第二章 チームメイト③
ゲノフタワー地下一階、研究室――。
エレベーターで降り、パイプが剥き出しになった通路を行くとすぐに研究室の扉が見えてくる。
ノックして扉を開けると、研究員が数人いるのを見かけた。様々な計器やモニターの置かれたいくつもの机の奥に、鳥の巣のような頭をしたレックスがいた。
失礼、とゼスが一言述べ入室する。扉の音に気づいたレックスは、モニターの影からゼスを見つけ、手を挙げた。
「ぷっくっくっく……。こんな場所に聖典を担うお方が現れるとは……」
顔を歪ませて肩を揺らすレックス。
無地の地味な色をしたシャツを着て、下はスラックス。白衣を纏い、ゼスを自分の席の横に招いた。
「突然だが……」ゼスは話し始めた。
「例のモンスターウィルス、何とかならないか?」
と、ここ最近の惨状を伝えた。爆発的な感染拡大には陥ってないものの、つい先ほども二人の恋人が命を落とした、などということを話し終えると、
「今すぐどうこうってのは無理だよ」
「聖典を担う者としては、なかなかに辛い任務なんだがな……」
「現状、光の力か、メカエイジの陽電子砲か、ライトガンしか手がないんじゃ、仕方ないんじゃないかい?」
レックスはキーボードを打つ手を止め、
「……このウイルスは少々厄介らしいことを、研究者から又聞きで知ってね。通常、ウイルスに感染すると、宿主の細胞に含まれたたんぱく質などを利用し、増殖していく。その最中、『細胞変性効果』という現象によって、人間の見た目を形態的に変化させるものもある。例えば水疱ができたりなどの目に見える症状などがそうだ。このウイルスはその過程で、人体を怪物化させるよう、宿主の細胞を変化させる。細胞を乗っ取り、増殖するその勢いは、君も見たことがあるだろうが、ほんの一瞬だ。潜伏期間の途上、宿主の細胞を時間をかけて書き換えたあと、爆発的に細胞分裂を促す。そうしてあの怪物の姿になるってことさ」
「普通に考えてあり得ない現象だな……」
「ま、いわば魔法のようなものさ。物質の変換を数秒で行うというのは魔法のそれに値する」
「魔法か……」
遠くを見つめるゼス。この場所に来て、何か解決策があれば、次回の任務に当たった際、心の支えになる。しかし、現実の厳しさを突きつけられた。いつもそうだ。現実の荒々しさは人の夢や命そのものを奪う。
「対抗策としてはあるのか?」
「薬品が開発され、月一の予防接種や、簡易検査で何とか踏ん張ってはいる状況みたいだな。とはいえ、副作用の酷さとの戦いである入院は何とかしなくちゃいけないからね。さらなる調査、研究を続けている状況さ。的確な処置としては何とも言えんが、自分がならないために、手洗いやうがいの励行、マスクの着用をお勧めするよ」
「……そんなものもうとっくにやっているだろう。ゲノフも定期的にケージ内の放送で、住民に呼びかけているし……」
しかしそうした住民への呼び掛けは、粗暴な行動を起こすことの多い彼らに上手く伝わっていくかはわからない。
対策案は浮かんでも、さらなる課題が浮上してきたことに、ゼスは渋面を浮かべていた。
「襟巻なんかして、寒いのかい?」
レックスから問いかけがあった。ゼスは平常心を保って、
「風邪気味でね。少し寒気が……」
あまり触れてほしくない事柄だったため、ゼスは話題を変えてみた。
「それにしても……。手洗い、うがいか……。ゲノフの人間や住民たちにも広く知れ渡っている決まり事だろう」
「元々、細菌などの研究はお門違いでね。完全に元を断つには、クラウドキャッスルまで行って、話し合わなくてはならない。僕のところへ来ても、たいした策は浮かばんだろうよ。加え、上の方で議題にあがったとしても、時間のかかる問題さ」
それを聞き、ここまで赴いたことが徒労に終わったことを思い知らされた。
退室しようと、椅子から立ち上がる。レックスが後ろから独特のある笑い声を響かせ、
「ぷっくっくっく……。まあ、まだ恵まれているほうさ、君の立場は……。住人たちのような暮らしの方がまだ不運で、不幸な境遇だよ」
――何も不思議に思わないのか?
