第5話 『俺は腹で投げる!個性あふれる魅力江夏豊』

『野球は一人でも勝てる』 個性的と云えば、何よりこの人、江夏豊を挙げねばならない。江夏だけで優に1冊の本が書けてしまう。どうしましょう?興味ある人は江夏自身が出している本が沢山あるのでそちらに当たって貰いたい。 太って来た江夏に、出っ張った腹を注意したところ、『俺は腹で投げている』と云ったとか。9回までノーヒットノーランをするも、見方が点を取れず延長戦に、11回裏自らがサヨナラホームランを打ち、11回のノーヒットノーランを達成し、1-0で勝つと、『野球は一人でも勝てる』とうそぶいたとか。 立ち振る舞いだけでなく、成績も個性的であった。例えばオールスターでの9連続三振(オールスターでは3インニングしか投げられない)。巨人の江川卓が挑戦するも8連続であった。 1967年、入団1年目は12勝13敗でしたが、翌年には25勝をあげ、村山と並ぶエースになりました。この年、挙げたシーズン奪三振401個は今後も破られない記録でしょう。若干19歳が長嶋・王相手に三振を奪う姿は、タイガースフアンの胸をスーとさせたものでした。2年遅れで入団してきた田淵幸一と組んだバッテリーは『黄金バッテリー』と云われ、9連覇の巨人、全盛時の長嶋、王に立ち向かたのでした。 *田淵には捕手失格のイメージがありますが、入団して5年間、盗塁阻止率は5割を超していました。これは過去、そして当時にも誰も出来ない率でした。 江夏のトレード 阪神が宿敵巨人と最後まで争い、中日との試合で勝てば阪神優勝。負ければ甲子園での互いの最終決戦になる。その中日戦に江夏は勝てなかった。最終戦ではこの年江夏と両輪の活躍した上田投手が打たれ巨人の優勝になった。 この辺へんから一匹狼、反逆児江夏への風当たりが強くなる。優勝できなかった責任が江夏にあるように言ったチーム首脳に、「フロントは優勝したらいらんお金がかかる。巨人と最後まで競って2位がええと云ってた」と答えを返したという。 江夏は優勝を争う肝心なところで勝てないというイメージが出来て行く。でも 優勝を争う巨人戦や、ここが天王山といわれる3連戦では1戦目江夏、一日おいて、3戦目江夏であった。打たれたのは3戦目であった。 当時の優勝を争うエースは普通のことであった。38勝を挙げた中日の権藤は、「権藤、権藤、雨、権藤」と云われた。シーズン最多勝42勝の記録を持つ稲尾は78試合(半分以上)に登板、先発(完投25)、救援と獅子奮迅の働きであった。巨人との日本シリーズでは7戦全て登板して、西鉄に日本一の記録をもたらした。 阪神に9年間在籍したが、最後の2年間は持病もあって完投する力が衰え、勝ち星も12勝止まりであった。監督の吉田がリリーフへの転換を勧めたが、江夏は完投にこだわり、これを拒否(当時、リリーフはあまり評価されていなかった)。持て余した監督吉田は、江夏の投球術を高く評価していた南海の野村監督(捕手兼任)にトレード話を持ち込んだ。 「俺は阪神で9年間も尽くしてきたのに、この扱いはなんじゃ」とごねたが、投手の分業制、リリーフエースの重要性を考えていた野村の「一緒に革命を起こそう」の言葉で承諾した。1977年、19セーブを挙げ、最優秀救援投手賞を獲得し、球界に分業制、リリーフの重要性を認識させるきっかけになった。野村克也が例の「お騒がせサッチー」で退団させられると、「俺も出してくれ」と云って広島にトレードされる。 余談を付け加えておく。 南海へのトレードの交換相手は江本であった。「何で俺があんなヘボ選手と交換されるんや」と、それもごねた理由の一つであった。この言葉に頭に来た江本は発奮し、阪神でエースの活躍をした。彼も江夏に劣らぬ「反逆児・一匹狼」の所があって、「監督がアホやから野球やってられん」の有名な言葉を残して、さっさとやめてしまった。 「プロ野球を2倍楽しめる方法」と云う本が当たり、後に国会議員になっている。 江夏といい、江本といい、いやはや・・・。


『江夏の21球』

場面は1979年11月に大阪球場で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、近鉄対広島9回裏の攻防である。両チーム3勝3敗で迎えた第7戦は、7回表を終了した時点で4対3と広島がリードしていた。広島・古葉 監督は万全を期すため、絶対的なリリーフエース、江夏豊を7回裏からマウンドへ送っていた。迎えた9回裏、近鉄の攻撃。この回を抑えれば広島は優勝、球団史上初の日本一となる。

ところが、同じく初の日本一を目指す近鉄もただでは終わらなかった。先頭の6番打者・羽田が初球に安打を放って出塁し、にわかに場面は緊迫する。羽田に変わる代走が2盗し、捕手水沼の暴投で3塁まで進み、無死3塁のピンチを向かえた。次の打者に四球、そしてこのランナーが2盗、次は敬遠で満塁策、無死満塁、絶対絶命のピンチになり、誰しも近鉄の逆転と思った。一死を取り、次の石渡のスクイズを見破り、3塁ランナーを殺し、石渡も三振に取った21球をさす。

