第13話 晴れた日の画廊にて

 午前中の打ち合わせが予定よりずいぶん早く済んで、空いているうちにとお店に入ったのだが、ランチを終えて、メイクを直してもまだお昼まで30分以上もあった。会社にはまだ戻らなくてもいい。すぐに戻っても憂鬱なことしか待っていない。だから1時間だけ何か気晴らしをすることに決めた。


 もうすぐ梅雨入りということだが、今日はからりと晴れて爽やかないい天気だ。考えたらこの半年間、お日様を浴びてのんびり歩いたことなんてついぞなかった。土日も作業に追われているし、移動はほとんど上司と一緒にタクシーだったし、明け方まで資料をつくってフレックスで半日寝て過ごし、午後イチには会社に着いてまた同じことの繰り返し。青空の下で時間に追われずゆっくり歩いたり立ち止まったり、ただそれだけのことがびっくりするくらい貴重で新鮮に感じられる。どうかしてるよ、ほんと。ショウウィンドウを冷やかしながらぶらぶらと歩く。歩きやすいパンプスを履いてきて良かった。銀座のはずれ、新橋にほど近いそのギャラリーの前に貼られたポスターが気になって、ちょっと入ってみることにする。


 最初、そこではアンティーク趣味の日用品コレクションを展示しているのかと思う。広口のガラス瓶。鈍く銀色に光る刃物類。深みのある色調の木彫工芸品。ブリキの玩具。時代を経た包装の商品パッケージ。でもよく見るとそれはすべてごく最近の年号が記された作品たちで、いわば生まれたての骨董品たちなのだ。


 例えば〈微笑鏡〉という商品のパッケージがある。20cm立方のほどの箱で、鏡を正八面体に組み合わせたものの写真が印刷されている。そして箱には「極上の微笑みを3年分封じ込めました」などと書いてある。いったいどういう商品なんだ?と突っ込みたくなる。けれどそのいかがわしさと、精緻に作り込まれたデザインを(いや、ここは「意匠を」というべきかもしれない)見ているうちに、なんだかその鏡が欲しくなってくるから不思議だ。


 杖を非常に小さくしたものには、かわいい羽根がついていて、先が針になっていて、〈杖杖バエ〉と商品名が書いてある。「眠れぬ夜はこのひと刺しでたちまち熟睡」なんてキャッチコピーも(「惹句」と記すべきかもしれない)ついている。アフリカ睡眠病を媒介するツェツェ蠅をもじったダジャレだ!


 おかしくなってきて、にやにやしながら作品を見て回る。こういう遊び心が一杯の展覧会ってよくあるんだろうか。だったらもっと足を運ぼう。それも人を誘って。ひとりで見ているのはもったいない。誰かとツッコミを入れながら楽しめたらどんなにいいだろう。気の利いた冗談を言える男子。セクハラ上司なんかじゃなく。


 ちょっと奥まった、別室のようになったコーナーの奥にすえた展示台に、顕微鏡がぽつんとひとつきり置いてある。覗いてみるととても精巧に出来た太鼓が見える。横にはこれまた小さな紙に小さな小さな字で書かれたのであろうメッセージが読める。もっとも、顕微鏡の視野の中ではとても大きくくっきりと読めるのだけれど。“Bang me, if you can”。それが作品タイトルでもあるらしい。叩けるものなら叩いて見ろってことだろうか。気づくとプレパラートのすぐ脇に小さなレバーがついていてこれを動かすと、やがて画面の中にドラムスティックが見えてくる。


 なるほど。これで上手に叩けるかどうかやってみろってことなわけね。いいわ。やってみようじゃないの。そろりそろりとスティックを動かして、ちょっとひねりを入れてみる。いける! その瞬間。


 どおーん!


 と、雷鳴のような大きな音が轟き、心臓が一瞬止まる。それから一拍あって新たな鼓動が始まる。再び全身に送り込み始める。その瞬間ぱちんとはぜる音がして、突然視界が広がる。気がつくとすぐ隣に彼が立ってにこにことこちらを覗きこんでいる。


「ほらね。小さな太鼓は大きく鳴る。大きな太鼓は秘やかに鳴る。言ったとおりだろう?」あっけにとられていると彼はにこにこしながらこう続けた。「忘れちゃったかな。無理もないよね。あれからざっと500年くらい経っちゃったし。じゃあ椿屋でカフェーでもいただきながら説明してあげよう」


(「太鼓」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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