第10話 「おっかだ!おっかま!」で打てなかった岡田くん
大阪北陽高校から早稲田、ドラフト抽選で6球団が名乗りをあげ、見事阪神が当たりくじを引き当て、めでたく岡田は希望球団に入れたのでした。入団1年目で本塁打18本、打率.290で新人王を獲得。日本一になった1985年は打率 .342、本塁打35本、打点101で無冠でした。同チームに史上最強の助っ人といわれたランディ・バースがいたからです。バースは打率.350、54本塁打、134打点という爆発的な活躍で三冠王を取ったからです。
その岡田が全然打てなかった試合を私は見に行きました。その前々日にフォーカスという写真誌に岡田が「オカマバー」にいる所がフォーカスされていました。あの藤山寛美そっくりの顔がホステスと仲良く映されていました。
それで「おっかだ!おっかま!」のやじが飛ばされた次第です。その野次を飛ばす男性は岡田が打席に入ると、バックネット裏に来ては例の文句で野次るのです。チャンスで岡田はことごとく凡退です。最初は笑っていた観客も4打席目には他のフアン「引っ込め」と野次られて、袋叩きにあいました。4打席も岡田は凡退しその試合は負けました。的確で面白い野次でも選手の意欲をそぐ野次はいけません。
掛布が監督になれず、岡田になった理由は前に書きました。2004年に監督になった岡田は1年目こそ4位でしたが、翌年には優勝、その後も2位、3位、2位でした。最後の2位の年はオールスターまでに2位巨人を一時13ゲーム離して、誰もが「阪神優勝」を信じていましたが、北京オリンピックに4番新井、捕手矢野、リリーフエース藤川球児を取られ、彼らがその後調子を崩し、巨人に追い上げられ優勝を逃しました。球団としては成績としては問題ない(まさか優勝しなかったから、選手の給料を上げずに済んだと喜んだわけではないでしょうが)として慰留に勤めましたが「誰かが責任取らんといかんやろう」と潔くやめました。またいずれ阪神のユニホームを着るだろうと私は思っています。
「おっかだ、おっかえり」とその時は野次ろうと思っています。
生涯打率 .277本塁打247本
表彰 新人王 (1980年)
• ベストナイン:1回 (1985年)
• ダイヤモンドグラブ賞:1回 (1985年)
• オールスターゲームMVP:2回 (1980年 第1戦、1988年 第2戦)
• セ・リーグ最優秀監督賞:1回 (2005年)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます