第18話

『今度会ったら、殴ってやる』

 とうとうあずみはそう思うようになっていた。そう思うことで、不安や心配を紛らわせているのは自分でも分かった。本当は、何事もない夏生の元気な顔を見られれば、それでよかった。

 それでも心がはちきれそうで、もう一時も耐えられないくらいになったころ、LINEが入った。

 『今実家。水曜戻る』

 水曜日は3日後だ。とりあえず、ほっとしたが、これは何か不幸があったに違いない。

 『わかった。よかったら電話してね。話聞くから』

 しかし予感通り、返信も電話もなかった。


 それからおよそ3カ月がたった。

 あずみはいつものように久美と学内のベンチでお昼を食べている。

 久美は真昼間だというのに大きなあくびを一つした。そして、

 「ねえ、あずみちゃん、社会学のノート貸してくんない?」

 「え、久美ちゃん、またさぼったの?」

 「一限は私にはきついって」

 「まったく」

 少し呆れたような表情をつくりながらも、あずみはバッグからノートをとり出した。

 「サンキュー。コピーしたら返すからね」

 入学したばかりのころは、自分が久美のような子と仲良くなるなんて、あずみは思ってもいなかった。久美はさっぱりした性格の都会っ子で、自分とは対照的だったが、それがいいほうに作用して、互いに気づかいのない関係をつくることができた。

 それに、あずみも大胆になっていた。久美が見たことのない服を着ていると、「あ、かわいい。それいくら?」と問いただす。久美は悪びれもせず、あずみからすると目の玉が飛び出るような値段を言う。でもあずみは今は平気だった。久美が、あずみの例の、花柄のワンピース、……そう、あの日夏生に見立ててもらったそれを、ものすごくうらやましく思っているのがありありとみてとれたから。

 素直にうらやましがる久美の様子が面白くて、あずみは夏生と二人で観覧車に乗ったことまで、かなり尾ひれをつけて話していた。二人で夜景を楽しんだこと……、もちろん夜景の話は嘘だ。実際には、『きたろう』の話に夢中の夏生を前にあっけに取られて、夜景どころではなかった。けれど、久美にはそのことは意識的に省いて話した。単にうらやましがらせたかっただけではない。それは、たとえ親友の久美に対してでも内緒にしておきたいあずみの美しい思い出だったから。

 『あの写真、やっぱり欲しかったな』

 観覧車の前で撮られた写真は、希望者には販売されていた。でもさすがに夏生の前でそれを買うのは恥ずかしくて、その画像だけしっかりと脳裏に焼けつけたのだった。今思えば、そのときは、まだチャンスはあると漠然と思っていた。実際には最初で最後のチャンスだったのに。

 『人生、何が起こるか、分からないよね』

 もうあれから3か月近くたつと思うと、あずみは胸がチクリとするのだった。

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