第一章 怪物退治④

 ――いつも機械のように無表情ではないですか……。

 言いかけたところで、喉の奥にしまいこんだ。

 ――それでも私は、あなたの中に激しい感情があるような気がしてならないのです……。

 エレベーターに乗っていた二人は、マスクを顎の下にずらし、ゴーグルを額へ上げていた。

 空気感染による怪物化は今のところ確認されておらず、タワー内ではマスクの着用は任意だった。

 ロシリーはいつも落ち着き払った言い方で、休憩中も笑声を聞いたことはない。ゼスはそんなロシリーを幾度か見てきて、めげずに彼女の胸の内を確かめてみようとした。

 任務について何を思うか。今の世界の情勢に苦言くらいはあったっていいだろう。民衆を守ることが仕事と言いながら、先刻のような結果を見たとき、自分たちのやっていることは本当に民衆のためになっているのか……。

 ――それらについて何を感じているのか。鉄面皮の裏側を、いつか覗いてみたいものだ……。

 ゲノフの統轄長の部屋の前で二人は立ち止まった。

 大きな扉をノックし、二人は扉を開けながらその部屋の境を潜った。

 扉の縁には除菌と殺菌の効果がある装置がはめ込まれていた。

 それを潜ると室内はいくらか暗かった。艶のあるタイルの床の上を進んでいくと、階段の上部にあるカーテンの奥に統轄長がおり、彼の声が部屋中に響き渡った。

「任務ご苦労であった」

 二人は敬服して、片膝を床につける。胸に手を添え、頭を垂れた。

「ギース統括長、突然お伺いして申し訳ございません」ロシリーが深く頭を下げた。

「直に話したいことがあるとのことだが……。それはいかようなことだ?」

 ゲノフ統轄長ギースの重たげな声色が、ゼスの肩にのし掛かるようだ。統轄長の声は部屋の上部にあるスピーカーから聞こえてきているようだった。自分たちの声が届いているのは、どこかにマイクでもあるのだろう。

 ゼスは一弾指だけギースを囲うカーテンを見やった。カーテンの前には透明な壁が光っていた。

 ギースの言う通り、直々にここへ赴くということは、通常滅多にない。ゼスたち騎士団にも責任者がおり、その人物を通して伝えるというのが常識だが、ロシリーからギースに直談判したいと言われ、当初ゼスも困惑した。それでもついてきてしまったのは、彼女とはペアを組み仕事をこなしてきた仲でもあるので、無下にすることはできなかったからだ。

 ロシリーは顔を上げ、ギースにこう伝えた。

「ここで働かせてもらい、いくらか年月が経ちます。食事と寝床を与えられ、なに不自由なく生活をしてこられたのは、ギース様のお陰です……。ですが……」

 何か言いかけ、一旦間ができた。そののち、ロシリーは口を開いた。

「今回のように小さな子供まで我々の手で殺めるとなると、どうにも耐えきれないものがあるのです……」

 傍らで聞きながら、ゼスは内心困惑していた。

 何を語ろうというのか。ただでさえ失礼極まりない振る舞いを、自分たちは行っている。ギースから大喝一声がないのは良かったにしろ、逆鱗に触れ、自身の進退を危ぶめることもあり得る。

 ギースはロシリーに向かってこう述べた。

「お前たちの仕事ぶりは聞いている。特にロシリー、お前の活躍は目に余るものがあるようだ。そんなお前が、私に直接言いたいことがあるとは何ごとだ?」

 ロシリーは一度息を吐き、床に目を向けた。そして意を決したように再び顔を上げると、

「今日限りで、騎士団を除隊させていただきたいのです……」

 床に目を向けていたゼスは、その言葉に瞠目した。咄嗟に横にいたロシリーに視線を投げる。

 ――除隊……。まさか……ロシリー殿が……?


 ギースとの面談を終えたゼスは、ロシリーとは別れ、一人、食堂へと向かっていた。

 ロシリーの申し出は、ゼスにしてみれば予想外のことだった。それはギースも同じだったようで、すぐには除隊手続きを行うことはできかね、来月までの返事待ちを言い渡された。

 隣にいたゼスは絶句しつつ、あの状態では、自分もロシリーの申し出を肯定する立場に見えてしまっているようで、だがそれでも、ロシリーの胸の内を垣間見れた気もした。

 ゼスにはロシリーの考えに完全には同意できないでいたため、複雑な心境だった。

 食堂の入り口には、扉の縁に熱を計測する機器が設置されていた。熱がある一定以上上がったまま、何度もこの機器を潜ると感染の疑いがあるとされ、病棟へ送られる。入り口の脇にある熱を表示する電版を見ると、ゼスはいつもと変わらず平熱だった。

