第17話 遠い船 遠い顔

 目を覚ます直前に見ていたのは船旅の夢だった。私たちの旅は終わりに近づいていて、もう間もなく目的地が見えるはずだというので乗客がみんな甲板に集まって前方を眺めていた。そんなに大きな船ではない。豪華客船というわけではない。でもそれなりの大きさで、多くの人が乗り込んでいた。私たちは前方に山影か、ビルのシルエットでも見えはしないかとじっと目をこらしていた。


 あれは何だという声がして私の前の方の人々がざわつき始めた。前方にはただ水平線が見えるだけで、陸地を思わせるような盛り上がりは見えてこない。でもよくよく見つめていると海面の色が変わり始めている。海が浅くなってきて色が変化したのだろうか。いや違う。それは自然の色とは思えないような、極めて無機的な白黒なのだ。


 やがて船がその海域に差し掛かると誰かが叫んだ。写真だ、無数の写真が浮いているんだ。そう。それは大量の、数え切れないほどの白黒写真だった。誰がどうやったものか、ごそっとまとめてすくい上げた写真が甲板にばらまかれた。全て一人の同じ人間の写真だった。どの写真も全く同じ写真。正面を向いた高校生くらいの青年。頬に影が差すほどやせていて、髪は長く、何かに驚いたような目つきをしていて、世の中をすねたような表情をしている。


 その写真のことはよく知っている。彼のことも。一緒に暮らしていた頃、まさにその同じ写真を私は彼から貰ったのだから。正確に言うと交換したのだ。私自身の高校時代の学生証の証明写真と。そう。それは彼が高校2年生の時に撮った証明写真だ。3年分の証明写真の中から私が選んだあの写真だ。誰かが素っ頓狂な声を出す。こんなにたくさんの証明写真で、こいつはいったい何を証明しようとしているんだ? その言葉がおかしくて私は吹き出す。ほんとだ。この写真で、こんなにたくさんの写真で、あいつ、いったい何を証明しようとしているんだろう?


 笑いながら私は目を覚ます。私が乗っている船は、といっても宇宙船は、間もなくその惑星に着こうとしている。彼が、いまや著名な芸術家である52歳の男性が消息を絶ったその惑星に。どうしました? え? ずいぶん楽しそうに笑っていましたよ。ええ、ちょっとバカな夢を見ちゃって。いいですね、ぼくは夢なんか覚えていた試しがありません。若いクルーの一人が本気で羨ましそうに言うので私はまた吹き出す。覚えていたって何もいいことないけど。そうかなあ、本当に楽しそうだったですよ。


 だんだん近づく惑星には不思議な威圧感がある。刻一刻と大きくなる惑星を見つめていると、なんだか胸がつぶれそうな感じがする。私だけだろうか。いや、クルーのみんなの表情に張りつめたものが感じ取れる。こめかみのあたりにみな血管が薄く浮いているような、そんな感じ。衛星軌道に入り、少し緊張がほぐれる。これからは生命反応か、人造物の痕跡を求めて周回を重ねることになるのだ。つまり、彼の消息につながる痕跡を求めて。


 でも正直なことを言えば、私たちはもう生命反応があるとは思っていない。わざわざここまで来て、こんな言い方をするのはおかしいのはわかっている。けれども、彼が生き延びている確率はとても低い。連絡が途絶えてから捜索を出すことが決まるまでにも時間がかかったが、こうして航行を始めてからでさえ、すでに2年が経っているのだ。楽天的なことを考えないのは当然のことだろう。だから私たちは主に、地表を調べ人造物を見つけようとしている。


 その写真が出てきたのは3日目のことだった。地表を撮影した膨大な記録写真を分析している中で、ひとりがひどくかすれた声を出した。おい見ろ、これは偶然なのか? 彼は2枚の写真を重ね合わせて私たちに示した。樹木がぽつぽつと茂っている平原の写真だった。何が映りこんでいるのか私たちは目をこらしたがよくわからなかった。何が映っている? 顔だよ。人の顔だよ。 何だって? ほら、ここが頭部で髪があって、目と口と、それから鼻の影と、顎のラインもわかる。


 それは白くうつる平原と黒々とうつる樹木が織りなす壮大なだまし絵だった。見える、見えるよ、本当だ、顔だ。人の顔だ。クルーははざわめいた。私を除いて全員が。誰かが素っ頓狂な声を出す。女だよ。若い女の顔だ。ほら学生証とかにのっていそうな。本当だ。証明写真だ。あんなにでっかい証明写真で、いったい何を証明しようとしているんだ? そう。それは彼と交換した、やはり高校2年生の時のわたしの証明写真だ。


(「証明写真」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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