第16話

 気づかないふりを決め込まなかったことを、あずみは内心で後悔した。が、いまさらごまかすこともできない。

 「伊藤さん、お昼食べた? 一緒に食べない?」

 「……うん」

 断るためのいい理由が思い浮かばなかった。

 これまでのあずみなら、それでもこじつけてその場から逃げ出してしまっていたかも知れない。でも、今、それをするのは恥ずかしいと思った。久美に対してというよりも、久美にコンプレックスをもっている自分に負けてしまうような気がした。

 「近くにおいしいサンドウィッチ屋さんがあるんだ。そこで買って、ベンチで食べようよ」

 素直に久美の提案にしたがった。


 青々とした銀杏の木の下のベンチで、あずみは久美とサンドウィッチを膝において並んで座っていた。久美はお腹がすいていたのか、あっという間に食べてしまってから、ペットボトルのお茶に口をつけた。

 「はあ、朝から授業だと疲れるわ」

 「そうだったの?」

 「うん」

 それから久美は、まだサンドウィッチを食べかけているあずみの顔を見た。

 「あのね、伊藤さん、昨日新宿で会ったよね?」

 「うん」

 「実は気になってたんだ。だから、さっき会えて、ちょうどよかった」

 気になっていた……。あずみは心で身構えた。しかし久美は、急にえへへ、というように笑った。

 「実はね、聞きたいことがあって。あの、きのう一緒にいたの、ここの学生の、藤井夏生くんでしょ?」

 あずみは唖然とした。そうだ、昨日夏生と一緒のところを見られたのだ。今の今までそのことを考えなかったのが自分でも不思議だった。20000円がよほど心に引っかかっていたに違いない。そう思うと、自分でつい笑ってしまった。すると久美が、

 「あー、やあだ。意味深な笑いして」

 久美は話したくてうずうずしているらしい。ふと、そんな彼女がかわいく思えてきた。

 「意味深て? でも藤井くんを知ってるって、びっくりしたよ」

 「そりゃ、知ってるよー。彼、有名だもん。友だちになりたい人、多いよ、男子も女子も」

 そうなのか……。人付き合いのあまりなかったあずみは初めて聞いた話だった。

 「ねえねえ、どうやって知り合いになったの」

 「いや……」

 恥ずかしくていえない。でも、こういう女友だちとの軽い会話がだんだん心地よくなってきた。

 おしゃべりな久美だったので、けっきょく夏生の噂話をいろいろと聞かされて、昼は終わった。それによると、夏生はどこかの会社の御曹司などということになっていた。最後にあずみは久美に言われるままに、LINEを交換した。女子とLINEを交換するのは、大学に入ってから初めてのことだった。

 異変の起こったのは、その日の夕方のことだった。

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