第14話

 夏生は少し意外そうな顔つきをしたが、すぐいつものように「いいよ」と応じてくれた。

 「ここからなら、お台場か葛西辺りにしようか」

 「……葛西?」

 「葛西がいいかな、東西線で行けるし」

 「それでいい」

 そして、地下鉄とバスを乗り継いで、葛西臨海公園に着いた。すぐに海に通じているような公園ではなかった。そこで代わりに観覧車に乗るために順番を待ちながら、二人は潮風に吹かれているのだった。

 実は夜のライトアップされた観覧車に乗るのも、あずみのひそかな夢だったのである。

 「うれしい」

 「そう?」

 夏生はぶっきらぼうだ。その雰囲気もかえって気をつかわせないようにしているようで、あずみは心地よい。

 平日なので、すぐに順番はきた。

 乗り場に入ろうとすると、いきなりカメラを構えられた。スタッフの人が同じボックスに乗るお客さんの写真をそれぞれ撮っているらしい。

 「はい、どうぞ」

 よける暇もなく、夏生とあずみは並んで写真を撮られていた。

 「帰りに見られますよー」

 スタッフさんの声を後ろに、あずみは夏生と観覧車に乗りこんだ。


 さて、こうなるとあずみはさすがに困ってしまった。こんな狭い空間に男子と二人というのは、経験がない。いささか変わってはいるがれっきとした男子と……。内心どぎまぎしながら、あずみは声をかけた。

 「あー、夜景が見られるね」

 「うん」

 「あのね、ちょっと気になってたんだけど、昼間買ってたの、どんな本? 重そうだよね」

 夏生は書店名の入った紙袋を、大事そうに膝にのせていた。

 「これ?」

 夏生は急に笑顔をみせた。あずみはなぜか心臓をつかれたような気がした。

 「こういう本だよ」

 夏生がとりだした本は、これまであずみが見たこともないような装丁であった。薄いクリーム色の表紙。

 『善の研究  西田幾多郎』と書かれてあった。

 「ぜ、ぜんの研究? 西田...いくたろう?」

 「西田きたろう」

 「ああ、ゲゲゲの……違うか」

 自分でも何を言ったのか分からない。頬がかあっと熱くなった。

 夏生は気にせずページを開いたが、あずみに見せるためというよりは、自分でそこに目を落としてしまった。そのまま読み始めそうな雰囲気である。

 あずみは慌てた。

 「難しそう。どういう本?」

 「日本人による最初の哲学書と言われているんだ。大正時代に書かれた本だけど、戦後直後には学生たちが行列をつくって買い求めたっていう本。純粋経験、これはね、主客が未分化の知覚ということらしいんだけど、これを唯一の実在とみなして、人間存在とは何か、善とは何か、宗教とは何か、神とは何かを考えたんだ。それは東洋の伝統を踏まえて西洋的思考をも……」

 あずみは返す言葉が見つからなかった。

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