第二章 チームメイト⑤

「今のところ、ほぼ異常なし……」

 自動運転車輌の右側の座席で、ゼスは一言呟いた。

 翌日の昼過ぎ、ゼスとミリは街の巡回を行っていた。

 白いシートに座りながら、視線は車内全体に映る外の景色――主に前方だが――へと注がれる。左右の窓とフロントガラス、そしてリアガラスとの隔てがなく、天板についた三六〇度のカメラによって車内に映し出される画像はまさに死角がないため、視線を手前に固定せず、ハンドルを握ることもなく周囲を見渡せる。 車内全体に外の映像を映し出すこの機能は、小型のドローンを飛ばすよりも安全性は少ないが、ドローンの操作を乗っ取られる事件も多発したため、車輌による巡回が通常となった。

 巡回を始めてから三十分は経過しただろうか。ゼスの呟きに、左側に座るミリはこう述べた。

「平和なのが一番だねえ」

「とは言っても、あと一時間は廻るからな。油断は禁物だ……」

 巡回する者の装備としては、普段の任務と変わらず、ゼスは黒い防弾ローブと、ミリは濃紺のスーツを纏っているだけだった。だが、ミリの視線を横で感じている限り、ゼスの首にあるテーピングに意識が傾いているようだった。

「首怪我したの?」

「この間の怪物との戦闘のとき、ちょっとな」

 ふうん、と、とりあえず納得している様子だった。すかさずゼスは話題を変えた。 

「神の選定とは言え……」ゼスが心境を述べ始めるも、不自然だったように感じたがそれでも気にせず話し始める。「ゲノフで働くようになってからの六ヶ月間、ほとんど住人たちの素行に振り回されっぱなしだった。元々住んでいる住人たちの一部が、町の治安を悪化させているのには、首を傾げたくなる」

「ゲノフのやってることを見れば、住民たちのお怒りもごもっともだよ」

 発信器を体内に埋め込んだり、武力で抑えつけたり、食料制限、一部の娯楽の規制……、ミリの言うとおり、穏やかでないのはお互いに言えることで、ゼスは小さく頷いた。

「まあ、それもそうか」

「ゼスは感じない? いくら治安維持のためとはいえ、人を抑圧することってほんとにいい方法なのかなって」

 自動運転式の車輌には、事前に巡回のコースを設定してある。こうして二人だけで街を見回るのは、ある種のデートといっても間違いではないかもしれないが、ミリの話す内容は、恋人同士の逢瀬とは少々趣が異なる。

「それは以前、ロシリー殿も言っていたな。私としては、ロシリーと言う人は、だからあんな感情を押し殺したような顔をしているのかと思ってしまった」

「ロシリーも言ってたんだね」

 車輌は、街の中を走行する。デートに近いシチュエーションでも、時に暴徒側は過剰とも言える攻撃をしかけてくる。緊張感は抱かなければならない。

「同じ人間といっても、こうも立場や環境が異なるのは、私も首を傾げたくなる。本来なら元々住んでいる住人の方が、もっといい待遇を受けてもいいはずだ」

「差がはっきり出てるもんね」

 ミリが言う傍ら、朽ちたビル群の横を通りすぎていく。

 地面はひび割れ、ビルの中には傾いているものや、窓ガラスが割れ、カーテンが外に垂れ下がっていたり、それが風に吹かれていたりする。

 ゼスは続けてこう話した。

「粗暴な連中が多いとはいえ、我々の役目の一つは彼らの生活を守ることでもある。仕事を与えるのだってそうだ。街の水回りや、廃墟の改築、修繕などの仕事を彼らにやってもらうのも重要なことだからな」

「でもそうしたインフラはウイルスによる被害拡大を恐れて、中断してるんだったよね」

「暇を誤魔化すくらいの仕事しかないと聞く。共同で使う住宅地の清掃や散らばった瓦礫の片付けなどがそうだ。住人たちの利益となるものはあの固形の食料や飲み物くらいだ」

「住むところもオンボロビルだし。アタシ、騎士団の仕事でよかったなって時々思うこともある……」

「上は上で、何かしら縛りはあるだろう。そこにはそこの掟があるに違いない。下は下で君も見てきただろうが、しがらみがある。環境的にも良好とは言いがたい。……だが、そうした中でも必死に暮らす人もいる」

 そうだね、とミリは言った。どこか萎れたような言い方に、ゼスはミリの方を見つめた。

「どうした、あまり元気無さそうだな?」

「いや、何て言うか……」

 ミリはいつになく消沈した面持ちだった。

「何か悩んでいるのか?」

 ミリはふう、と嘆息を一つつくと、「最近、少し悩んでてさ。メルアにもよく話すんだけど。クラウドキャッスルから送られてきて、騎士団で働くことになって、アタシほんとにこの仕事向いてるのかなあって思って」

「入団してから何年だ?」

「二年くらいかな」

「君も十分活躍してると思うんだが」

「変に元気づけないでよ……」

「何についての悩みなんだ?」

「昨日のことと同じなんだけど……。ここ最近、モンスター化する事件が多くなってきてるじゃない? 先日の剣の怪物も謎が多くて、ラタン部長も発見次第確保しろって言ってたんだけど……」

 ゼスが化けた剣の怪物は、騎士団内でも捜査隊が編成されるほどの存在になっていた。珍しい姿と、デモ隊との衝突中に突如現れ、怪物二匹をあっという間に討ち果たし、去っていたあの怪物に、ゲノフも目を付けないはずはなかった。ギース統轄長からの指示が、ラタン団長にまで降り、騎士団で専門のチームが組まれ、今もこうしてゼスたちが巡回している最中、別の場所で捜査しているとのことだった。

 それに対して、ゼス自身が注目されることはなく、ゼスとしてもいくらか肩身の狭い思いと罪悪感がある中、こうしていつもの仕事に勤めることができていた。

 ――あっしらのこと、気になるんでやすかい?

