵を返そうとしたその時――。

「ゼス殿……」

 目の先にフードを目深に被った女性がいた。女性と気づいたのは声域が高めで、少したくましさもあった声音だったからだが、女性が何者か、声からしてその正体もわかってしまった。

「これは……ロシリー殿……」

 咄嗟にゴーグルを額の上へ移動させる。

「このような場所で何を?」と言いながらフードを外した相手はやはり金髪姿のロシリーだった。

「いえ……。その……何と言いますか……」 弁解に及ぼうとする最中、階段から上がってくる足音がした。メルアだった。

「ゼスくん……!」と彼女は目を丸くし、

「こんなところで何を?」

「それはこちらの台詞だ。君こそここで何をやっている?」

「ちょっとした宗教活動よ」

「宗教活動?」

「ええ。独り身の高齢者とか、母子家庭のところとかに、食料をね」

「ロシリー殿も?」

「私は今日が休暇の最後でな。旅先から戻ってきて、寮に向かう途中、ゼス殿の後ろ姿を見て、気になったのだ」

 あ、そ、そうか……。と、言葉を濁し、自分が何をしていたかの弁明を用意しなければならなくなったことで、徐々に体が汗ばんできた。

「私は夜風に当たろうとぶらついていました。そこでメルアの健気な姿を見かけましてね……。そのいじらしさに思わず足がついていってしまいまして……」

 これでは、メルアの信仰心を邪魔しているような言い方に聞こえてしまう。ゼスは合掌し、陳謝した。

「も、申し訳ない。邪魔するつもりはなかったんだ……」


 二人の訝しげな視線から脱出し、何とかゲノフタワーまで帰ってきた。

 早速、ラタンの部屋にまで行き、結果を報告した。

「とすると、メルアが入っていったという地下に何があるのか、という話になるわけだが……」

 ラタンは口の前に手を交わらせていた。

「今後、そこに私が潜入するという形で?」

「二人に見られてしまったのなら、これ以上君に役立ってもらうのは無理のようだな……」

 尾行が失敗してしまったことに、多少、力不足な感も否めなかったが、メルアが無実であるという主張もしておかなければと思い、

「メルアは深い信仰心を持っているようです。この目で確かめました……。私からすれば彼女は無実です」

「君ならそう言うと思っていた。引き受けたのも、メルアが潔白であることを見届けたかったからだろうが……」

 ラタンは黒い椅子の背もたれに寄りかかり、

「あとはこちらで確認する。ご苦労だった……」

 問題はメルアが入ろうとしていた地下に何があるかということだ。潔白といっても、その証拠さえ揃ってはいない。仲間を庇うための方便としてしか、ラタンには伝わっていないようだった。

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