 食堂へと視線を移す。トレイを持った人の列の終わりに、見慣れた顔が二つあった。

 その二人の女性はゼスに気付き、二人のうちの背丈の小さな人物が手を振った。

「おお」とゼスも手を振って返す。

 トレイを持ち、二人の後ろに並ぶと小柄な女性が話しかけてきた。

「任務お疲れ!」

 ゼスの顔を見上げるその女性は、ミリと言った。

 ピンク色の髪は短く、額の端から顔の両側に分けられている。茶色い大きな瞳はゼスへと向けられた愛嬌のある顔は、対面した者を幸せな気持ちにしてくれる。

「なんかひどい目に遭ったんだって?」

 どうやら先刻の出来事が早くも団員たちの間で広がっているようだ。多くの人間が働くこの施設では、日常でちょっとしたことがあるとすぐに噂として広まる。

 しかし、ゼスはミリの言い方が曖昧なことに気づいた。

 怪物を倒したことか、ロシリーの一件か、瞬時に答えるのは躊躇した。

「住民たちから罵声を浴びせられたと聞いたわよ?」

 ミリの横にいた、もう一人の女性――。

 背丈はミリよりも高く、ゼスと同じくらいか。小麦色の肌に、漆黒の髪は後ろで結われている。ゼス、ロシリー、ミリと同様、ゲノフに属する騎士団の一員である、メルアだ。黒く太めな眉は、目もとに強かさを秘めている。男よりも堂々とした所作は時折耳にする彼女の特徴の一つだ。

 ミリとメルアもロシリーと同じ、ニューエイジだった。

「ああ、まあそうなんですがね……」

「また敬語使ってるね。ここに来て半年は経つってのに……」ミリがゼスの返事の仕方を指摘する。

「わたしたちには遠慮しなくていいのよ?」

「そうか……?」とメルアの寛容な一言に、ゼスは軽く咳払いしつつ、着ていた黒いローブを手で軽く引っ張り居ずまいを正す。

「そう言ってもらうのはありがたいことだ……。だが、私はここに遅れてやって来た人間だからな。多くの先達に礼節をわきまえていたつもりなのだ」

「たいしたものね」メルアが頷きながら、

「ゼスくんの気遣いには感嘆したいところだけど……」

 メルアの言いかけた言葉に付け足すように、ミリが口を挟む。

「言ってるじゃん、同じ班になったんだから、あまり気を使うなって!」

 同じ班同士でも、巡回する地区は日毎に変わる。班の中でもパートナーが異なることもあるのだ。

 単にゼスの真面目な性格が招いた、些細な出来事のはずなのに、ミリはそれを否定するように語気を強めた。目許は笑みを浮かべていたようなので、怒っているわけではなさそうである。


「いやあ、こちらこそ気を使ってもらってる気がするんだが……」

 三人で席につくと、一枚の皿の上に置かれた今夜の食事に手を伸ばしつつ、ゼスはそう一言呟いた。

 食堂は閑散としていた。テーブルの上には感染防止用の透明の隔たりがあった。この時間、すでに夕食の時間帯は終わりに近づいてきており、それもゼスやミリたちが、定時を越えても巡回を行っていたからである。

 食事はゲノフ関係者も制限されていた。見た目、固形状の菓子にも見えなくはないその食ベ物は、用意した分口にしただけで満腹感を得られ、必要な栄養素が存分に含まれているという。

 半分機械であるゼスも、内蔵のほとんどは本物なので空腹感から三つほどあった固形物をすぐに平らげた。

 女性二人は食べている最中で、二人ともまだ一つしか食していない。

 ミリは、固形食の他に用意された栄養ドリンクを一口含むと、

「ま、お互い様ってことだよね。新入りって言ってももう半年は経つんだし。年齢的にもゼスの方が上じゃん?」

「いや、というより……」ゼスはそう言うと、前の席にいたメルアもゼスの話に耳を傾けたようで、ゼスの方へ視線を注いできた。

「新入りの私を選んでくれたのは、君たちではないか。私はそこに恩を感じている。同じチームであるロシリー殿にも無論感謝はしているし……。だからこそ敬意を表そうと……」

 ブー、とミリは口を尖らせた。不正解を告げるような独特な言動である。

「アタシたちへの感謝は、十分汲み取ってるって」

 そこでミリの咀嚼が止まった。

「まさかゼスがここで働き続ける理由ってそんな理由?」

「働き続ける……理由?」意図のわからない質問をされゼスは戸惑った。ミリはその様子を見て、慌てたように弁解した。

「いや、ごめん、アタシたちの間じゃゼスのゲノフで働き続ける理由ってなんなんだろうねってよく話題になるんだ」

 ミリの言葉に付け加えるようにメルアが口を挟む。

「ここで働く人って、以前はこの街の外から来た人たちでしょ? 元軍人だったり、科学者だったり……。神のすすめで働き口を決められちゃってるわけじゃない? この時代、働く人の動機なんてそんなものだけど、怪物や暴徒の相手をするって結構過酷な仕事だし。そんな場所でゼスが働き続ける理由があるとしたらそれはどんなものなのかなって……」

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