研究室を出たゼスは、エレベーターに乗りながらウイルスにそう話しかけた。頭で思ったことと、ウイルスへ伝えるという意識を込めて、脳内で話しかけると普通に伝わるようだ。ウイルスは何も他に思うところがないといった感じで、
――何もありやせん。むしろあっしらをやっつけるって考え方は、自然の成り立ちから言っても当然でしょう。人間の縄張りに侵入して、人間そのものの命を奪うってんなら、ほか多くの生物と同様、抵抗するのが常でやす。
――聞き分けがいいというか、都合よく納得してくれるんだな。
――飯を食わせてもらってる身でやすからね。無暗に人間様の生活を脅かせば、あっしらの食い扶持もなくなるってもんでさあ。
――お前たちとは違って、他の仲間はもしかしたら退治させられてるかもしれないぞ?
――それは人間様も同じでありやしょう。貧富の差や、人間同士争って死んでるってのも常にあることでやす。
このウイルスは、生き物としての人間を自分たちと同じように見ているのだろうか。体内に住み着いても、殺されるか追い出されるかするのは、どの生物にもいえることだと、話している内容からそう解釈できる。
ウイルスの方がよっぽどわきまえている気がするのは気のせいか。
ゼスはそのまま歩いて、エレベーターに乗った。
ミリ、メルアたちの班は、その他同じ班のメンバーと食料の支給に勤めていた。
大きな交差点を境に、四区画にわけられた都市内の一区画を担当することになっている。一週間に一度の食料の配給は、区画に住む人々へ固形の食物を手渡ししつつ、月に一度の頻度でモンスターウイルスの検査、予防接種も同時に行われる。本日の配給は、ちょうど検査と予防接種の日と重なっていた。
「前よりも少なくなったんじゃないかい?」
中年女性から、強めの指摘があった。すでに並んでいた列の最後の方にまで来ていたが、ミリは可愛げをたっぷり含めた笑みを見せながら、
「そのようなことはないですよ……。以前は月に一回だった支給を一週間に一回という頻度にしてまして、そのため一回一回の量が小だしになったのだと思われます」
「ふん、どうせ余ったぶんはあんたらが食ってんだろ! 検査したって、怪物になる奴はいるんだからさ、どうせ始末される運命にあるなら、好き放題食わせてもらいたいもんだよ!」
夫婦なのか、横にいた壮年が割って入る。
「昔は牛や豚の肉なんてものも食えたんだ。脂の乗ったそりゃうまい食いもんだった。それがなんだ? こんな子供のおやつみたいなもん食わせやがって!」
捲し立てる二人の男女に、ミリは満足に説得する時間を作らず満面の笑み浮かべ、そんなことはありません、と食料の入った箱を渡した。
それでも愚痴をこぼす二人を尻目に、列の最後尾で座っている老人を見かけた。傍らには少年が一人いた。
もうろくしているのか、虚を見つめたままの老人は、立ち上がるのもままならないようで、夫婦の応対を溌剌とした笑みでし始めたメルアに任せ、ミリは老人に食物入りの箱を持っていった。
「お体動かせますか?」
「はあ?」
耳が遠いのか、聞き返す老人に少年が大声で言った。
「体動かせますかだって!」
「ああ……」
言って、ミリの手から箱を受け取る老人。すると、老人は小さな声で話しかけてきた。
「病原菌は、大丈夫ですかな……?」
その問いに一瞬考えたが、ミリは穏やかな口調で、
「お気になさらず、安心してお過ごしください……」
「今日は何人、連れてかれた?」
感染の症状である、頚部にできた痣を目印にゲノフの病院に連れ出された人数を聞いたようだ。ミリは老人の耳元で、十人です、と答えた。
「戻ってこないって聞いたんだが……。私の孫も連れていかれたまま戻ってこないんだ……」
「ここにいるよ」と側にいた少年が答える。
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