第21話 ジャンプ
あなたがたがこの文章を読むためには、まずぼくが書き残したものが、あなたがたのいるその時代まで残らなくてはならない。紙に書いたものであれ、石に刻んだものであれw。でもできることならこの文章がデジタルデータとして電脳空間に残るようにしたい。それなら、どこかに残り続け、誰かに発掘してもらえる可能性が高まるからだ。容易に複製できるからね。
けれども残念なことに現在はまだインターネットは出現していないし(前身のアーパネットは既に稼働しているはずだが、もちろん一般人の立場で手の届くものではない)、それよりなにより日本語をデジタルに入力するためのデバイスがまだ存在しない。
でも保存方法はともかくとして、ぼくとしてはこれを書き残しておきたい。なぜならぼくが突然にいなくなったことを不審に思ったり、あるいはそのことで不快に感じたり、これは思い上がりかも知れないけれど、ぼくがいないことを悲しんだり寂しがってくれたりする人がいるかも知れないからだ。
だから2019年の東京でお世話になったみなさんに向けてこれを書き残します。うまくあなたがたの目に触れますように。そもそもぼくはあなたがたの時代の人間ではありませんでした。ぼくの生まれは太平洋戦争が終わって間もなくです。はい。あなたがたにとっては大昔でしょう。よくみんなはぼくの考え方や価値観が時代錯誤的にかっとんでいるといって笑いましたが、それも当たり前で、ぼくはあなたがたが知らないようなとんでもない困窮を身を以て知っているのです。
* * *
22歳の年にぼくはジャンプした。いきなり2015年に放り込まれた。これはもうとんでもない衝撃だった。ぼくの知っていた世界は1969年で、学園闘争が全国で沸騰し、ビートルズは不仲説や解散説が取りざたされ、ベトナム戦争が泥沼に突っ込んだことが明らかになったところだった。
それがいきなり2015年だ。人々が道を歩きながらベラベラ喋っている姿を見たときはぞっとした。幻聴の聞こえる人がたくさんいるのかと思ったからだ。それがスマートフォンだとわかってからも、あの姿には違和感があったなあ。よくみれば確かにみんな耳にイヤフォンをつけていたが、まさかそれで喋れるなんて想像もしなかった。電車の中でもみんな何かを拝んでるみたいにスマホを見つめているしね。
それから道にドブがないことに驚き、川があるはずの場所が道になっていることに驚き、鳥の少なさに驚き、外人がものすごくたくさんいるのかと思ったら髪を染めた日本人だと気づいて驚き、その後、実際に外人がたくさんいることにも驚き、とにかく何から何まで驚き通しだった。アングラでしかあり得ないようなヌードが当たり前に氾濫しているのは嬉しい驚きだったけど、4年間暮らすうちにそれはかえって味気ないものだと思うようになった。
そう。4年間。ぼくは戻る方法を探し続けていた。3年目にようやく同じような立場の人間に出会うことができた(インターネットはその時とても役に立った。異世界から来たという人や他の星から来たという対応しにくい信念を持つ人にもたくさん出くわす羽目になったけどねw)。そういった同士との情報交換を通して、ジャンプに関する実用的な情報、つまりジャンプするためのテクニックを学ぶことができた。
今年になって、ぼくは元の世界に戻ることに決めた。大宅壮一文庫に通い、1969年から1973年にかけての風俗や流行を頭にたたき込んだ。ぼくはその4年間をまるっきり体験していないので、うまく戻れた時に困らないようにというのも理由の一つだが、それだけじゃない。自分が行きたい時代のイメージを明確に持っていることと、その時代に存在したものを所持していることは、ジャンプの基本テクニックだとわかったからだ。
手に入る限りのビデオやニュース映像もチェックした。YouTubeはものすごく役に立った。ヒットソングをまとめて聴くのはなかなかの経験だった。なにしろあなたがたにはわからないニュアンスがぼくにはわかる、いわば同時代人としてわかるわけだからね。ビートルズの解散を知った時の衝撃は大きかったし、ジョン・レノンの運命には呆然とした。YouTubeで見つけたコマーシャルソングなんかを聞いていると結構フツーに楽しめた。
そしてジャンプした1969年から4年後の世界、ぼくが26歳の世界、1973年めざしてジャンプした。
でもそれからはうんざりするほど失敗だらけの旅行になった。明治維新前の江戸では歴史を変えかねないような大騒ぎを起こし、明治時代からなかなか離れられず、戦争直前と戦争中の東京市に2度出現し、1980年代を3個所訪れた(3個所というのもヘンな表現だが、とにかく1982年と1985年と、あと短かったのでよく覚えていないが、たぶん1988年)。そうだ。1969年ではあやうく4歳若い自分自身に遭遇しそうになった。
ジャンプを繰り返すたび体力的にぼろぼろになっていって、これ以上続けるべきか、1969年で(4歳若いぼくのいる1969年で)おとなしく暮らすか真剣に悩んだ。けれどせっかく近所まで(近所というのも変な表現だw)戻ってきたのにと思い、これが最後だと思ってジャンプした。到着した世界でぼくはしばらく気を失っていた。目覚めるとかつて住んでいた町の公園のベンチに寝ていて、公園脇の家の開け放った窓からテレビのコマーシャルが聞こえてきた。
……さっさかさっさかかけよ!
あったかーい、ごーはんに かーけたのりたま、
こーんな うまーいもの、ちょっとないよ!
ぼくは1973年に、昭和48年に戻って(戻って?)いた。いまぼくはここ1973年にいて、変な奴だと思われている。そっちで身につけたしゃべり方や、身ぶりをうっかり使っては失笑を買っている。でもやっぱりここがぼくのすみかだ。次にそこに行くとき、ぼくは70過ぎのじいさんだ。あなたがたには気づいてもらえないかも知れない。いや。あなたがたには会えないのだろうか? なぜならぼくは歴史を変えるつもりだからだ。
できるのかどうか分からない。天災を止めることはできないだろう。でも、せめて人間の手でできることを何でもやってみようと思う。ひょっとするとぼく一人では歴史は変わらないかもしれない。ただのうるさい社会運動家として黙殺されるかもしれない。世界は変わるかもしれないし、ぼくの働きかけなど誤差で終わり、体験した通りのことが起こるかもしれない。
もしもうまく世界が変わったら、恐らくぼくが出会ったあなたがたと会うことはできないということを意味するだろう。だってそこは別な世界になってしまうわけだから。けれど、それでもぼくはあなたがたを探しに行くと思う。2015年にまだ生きていることができたら、ぼくはあなたがたに会いにいく。ぼくが去った後のあなたがたを。無事にあなたがたを見つけることができて、あなたがたもぼくを覚えていてくれたら、そうしたら大人ののりたまでも出して歓迎してください。
(「のりたま」ordered by kyouko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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