 デザから話しかけられた。ミリの話す内容から、ゼスの脳内に様々な思考が浮かび、それにウイルスが反応したようだ。ゼスはその声掛けにあまり意識を向けず、ミリの話を聞いていた。

「死んじゃった二匹のあの怪物たちも、誰かが犠牲になってるって思うと、どうしたらいいのかわからなくて……。目の前で人があんな風になるなんてさ。ショックも大きいし、いくら光の力を扱えても、気持ちの方はついていけてないっていうか……」

 そういうことか……。とゼスは胸中で呟き、

「確かに私も、怪物化した人の相手をするのには辟易している。訓練のマニュアルも今のところ皆無だしな……」

 自分のことは棚に上げ、心配するミリをフォローしようとする自分……。ゼスはそんな自分に矛盾を抱いていた。

 ――旦那、こりゃまた偉いべっぴんさんと二人きりだなんて、意外とやりやすね。

 ――病原菌、いいからお前はすっこんでいろ。ミリとの会話中に変なことを口走ったら、恥をかいてしまうだろう?

 ――へへへ……、いいじゃありやせんか。思い切ってこの胸揉んでみましょうや。

「馬鹿なことを言うんじゃない!」

 デザにからかわれ、ゼスは唐突に声を張り上げた。

 横にいたミリは、ゼスに見入っている様子で、

「いきなり何? アタシ変なこと言った?」

「い、いや……すまない」とゼスは慌てて謝罪し、

「変なことを言ったのは私の方だ。最近、ラタン団長に軽いパワハラを受けていてな。その時の記憶が頭をよぎるのだ。理不尽なラタン団長のやり方に、私も若干混乱していてね。大声を上げたのは、自分の頭の中のラタン団長の記憶と現実とがだぶってだな……」

 ふうん、とミリは前方に視線を移し、

「何事かと思ったよ」

「すまなかった」

「ラタン団長にパワハラね……。ま、あえて深堀しないで、今の大声の分はチャラにしてあげる」

 ミリのその取り引きは、ゼスの嘘と上手く釣り合う気がした。冷たい応対にも見えるが、その方が誤って怒鳴ってしまったゼスには好都合だった。

 ――へへへ……。変なおじさんに見えてるんすかねえ。この娘の中じゃ。

 ――黙ってろ、ったく、クソ病原菌めが……!

 コホンと咳払いつつ、その所作もミリにはどう映ったかわからないが、ゼスは続ける。

「私としても堂々と戦えていながら、人の命を尊重しないゲノフの指示に、ただ従うというのもどうなんだろうなと思うときがある」

「ゼスもそう思うんだ……」

 ミリは小さめな声でそう言った。

 ニューエイジである彼女たちが、内側に宿した光の力――。それは太古の人類から語り継がれてきた、スピリチュアルな力のことでもあった。

 遺伝子操作をされてはいるが、神の教えによると、人間にはまだ不確かで神秘的な能力を保有しているという。

 遥か昔の人類は、人の胸の奥に神や仏という存在があるとされ信仰対象としてきた。昨今、その神がかり的なものが光の力として見出だされていた。

 なぜ、戦争終結からこのような能力をニューエイジの人々に保たせたかは不明だが、神は人類の新たな起点となるきっかけを作ろうとしているのではないか、というのが仲間内での噂だった。そこを軸として、人類の新たな発展と栄光を築き上げていくというものだ。

 一方で、神が自身の神格的な立場を強調するために人間を下に見立て、操るという目論見で、手を加えたのではという噂もあった。

 ゼスはミリの悩みを聞きながら、彼女も持っているはずであろう光の力という神々しい力は、どこへ行ってしまったのか、少しだけ不思議に思いつつ、それはきっと彼女たちも普通の人間と違いはないのでは、とも思っていた。

「不条理というか、現実の荒波というか……。私もそれを感じる時がある」

「できれば、アタシここを辞めてクラウドキャッスルで仕事探したいんだよね……。でもアタシなんかが何の役に立つのか見えてこないってのもあるんだ」

「一つ一つ、目の前の課題をクリアしていくしかないんじゃないか?」

「一つ一つ?」

「君の場合、現状に満足していないのであれば、クラウドキャッスルのメンタル専門の病院に通うとか……。または、怪物とがっつり戦いたいのであれば、負けて命を落とさないよう、自身を鍛え上げてみるというのはどうだろう?」

「でもアタシ、トロいからなあ……。一人で孤独に鍛えるのもちょっと周りの目とか気になったりして……」ミリは苦笑した。

「気にしなければいい。と言っても難しいのであれば、私が特訓に付き合うが?」

「やった……」とゼスはミリがそんな言葉を囁いたように聞こえた。

 ミリにそう申し出たものの、ゼスは彼女の返事を聞く前に、目前の仕事を果たそうと、車内を囲う映像に視線を戻し、異常がないか首を回す。

 最中、ミリは小声で言った。

「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな……」

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