何より、スクイズでバッターが構えを見せた瞬間に、投げる動作に入ったカーブをとっさに抜いてウエストした投球術は神業と称された。これで広島は日本一に輝いた。これ以降、日本ハムに移籍しても優勝に貢献し、江夏には『優勝請負人』の呼称がついた。


この時の様子を、後に山際淳司が『江夏の21球』という短編ノンフィクションに記し、プロ野球史屈指の名場面として定着している。山際淳司はこの作品でスポーツノンフィクション作家の地位を獲得した。


『塀の中の江夏』


1987年、自らの刑務所服役中の体験を書いた 安倍譲二の『塀の中の懲りない面々』の本が人気をえた。これが映画化され、引退後の江夏が看守役で出演した。

1993年、覚醒剤所持の現行犯で江夏は逮捕され、塀の中に入ることになる。何とも皮肉な二つの役をこなしたのであります。

不幸なことに、この事件を担当した検事が女性で、野球は全然興味がなく、当然「えなつ」と云う名前も知らない。単に不遜な犯罪者に映ったであろう。これが野球を知った男性検事なら「江夏」に一目置いて、接し方も違い、温情の余地もあったろうが、初犯ながら懲役2年4ヶ月の実刑判決を受けた。このことが、ピッチングコーチになれたであろう江夏の指導者の道を断った。

覚せい剤を使った理由として「寂しかった」と述べたという。離婚し、子供にも会えない状態であったらしい。

塀の中の規則正しい暮らしは江夏に健康状態の劇的な改善というプレゼントを与えました。本人は後に弁護に立ってくれた友人達への感謝の言葉と共に「もし刑務所に行っていなかったら、僕はもう死んでいたかもしれない」と語っていたそうです。あの女性検事は実は隠れタイガースフアンで、江夏に元気になって貰いたくて2年半という実刑を求刑したとは、僕の妄想です。


生涯成績:勝利206、セーブ193、防御率2.49、奪三振2987

タイトル: 最多勝:2回 、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、最優秀救援投手 5回

表彰   最優秀投手:1回 、MVP:2回 ※両リーグでの受賞は史上初

沢村賞:1回 、オールスターゲームMVP:3回


度重なる監督との軋轢やその言動から、扱いにくい選手、「一匹狼」「反逆児」

と見られたが、私は思うのである。使う方にも問題があるのではないかと・・・。一つ間違えば梃子でも動かないが、一旦納得し、心酔すればとことんついていく。そんな意気に感じる男だと思う。

考えてみてもよい。高校出たてで、天下の長嶋、王と渡り合い、400奪三振の世界にない記録を作ったのである。一匹狼の気概なくて投げられたであろうか、その成績に不遜になるなと云う方が無理がある。社会人野球、大学野球を経て入団した選手と違って、高校を出て野球以外に一般の社会常識をつける暇もなかたのである。接する方が大人であるべきだと思っている。いち早く江夏の才能を認めた好々爺藤本定義、野球理論で共鳴させた野村、親分大沢らの監督の元ではうまく行っている。江夏の21球でついに日本一になれなかった悲運の監督西本なら、「叱り飛ばして」江夏を仰せたであろう。


最後に所属した西武の広岡監督ともうまく行かなかった。その広岡は、「江夏は投げることに関しては素晴らしかったし、何といっても抜群に頭がいい」と今なお江夏を高く評価している。この意見に異論のある者はいないであろう。


私が江夏の言ったことを実行して、仕事に役立ったことがあった。

「配球のことや、試合で感じたことを毎日ノートにつけています」

「続けるのはむつかしいでしょう」アナウンサー。

「万寝床なので、布団の下にノートを敷いておくのです」

「でも、外で飲んで帰って来た時や、さんざん打たれたときや、書く気が起きない時もあるでしょう」

「そんな時は、本日書くことなしと書くのです。それでも、毎日書いたことになるんです」


僕は、江夏は偉いと思いました。さっそく真似をしました。私は大学を出てすぐに婦人服店の店を任されました。その日の天候、外を歩く人の服装、そして店で売っている商品。良く売れた商品を書きました。飲んで帰って来た時は「本日書くことなし」と書きました。3年も続いたでしょうか。


店頭では秋物は8月から品揃えします。

「11月に旅行に行くのだけど何を着て行ったらいい?」

僕は女ではありません。何十年と服を着て来た人が僕に聞くのです。彼女はいついつ何を着たかなんて書きとめなんかしていません。忘れられた体験は何年重ねても同じなのです。

「11月はこれぐらいの厚さの服が、夜は冷えますから上に羽織るものが1枚あると便利ですよ」と答え、上下セットに薄いコートが売れます。


会社で会議があります。

「去年の今頃は会議ではこんなことが話されていました」

「そうか、今年は寒くなりそうだ。早くコートを発注しとかんといかんな」と社長。

人間は忘れる動物です。僕は新米ながら社長の評価を得て、給料は同期より上げて貰いました。江夏には足を向けられないのです。


江夏は『腹ではなく、頭で投げた』投手と云えます。


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