第20話 竹の花

 これはどうやら俗説なんだそうだが、そして科学的な裏付けはないんだそうだが、竹は60年から120年周期で一斉に花を咲かせるのだと。そこで非常に珍しいことを表すのに「竹の花」と言ったりするんだそうだ。親方は60年に一人、120年に一人の逸材というつもりでワシにこのしこ名をつけてくれたんだ。


 力士にしては優しすぎるんじゃないか、線が細すぎるんじゃないか、そんな声も聞こえてきた。でも親方がしこ名の由来を話してくれて、ワシは誇らしく思った。そう聞いてよしやろう、と思ったな。精一杯精進して立派な関取になろう、120年にひとりの大横綱になろうってな。


 しかし間もなく、こんな話を聞いた。なるほど竹の花は大変珍しいことを指すんだが、そうやって竹が一斉に花を咲かせると、決まって飢饉になったり噴火が起きたりするというのだ。つまり凶兆なのだと。不吉な出来事の前ぶれなのだと。これは聞きたくなかった。


 それを聞いてから何かがおかしくなった。どう頑張っても勝ち越せなくなった。小中学校のこども相撲大会、高校時代、学生相撲と、向かうところ敵なしだったワシが、どこから見ても格下の相手に肝心の試合でころりと負ける。九割九分勝っていたはずの試合を落とす。黒星がどんどん増える。以前だったらぶつかるだけではねとばしていたような相手の前で土俵を這いずり回る。


 これはきつかったな。ワシ自身がよくわかっとるんだ。いまのはこうすれば勝てた。ああすれば勝てた。負ける理由なんてなかった、勝たない方がおかしかったってな。でも実際にはワシが膝から落ち、両手を土俵につき、腰くだけになって尻餅をつき、ふらついて土俵を割り、足が絡まって転落する。


 新聞やラジオやテレビなんかも最初のうちは「逸材逸材」と注目してくれたんだが、そのうち「竹の花いつになったら咲くのやら」などと揶揄されるようになった。60年後か、120年後か、というわけだ。泣かず飛ばずで3年か5年経った頃にはもう、話題にさえ上らなくなったな。見かけ倒し、前宣伝だけ、大人になったらただの人というわけだ。


 やいのやいのと騒がれなくなったのは助かった。だからといって悔しい思いをしなくなったわけじゃない。負ければ悔しい。勝つために土俵に上がっているんだ。当たり前のことだ。しかも相変わらずここさえ勝てばという試合に勝てない。そうでもない試合の時にはそこそこ納得の行く取り組みもできる。ところが肝心要のここ一番でどうしても勝てない。


 静岡の方で竹の花が咲いたという話を聞いたのが、確か10年目に入った頃だった。ワシは場所の間にでかけて見に行った。もうそのころはマスコミもワシなんかに注目していなかったから、部屋にもあんまりはっきり言わず、一人でそっと行ってきた。2年目あたりだったら目をつけられて面白おかしく記事にされていたに違いないが、そういう意味ではそっとしておいてもらえて良かったと思う。


 親切な地元の人に案内してもらい、話を聞かせてもらった。どんな風に咲くのか。どんな種ができるのか。凶兆だというのは迷信に過ぎん、別に何も不吉なことなどおこりゃあせん、珍しがって観光客が増えて助かっていると言われ、ふっと身体の奥の方でこわばっていた力が抜けた気がした。その次の場所からだな。ワシが勝ち越せるようになったのは。


 あとはみなさん知っての通り、毎場所優勝争いに残るようになり、60年ならぬ60場所ぶりの奇跡なんぞと書かれるようになった。相変わらずからかうような調子ではあったが、もうそんなことも気にならなくなった。ワシからすればやっと元に戻った、やっと取りたい相撲が取れるようになったというだけのことだったんだ。


 今回、こういうことになって、親方の枕元につめていて、他に誰もいなくなって2人きりになったときがあって。その時ふっと親方が話してくれたんだが。横綱、と親方が言うんだ。忘れるな、あの時の、静岡の案内、あれは恩人だ、あの人によく礼を言え。わかりました、とワシは言って、それからあの人を捜したんだ。なかなか見つからなかった。


 それがさっき、ご焼香の時にあの人がいたんだ。静岡で案内をしてくれた人が。ワシがあの時はありがとうございましたと挨拶すると、いやあ、あれは親方に頼まれたんですと教えてくれた。そういうわけで、ワシは、弔辞を準備しとったんだが、すっかり忘れてしまって、こういうよくわからん話になってしまって申し訳ないんだが、どうしてもこのことを話したくて。


 親方、ありがとうございました。いいしこ名を貰ったのに、鳴かず飛ばずだったワシをずっと気にかけてくれて、本当にありがとうございました。しこ名に恥じない立派な横綱を勤めます。そっちから見守っていてください。ワシはずっと竹の花を咲かせ続けますから。


(「竹の花」ordered by kyouko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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