第10話
鏡の前で、周りの目がなくなり、ほっとして試着してみた。悪くない気もしたが、よくわからない。しばらく鏡とにらめっこしていると、カーテンの外から呼ぶ声がする。
「お客様、いかがですか?」
さっきの女性店員だ。あずみは慌てて着替えようとした。『なんだ、試着って、制限時間があったのか!』
「あー、伊藤さん、着替えないで、試着の服着たままカーテン開けて!」
夏生の声がする。
「ええ?」
「試着したとこ、店員さんにも見てもらおうよ」
何と言っていいか分からないまま、恐る恐るカーテンを開けた。夏生と先ほどの店員さんが並んでいる。その様子がやはりおかしくて、あずみはまた笑ってしまった。夏生も意味ありげに笑う。
「どうです、お姉さん」
夏生が店員に話しかける。
「よくお似合いですよ」
「伊藤さん本人はどうなの?」
「…悪くはない気がする」
早くこの場を切り上げたい気がした。
「悪くないか...」
夏生がオウム返しにつぶやいて、ちょっと待ってて。というそぶりをして、向こうに行ってしまった。あずみはその場を取り繕うすべもなく、ちゅうちょしながらまたカーテンを閉めてしまった。
一分もしないうち、また夏生の声がした。
「今度はこれ、着てみて」
それは、明るいグリーンの線の入ったワンピースで、重ね着しているように見えるデザインだった。少しプリーツが入り、隙間からあふれるように花のプリントがあり、地の色は濃い紫だった。あずみは自分では絶対選ばないデザインだと感じた。しかし、それを着たところを想像すると、案外似合いそうな気もするのだった。
やはり夏生は研究しているだけのことはあった。言われるままに今度はその服を試着すると、鏡に映る自分はかなり印象が違って、いたずらっぽい表情になっていた。
カーテンを開けると、店員が「素敵ですね!」とはっきりといった。またその調子が、お世辞めいた感じの全くしないものだったので、あずみは急に誇らしい気分になった。夏生は満足そうだった。まったく、これまでにない自分のようで、うきうきした。髪型も少し変えればもっと似あいそうだ。
「あら、素敵じゃない。私も欲しいわ」
夏生が急に女言葉を使うので、あずみは吹き出しそうになった。
「お客様、お買い上げでしょうか」
試着室を出ると、店員が声をかけてきた。そこで初めて、20000円近いその値段に気づき、あずみは仰天する。夏生がすぐに助け船を出してくれた。
「いや、もう少し、ほかの店も見てみるわ」
赤面しながら、あずみは店の外に出るのだった。
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