第8話 哀愁のサード・三宅秀次

大阪タイガース(当時はこう呼ばれていた)では、3年目から三塁手のレギュラーに定着。俊足強肩の選手として吉田義男と鉄壁の三遊間を構成。当時から守備の名手として知られていた。1957年にはリーグ最多の31二塁打を放つなど活躍し、同年にはベストナインを獲得する。1958年には打撃開眼し、打率.267、21本塁打、35盗塁を記録。これ以降も、シーズン二桁本塁打・二桁盗塁を続けるなど、活躍するが、長嶋入団後は三塁手のベストナインは長嶋茂雄に独占される。

そのプレーは、簡単な打球でもファインプレーにみせる長嶋茂雄に対し、基本に忠実なプレーで、派手さはないが、どんなに高度な打球処理もファインプレーに見せない神業ともいえる守備は、ファンに「長嶋より上手い」といわれる程でありました。打てない時代のタイガースにあって、甘いマスクとスリムな躰でバッターボックスに入る姿は絵になりました。

まだまだこれからと云う時に、練習中に小山が投げた球がキャッチャーのミットをはじき目に当たり、視力低下後は何年か在籍しましたが、大した活躍もなく引退しました。


「あの三宅はどうしているだろう」と阪神フアンの間ではたまに語られることがありました。その三宅がスポットライトを浴びて甲子園に姿を見せました。たった一日でしたが・・。

 それは金本知憲選手が連続フルイニング出場の日本記録を立てた時でした。それまでは三宅が記録を持っていました。882試合連続出場と700試合連続全イニング出場という記録でした。この記録がストップしたのは例のボールが目にあった事故でした。金本選手の記録がかかった試合の解説をし、表彰式で金本に花束を贈呈しました。久しぶりの姿をみて、私は涙ぐんでいました。タイガースフアンなら私だけではなかったと思います。


その後も金本は連続出場を伸ばし、その記録は下記の通りです。

• 連続試合フルイニング出場:1,492試合(1999年7月21日 - 2010年4月17日)※世界記録

• 連続イニング出場:13,686イニング(1999年7月21日 - 2010年4月17日)※世界記録

それにしても、すごい記録です。成績がいいことは勿論、怪我にも強くあらねばなりません。ちょっと不調だと替れる選手が一杯いるプロの世界で続けるのは大変なことだと思います。

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