第15話 ハット・プロブレム

「ねえ、その帽子脱いだら?」掃除機をかけながら女が言う。またか。うるさい。同じことを、もう何度目だろう。「建物の中で帽子かぶってるとはげちゃうよ」


 そんな俗信にだまされるほどぼくはバカではない。ぼくは返事をせず振り向きもせず本に集中する。そうだ。ぼくは本を読んでいるんだ。見ればわかることだ。どうしてそれを邪魔したりできるんだろう。無神経なバカ女だ。


「そろそろ掃除が終わるからさ、そうしたらちょっと一緒に外に出ない?」行きたきゃひとりで行けばいい。そっとしておいてくれればいいのにどうして構うんだ。「そんな恐い目で睨まないでよ。ちょっと誘っただけじゃない」


 しまった。あんまり腹が立ったので思わず女の方を見てしまった。別に恐い目でにらんだつもりはない。でもまあそう感じたのなら、それでいいだろう。女は困ったような顔をして肩をすくめると、くるりと背を向け掃除機を持って玄関ホールの方に進んだ。がたんがたんと乱暴に掃除機をかける音がする。怒ったのかも知れない。それでいい。そうして、他の女たちと同じように辞めていけばいいのだ。


 これでやっとゆっくりできる。ぼくはこの巻を一気に読み上げてしまうべく本に専念する。ネット上の紹介にあったとおり『金枝篇』は示唆に満ちていて、読んでいて飽きることがない。いろいろなことが、これでわかるような気がする。それこそ、ありとあらゆる肝要なことが。


 彼らは一体何者で、何を目的としているのか。この世界をどうしようとしていて、それを阻むにはどうすべきなのか。書かれた意図とは違うかも知れないが、ぼくにとってこの本は戦闘のためのマニュアルだ。世界を彼らのほしいままにさせないための闘争にとって、実に示唆と洞察に満ち満ちた本だ。


「帽子取った!」

 笑いを含んだ声がして、背後から忍び寄った女がいきなりぼくの帽子を奪った。振り向くと女はサイズの大きい野球帽を手にして、声を立てて笑いながらぼくから遠ざかろうとしているところだった。


「返せ!」

 思わず声を張り上げてしまう。一言も口を利く気はなかったのに。腹が立つ。女がへらへら笑いながら振り向き、そして凍りつく。ぼくを見ながらみるみるひきつった表情になる。


「返せ!」

 もう一度ぼくは言う。女はまたしても困惑した表情を浮かべ、そして恐る恐るという感じで言う。

「それ、何?」何のことを言っているのか、もちろんわかるが黙っている。女はぼくの野球帽を両手で持ち、しばらくその場にたちすくみ、言葉を選び、そして言う。「自分で作ったの?」


 バカ女だ。決まっているじゃないか。


「よくできてるわね。でも安心して。わたしはあなたの心を盗み見たりしないから」

 女の口からそんな言葉が出てくると思っていなかったので、ぼくは驚く。何と言っていいかわからないのでもう一度「返せ」と繰り返した。女は野球帽を両手で持ったまま肘を伸ばし、あまりぼくに近づかずにすむ姿勢でそっとぼくに手渡した。ぼくはホイル・ハットの上から野球帽をかぶった。野球帽の下で銀色の思念波遮断帽がぱりぱりかさかさと音を立てた。


「そんなに驚かないで。それ、知ってるわ。子どものころ、わたしも作ったもの」そう女は言うと、また言葉を途切らせる。「そんなにうまくできなかったけどね。誰があなたの頭の中を読むの?」

 黙っているとまた女が言う。

「何か言ってきたりするの?」

 ぼくは首を横に振る。別に話しかけられたりしたことはない。ただ覗かれるのがいやなだけだ。


 女はため息をついて続けた

「お父さんかお母さんに心を読まれるの? わたしが子どもの時には、ある日、両親の中に異星人が住み着いたことに気づいて……」ぼくの様子を見て女は言う。「ああ。おんなじなのね。わかるわ。でも黙っといてあげる。きっと彼らはホイル・ハットが何なのかもわかっていないわ」


 女はしばらくぼくを眺めたり、天井を睨んだりしていたが、やがて肩をぎゅっと寄せ上げ、すとんと落とすと言った。

「それにしてもあなた器用ね。わたしの作ったのはもっとぶかっこうだったな。そんな洒落た渦巻き模様なんかできなかったもの。どっちかというとつぶれたボウルみたいになっちゃった」

 そこはちょっと自慢だったのでぼくも少しうなずいた。

「ねえ。作り方教えてくれる?」女は意気込んでいった。「アルミホイル、どこにある?」


(「アルミホイル」ordered by kyouko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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